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《第五回》かくれんぼでは3番目に見つかりたい!

※この文章は、《Whenever Wherever Festival 2025》が開催するワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』第五回目のレポートです。

☆ワークショップのディレクターは、アーティストでダンサーのAokidさん

「まだかな?隠れる場所が遠すぎたかな?」
公園の入り口近くの植え込みの中に身を屈めてじっとしながら
徐々に不安な気持ちが込み上げてくるのを感じていた。

昔も今も、かくれんぼは心細い
鬼になって友達を見つけられないのは焦るし
ずっと見つけてもらえないのも悲しい

かくれんぼは心が疲れる
すぐに見つかってしまうのは悔しいけれど
最後までなかなか見つからないっていうのも鬼に悪い気がする

「もちろん最後まで見つからないようにって思って隠れましたよ。俺、空気読めないんで」(by リンノスケさん)

最後まで見つからなかったリンノスケさんは楽しげにそう言った。
私も空気を読まなければ、最後まで見つかりたくないって思うんだろうか?
いや、思わないだろうな・・。
私は、かくれんぼでは3番目くらいに見つかりたい!
すぐ見つかるのも悔しいけれど、あんまり遅いと不安だ。

初めから3番目の場所を選んで隠れていたんだということに気付いて驚いた。(正確には4番目に見つかったのだけれど)
当てが外れることももちろん多いけれど、
おおむね、今の自分の立ち位置は、実は予め自分で決めて動いているんだ。

 いよいよ第五回目となった今回の集会は、やること
もりもりだくさん!な回でした。

 新橋SL広場に集合して、まずは村上さん考案の「身体が言葉を超えていくワーク」からスタート!
例)「ニュー新橋ビル!」と叫ぶ
→→瞬発的な動きをする
  「はい、タコハイ♡」と叫ぶ
→→瞬発的な動きをする

 これを皆で連続的にやるほどに、言葉から意味が分離していくのでは?という仮説の基に行ったのだけれど、これが面白かった!
 身体を動かし続けていると、どんどん文字がぐにゃぐにゃになってきて、概念のゲシュタルト崩壊が起きてくる。これって、身体で言葉(の意味)を殺しているんだ。身体と言葉の間に相互作用があるのだとすると、今度は反対に、言葉で身体(動きだけではなく体型すらも)を殺すことも、つくりあげることもできるのかもしれない。

 その後に立ち寄った公園で次は真濃さん考案のワーク!
 2チーム(A: 公園の中に留まるチーム、B: 公園の外に出るチーム)に分かれて、お互いがかろうじて見えるくらいの距離から、Aチームが投げかける動きを、Bチームが真似していくというもの。真似をしながらだんだんAチームに近づいてくるBチーム。距離が近づくと・・どうなると思います??(2月1日のSHIBAURA HOUSEでの発表会で行いますのでお楽しみに!)
 ところで、私はAチームでした。外に出て行ったBチームを目で探すのだけれど、暗くて遠くてなかなか見つからなかった・・。
 そういう時、私は反射的に不安になるのだけれど、Aokidさんは「(子どもの頃)友達を見失うって面白かったよね。その間も遊びの時間は続いている可能性があるわけで。」なんて子どもみたいな顔をして笑っていた。そういう風に捉えられるのは大らかで素敵だなぁ。Aokidさんが遊び上手なのは、こういうところから来ているんだろうな。

 そして、数十年ぶりにかくれんぼをした。
 冒頭にも書いたように、私は隠れる場所を探しながらも、すでに見つかる気満々だった。「この辺ならちょうどいいかな?」なんて鬼に配慮というか、遠慮するエネルギーさえ出ていた。(3番目でいいやのエネルギー!)
 ちょっと話が脱線するのだけれど、私は学生時代に学年で1位を取るくらい中距離走が得意だった。で、1位を取れる時の心境というのはやっぱり、「絶対にぶっちぎってやる!」という強い気持ちで一歩目を踏み出せた時だったように思う。他の人に遠慮しない、という意味で。
 かくれんぼだろうが中距離走だろうが、勝負は始めに付いているというわけだ。(もちろん気持ちだけで結果が伴わないときの方が多いのだけれど。でも、気持ちが入っていないのに結果が出たことはないと思う。)

 隠れているとき、遊びなのに緊張している自分に気が付いて、何かリラックスできることをやってみようと思い立った。
 Aokidさんが、「遠く(空)を見て近く(地)を見ると、どっちも見れるんだ!って嬉しくなる。目の解像度が変わる気がする。」とこれまた子供みたいな顔をして言っていたのを思いだして、土を見てみることにした。
 目を凝らしてじっと見ていると、何の変哲もないはずの土がキラキラしているのが分かった。土って綺麗なんだ!
 勝手に土は茶色いだとか、人間の視力はせいぜい2.0までとか決めつけていたけれど、もしかしたらそんなことないのかも??
あきらめなければ、もっと細かい粒子や、惑星だって肉眼で見えるようになるのかもしれない。

Rootsを身体でイメージ

☆お知らせ☆

私の参加する、《Whenever Wherever Festival 2025》開催のワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』が・・・なんと!
2月1日(土) SHIBAURA HOUSEにて、発表会をします!!!

港区の街を歩き回り、公園で遊び、少しずつ形になっていった”たいそう”を発表します!港区をからだで表現するとどうなるのでしょうか?
ぜひ、お越しください☆彡

他にも別のワークショップ参加者の発表会があったり、ダンスイベントやトークショーがあったりと盛りだくさんなので、チェックしてみてくださいね☆
あ、ちなみに私はダンス経験が全くのゼロです。普段運動もしていません。それでもこのワークショップはとっても楽しいので、もし普段は踊らないけど、そんなにハードル高くないならちょっとくらい身体動かしてみたいな・・って方にもおすすめです。ダンスというと敷居の高いイメージがありますが、古来から人間は皆踊ってきていますからね。これが踊りだ!と言い張れば、それがどんな形だって立派な踊りになるのではないでしょうか?
ハードルを下げて下げて下げまくって!一緒に踊りましょう!

☆イベントの詳細&タイムテーブルはこちら                                     

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