「ずっとそばに」の歌詞解釈
こんにちは。今回はCö shu Nie(コシュニエ)の歌詞の私なりの解釈を述べていきたいと思います。
どうして急にそんなことを?と思われるかもしれませんが、ネット上にあるこの曲の歌詞解釈が私の解釈と違っていて、それをどうしても吐き出したかったからです。
↑元記事はこれ。
↑原曲はこちら。まずは歌詞を見ながら聴いてみてください。
歌詞と元サイト解釈と私の解釈
冒頭です。これも私はかつての情景を思い浮かべているのだと思います。MVもそんな感じだし。問題はここから。
元記事では「まだ別れていないかも」って言ってたけどいやこれここはもう別れとるやろがい。別れてるでしょ。別れてる情景を歌うためにわざわざ写真の中の笑った顔が夕日に赤く染まる様を描写したものと推測しました(=彼はいない)。
今夜だけ祝わせてほしい、その今夜に彼が同席していないのは後に続く歌詞を見ればわかります。
戻らない時を近くに感じたいけれど、綺麗な思い出ばかりでやたらと遠さばかりを感じてしまう、と解釈しました(過去の記憶は時間が経過するほどポジティブなものが残っていく)。
あなたに会えた〜で、よくない過去があったのだとしても"わたし"は"あなた"に会う為だったと思えば納得できた=それほどの出会いだったのだ、とわかります。
あと、ひとりじゃ飲みれないのはひとりだからなんですよ。楽しい様子ではないのは最初からでしょう。わざわざひとりで祝っている状況と寂しさと自分や相手への皮肉を表した秀逸なフレーズだと思います。
だから”あなた”はずっといないんです。
元記事「2番では一人になった状況からスタートです」。いや一番からずっと一人なんですよ。ずっとそばにって曲なのにずっと一人だからずっとそばになんですよ(?)
後に出てきますけどこの二人は前向きに別れている様子だし、お互いのことを引きずらず、それぞれの人生を歩むことを願う、そういう”あなた”だったのだと推察します。
元記事は「あなたの心がわたしから離れてしまった」と解釈してます。
私は、「お互い忘れて幸せになろうね」って約束したけど、”わたし”だけが本意ではない、と解釈をしました。
ここの履き違えが一番許せないポイントです。
「未だに絶望の端っこすらどこにも見当たらない」のは「絶望に突入して終わりが見えない」のではなく「絶望が始まってすらいない」という意味です。だから「驚くよ」なんですよ。普通はすぐ絶望するでしょ。
これは後に続く歌詞「あなたの残した光が〜」から見ても一目瞭然です。
元記事は「まだ私は好きなのに〜」と断定していますがそんなことどこにも書いてないのでびっくりした。”愛しいさよなら”って色々と解釈可能な幅がある素敵な表現なのに「まだ私は好きなのに」なんて平易な言葉で解釈しないでほしい。
ここも元の記事の方とは全く反りが合いません。「忘れたくない」=忘れないといけないのに=忘れようと約束した、と解釈しました。
何を「間違いありません」って言ってるんだこの元記事の人は。
元記事しきりに「悲しみに打ちひしがれながら1人で生きていくことを決意し」とか言ってるけどだから悲しんでないと思うんですが(正確には”絶望してない”だけど)。
書かれていない言葉を平易な言葉に変えると途端に効力を失う気がするんだよなぁ……。
この歌詞はいわば恋愛を超えたクソデカ感情という話だと解釈してるんですよね私は。付き合っていたという事実がある。別れたという事実がある。でもそんなものはお互いをお互いが構成しあった(わたし仕様、あなた仕様)関係性の前には無力。
「どこにいてもずっとそばにいる」という力強い歌詞と音楽の盛り上がりが、"あなた"が"わたし"に与えた影響の大きさを物語っている。だからこの曲はずっと一人の描写が続くけど、ずっとそばにいる、という話なんですよ。知らんけど。
ひとりで生きていけるわ、の結論部分には寂しさが伺えます。あなたの声が聴きたい、とか、寂しさ、とか、忘れたくない、という感傷は読み取れると思います(まだ好きなのに、とは違いますよね)。そういう時は二人分の夕食を用意してお祝いしてあなたのことを思い出す。そんな回想と描写を切り取った素晴らしい歌詞だと解釈しました。
まぁ私に解釈なんざ無理なんですけど、あまりにも反りが合わないので反論みたいに書いてしまいました。失礼しました。ご意見お待ちしております。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?