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《最終回》「どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー」

最終回は、みんなで海岸に行って"たいそう"をした。
柔らかな砂浜と、濁った海と、ポツンと佇むドラム缶の周辺で。
ドラム缶があったからなのか、それとも海辺から連想したからなのかは分からないけれど、キャンプファイヤーの夜を思い出した。お互いのことをよくは知らない私たちだけれど、そこに火があれば輪になるし、自然と手を繋ぐんだ。

対岸にはやっぱり東京タワーがあって、そしてやっぱり火柱みたいだった。増上寺の隣で、生と死とを繋いでいる火柱。私たちは約2か月の間、あの辺りを歩き回っていたんだな。ぐるぐる歩いたその軌跡が魔法陣になって、街を守る一助になっていたらどんなにいいだろう。

最後に、皆がそれぞれの胸の内?を海に向かって叫んだ。
対岸を見やって出てきた言葉は「今日もありがとうございました」だった。
街への、街の人々への、そしてクルー仲間へ宛てた言葉だったんだなと後になって気付いた。

空を見上げると星が光っていた。星も、燃えているんだろうか。

 この日は海岸で、2月1日にSHIBAURA HOUSEで発表する"たいそう"を練習して、その後に新橋へ移動した。

 途中の横断歩道。赤信号に変わってしまい、渡れなかったこっち側の私と、渡った先にいるあっち側の真濃さん。2人目が合って自然と始まる秘密のコミュニケーション。(お互いのからだの動きを真似てみたり、動きに反応してみる、といった遊びです。)
 知らなかった。横断歩道ってロマンチックなんだな。あの時の私たちは、信号が青になるまで待ちきれない織姫と彦星みたいだった。
 そして、たい焼きの口になってしまったAokidさんに連れられてみんなで買い食いをしたり・・。美味しかったな。

街と戯れる大人たち


 私たちクルーメンバーは約2か月間、街歩きをしながら"たいそう"だけではなくて、雑談を通してお互いについても情報を交わしてきた。
 まだ知り合って日も浅くて、深くまでお互いのことを知っているわけではないのだけれど、でもだからこそ話せる内容もあるのかな、なんて思ったり。家族にも友人にも言えないような本音がぽろっと出たりだとか、その場限りの実験的な発言だとか。例えばそんなことが。
 私は自己開示があまり得意ではなくて、普段は聞き役になる方が多い。だからなのか、たまに質問をされると途端に緊張が走る。上手く伝えられるかだとか、どこまで受け入れてもらえるだろうだとか、(空気がひやっとしようものなら)面白いことを言ってリカバリーしなきゃ、だとか。とにかく人に笑顔になってもらわないといけないと思い込んでいるんだよなぁ。
 ほとほとそんな自分に疲れてしまうし、自然体で話せている皆が素敵だなぁ、いいなぁ、とずっと思ってきたのだけれど(でも私からそう見えているだけで、皆もそれぞれ思うところはあるのかもしれないですね)、ここまで集会を重ねてきて、そんな場面にも何度か遭遇して、ようやく何かが吹っ切れてきた。「もうこれが私だからしょうがないや」って開き直り。いっそ清々しく、臆病さも愛してしまえばいいんだ。

 その後、新橋の公園でも、再度"たいそう"の動きや流れを確認して、この日は終了。後は本番を残すのみである。

 全6回の集会を通して変わってきた感覚がある。
 クルー活動がスタートした当初は、街と人に何かいいものを渡したい、癒しのエネルギーを出しながら歩きたいと思っていて、勝手にそれを半ば義務のようにも感じていたのだけれど、今はそうできなくても大丈夫だなと思うようになった。できるにこしたことはないのだろけれど、イライラしていて排気ガスしか出せない日だってあるわけで。
 地球上に酸素と二酸化炭素が存在するように、そういう日には、必ず街にはクリーンエネルギーを出してくれている他の人やものがあったりする。そう。だから、とんとんなんだ。二酸化炭素がないと酸素だって存在しないんだ。そうやって毎日、毎日、地球は回っている。
 だからまぁ、できるときにやりたいだけ、気楽に、気長に、そのときの私が愛だと思えるものを、勝手に、自由気ままに、出していこうと思う。
 何でもいい。出してるものが酸素でも二酸化炭素でも排気ガスでも、いい。それでいい。

港区の表通りと裏通り
人々とお金を吸い込み、消化する
消費する表通りと
掃き出されたものが滞留し、発散し
排出される裏通り
食事と排泄は表裏一体だ。この街は生きていて、循環し、ちゃんと機能している。
今日も明日もたくさんのものを食べて、たくさんのものを排泄するんだろう。その量もこれからもっと増えていくんだろう。

 携帯のフォルダに残るたくさんの写真たち。何てことない街の美しい写真と、そこで笑う楽しそうな私たち。
 街よ、クルーメンバーよ、「今日もありがとうございました!!!!!」

☆「どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー」の集会は、1月29日で終了しました☆
今まで第一回から掲載してきた、レポートのようなエッセイのような文章もこれにて終了!ここまでお読みいただきありがとうございました!

☆お知らせ☆

私の参加する、《Whenever Wherever Festival 2025》開催のワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』が・・・なんと!
2月1日(土) SHIBAURA HOUSEにて、発表会をします!!!

港区の街を歩き回り、公園で遊び、少しずつ形になっていった”たいそう”を発表します!港区をからだで表現するとどうなるのでしょうか?
ぜひ、お越しください☆彡

他にも別のワークショップ参加者の発表会があったり、ダンスイベントやトークショーがあったりと盛りだくさんなので、チェックしてみてくださいね☆
あ、ちなみに私はダンス経験が全くのゼロです。普段運動もしていません。それでもこのワークショップはとっても楽しいので、もし普段は踊らないけど、そんなにハードル高くないならちょっとくらい身体動かしてみたいな・・って方にもおすすめです。ダンスというと敷居の高いイメージがありますが、古来から人間は皆踊ってきていますからね。これが踊りだ!と言い張れば、それがどんな形だって立派な踊りになるのではないでしょうか?
ハードルを下げて下げて下げまくって!一緒に踊りましょう!

☆イベントの詳細&タイムテーブルはこちら                                     

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☆SHIBAURA HOUSEのアクセス





















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