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地雷の展開を因数分解してみた。

 唐突ですが自分語りしたいこと、ありませんか。ないですか。ない方は回れ右しよう。ある方は僕と握手。そしてどうせこんな記事はいつか全て消すのでその時には回れ右してください。

 やましろです。この間の特撮夏映画(バトルファミリア)を久しぶりに拝見しまして、思うところがあり筆を取りました。主に自分自身の地雷と向き合おうという話です。

 ではまず私と特撮の話から。地雷の話については五十嵐〜情緒が壊れた辺りから読んでください。

特撮について

 一番思い入れがあるのはやはり仮面ライダービルドです。大人になってから毎週展開を心待ちにして観た作品。毎回話の引きが海外ドラマ並みに強力で、子供だけでなく大人も夢中になる作品なんじゃないでしょうか。私の中の特撮ものの悪役の基準がエボルトになってしまったのはちょっとハードル上がりすぎましたけどね。適度に息抜きもできる笑いが挟まれて、キャラも適度に賢く敵はそれ以上に賢く、え?と思うところもありつつエモさで全部片付けられる。そういうの好き。重すぎるので人には勧められないけど、一番好きなライダーです。バディもの、最高!

 小さい頃はカクレンジャーが好きでした。妖怪が好きだし、忍者も好きだし、五人戦隊モノが最初から五人揃ってないところとか、今で言うドンブラみたいで面白いですよね。五人が大きな移動販売車でクレープを売りながら生計を立てて無償で人助けしているところも妙にリアリティがある。毎回子供がゲストキャラで出てくるのも印象的でした。ただしロボはダサい(城……)。

 あと各所で言ってるんですが仮面ライダーエグゼイドはみんな観た方がいいです。Vシネ(本編後に出る映画)まで含めて傑作すぎる。私が人に勧める作品は以下の3ポイントを重視していて、①矛盾や破綻がほぼ無く伏線が回収されている、②訴求ポイントがしっかりしている、③飽きずに楽しめてまとまっている、なんですけど、エグゼイドは最後の小説まで含めてそれが当てはまるので本当に素晴らしい作品です。内容は信じられないほど医療ドラマです。とりあえず12話まで頑張れ(悪質な勧め方)

 そんな私が今観ているのはギーツドンブラのみです。過去作品を発掘する時間はなくて…でもドライブとかゴーストとかをそろそろ観たいんだよなぁ。あと555…(ドンブラの脚本の方の作品)。戦隊だとシンケンジャーとゴーカイジャーを観ろと言われているのでいつか観る予定。

令和ライダーの話

 なんかまあよく見かける話なんですが本当に面白くなくて誰にもお勧めできない。もちろんキャラ単体とかキャラ同士の関係性とか、突然生える泣けるエピソードとか、部分部分で見れば好きなポイントはたくさんあるんですが、何せ仮面ライダーって一年やりますからね。話が長いんですよ。長い上に重いんだから、見るときに失敗したくないという打算が働くのは当然。それで令和になってから失敗続きなので十把一絡げに低評価喰らっている状態です。多分。市場調査しないんで適当。

 最初、令和ライダーの始まりということで始まったゼロワンはかなり惜しいところまでいったのですが、途中でコロナになってしまい…。私は滅亡迅雷推しだったので残念でした(不穏な噂を聞いているので映画は観ていない)。

 セイバーの話はしないでおきましょう…。リバイス本編はギリギリでしたがヒロミっちで許しました。ギリギリ。で、まぁ本編シリーズの50話とかその辺りのド終盤の話の間のエピソードとして作られた夏映画(以下、バトルファミリア)について語ります。

五十嵐元太の台詞にかつてないほど情緒が壊れた

 めちゃくちゃ曖昧な記憶なんですが、元太が映画の中で復讐に燃える青年に向かって「復讐なんてやめろ。そんなこと天国のご両親も望んでない」と語りかけるシーンがあります。これ言うとき、私「言うなよーそれだけは言うなーやめろーやめ……クソッ!!こいつマジかッ!!!言いやがったッ!!!!!!!!!!!」とひとりブチ切れてました。

 これ、私が一番嫌いなタイプの説得の言葉で、しかも物語自体がその台詞を肯定し、復讐心に燃えるキャラが説得に応じるという展開が無性に腹が立つのです。一言で言うと地雷です。ここの、腹がたつ、という自分の感情を因数分解してみます。

 腹がたつ=怒り、と言うのは第二の感情と言われていて、基本はそのベースに別の要求が潜んでいます。ここを因数分解するためにはなぜ、自分がそのキャラに苛立つのか?を丁寧に読み解く必要がある。

 で、私の場合、どうも「他人に行動を口出しされたくない」と言う自分自身の欲求が強すぎるようです。復讐者の方に感情移入し、止めてくるお節介なキャラのことを親の仇のように憎んでしまう傾向にある。

 あとは、怒り、という感情が社会によって抑圧されやすく、自分自身も持て余しているから、他のお節介な行動に比べて沸点が低めなのでしょう(そもそもリバイスは主人公がお節介キャラですが、それにはそこまで苛立たなかった為)。

 要点を押さえます。
 復讐心を持つキャラに、復讐をやめろと止めるキャラのことが嫌いなのは、

  1. 自分の行動に口出しされたくないから

  2. 怒りという感情は特に抑圧されやすいから

 という結論に至りました。では次に、この厄介な怒りという感情について語ります。

怒りについて因数分解する

 私自身、昔、何かの心理テストで「攻撃性の数値が女性にしては高い」と言われており、まぁ自覚あるんですが瞬間湯沸かし器みたいに怒ることが結構多くて。昔から結構カッカカッカして、周囲を大変に困らせていたと記憶しています(PMSとかも感情面に多大に出てくるので、自分で制御できていなかった面もある)。

 で、怒りについては、制御できなかった学生時代、制御しすぎた社会人時代を経て、今、兼業主婦やってますけど、出すべきところは出した方がいい、うまく向き合った方がいい、という結論に落ち着いています。何故かというと、怒りは、自分を理解し、守るためには必要な感情だと思うから

 ここで怒りについて、腹がたつポイントを二つに分けます。

  1. 怒りそのものは忌避すべきものではないのに、怒るなと言われる

  2. 自分が我慢してきたからお前も我慢しろという同調圧力を感じる

 ②については嫌いだと思う方は多いと思います。でも、②を自分がやってしまっていることって意外と多い。私もそうです。そして②をしてしまう時、人はなぜか「自分もそうだったからお前もそうしろ。でなければ不公平だ、不愉快だ」という本音は置いておいて、「マナーだからそうしろ」と迫るのです。あやふやな意見で人を説得しようとする人間には本音で話せよつまんねーな、といつも思っています(思想が強い)。

 ①の怒りは忌避すべきではない、は意見が分かれるかもしれませんが、ともかくこれが私の持論です。怒っている人に「なんで怒っているのか」ではなく「とにかく怒っている状態をやめてほしい」というのは変じゃないか、と常々思ってるんです。笑っている人に「とにかく笑っている状態をやめてほしい」とはならないでしょう。※怒っている男の人が怖い、身の危険を感じる、とは別です。

怒りについての蛇足

 人間は誰だって蔑ろにされたらいけないし、そもそも自分を蔑ろにしていいわけがない。人権という言葉が揶揄されがちなオタク界隈にいるので伝わらないかもしれませんけど失礼なことされたら怒っていいんですよ。それが自分の人権を守るってことです。だから他人のデモ活動を止めにかかる人もおんなじくらい私は腹が立ちます(ヘイトデモはあかんが)。

 そして怒るって結構訓練がいることなので、いきなり怒れったって怒れないと思います。あと怒るって何も無理矢理ボルテージあげて怒鳴り散らすだけが怒るじゃないですからね。自分の中に湧き上がった怒りを相手にNOを叩きつける勇気として利用して、かつ即座に因数分解して自分の本音を探って妥協点を考えるきっかけにする。「今のは失礼すぎませんか。私は今怒っています。何故なら〜…」。そうやって冷静に伝えることだってできるし、していいと思う。

 まぁ、これは蛇足です。怒りについての私見という事で。

改めて、復讐について

 復讐との向き合い方はジョジョの奇妙な冒険第6部でエルメェス(というか荒木先生)が完璧な答えを出してくださっているので皆さん漫画かアニメを見てください……で終わってしまうと結論が出せないので、簡単に説明だけします。

 まず、復讐者というキャラはジョジョに二人出てくるのですが、それが3部のポルナレフと6部のエルメェスです。ポルナレフはかなり重い過去があるキャラなのですが、重い過去の話も主人公たちは「そんなことが…」で終わりです。すごい。誰も止めない。そして復讐自体は襲ってきた敵の中に対象者がいたため爽やかにキッチリと復讐して主人公たちの旅に同行します。誰も止めません。それどころかノリノリの典明。しかも死者が少ない3部において数少ない死亡表記がされます。キッチリ殺害。すごい。

 6部は同様に重たい過去を持つエルメェスですが、6部自体が3部と違ってノリが重いため描かれ方も重い。でもエルメェスは「復讐は自分の運命への決着をつけるために」と言います。死者がどう思うかは関係ないと断定するのです。肉親をドブに捨てられ何もせず生きる人生は真っ平ごめんだ、と。

 誰も死者とは対話できません。殺された人は、殺されたことを恨むかどうか、殺されてるんだから会話しようがない。復讐を決めるキャラは一体誰のために復讐をするんでしょう。死者のためなのか、自分のためなのか。この、誰のために、何のために、が皆曖昧だから事態をややこしくするんですよ。エルメェスはその主軸がキッチリしているからブレないんです(そしてジョジョのキャラは大抵ブレない)。

 あらゆる創作物において、復讐者キャラ、及び復讐をとどまるよう説得するキャラは、
【何のために、または誰のために復讐するのか】
 を、曖昧にしている可能性が高い。本当のところはどう思ってるの?という点がブレるから、止めようと思ったり、止められたりしてしまうのだと推測します。

 ところで、復讐に限らず、大抵の場合、誰かのためにという動機で行動する人は主軸が他人にある人、といえそうです。代表的なところで言うと武士。武士は仕える主人のため、命さえも他人に委ねている。自分が主軸にあるようでいて、全くの人任せです。

 近いもので言うとヒーロー。奴ら、のべつまくなし人を助けたがるから。いつでも他人のために行動している。他人のために行動することが自分の軸、といえなくもないが、そこに至るまでのドラマや因果関係に読者として納得感がないと強烈な違和感を覚えます。他人の為に命かけるのにそこに理由がないなんて、私からすればやはり主軸が自分にあるとは思えません。

 どうも私は、自分に主軸がない(ように見える)キャラというのが元々好きじゃないようです。

 話を戻します。武士やヒーローと違い復讐者は物語上、その使命を全うできないことが多い。それは何故かといえば、行動の発端が怒りだからではないでしょうか。怒りは第二の感情。その内側にある想いは、復讐のきっかけとなった出来事に対する強い悲しみや憤り、無力感。それを抑圧して生まれる感情だからブレやすい。あと、怒りを抑圧したがる日本人的感性で作者側が復讐を抑圧している気がする。
 まとめます。

よくあるパターン

  • 復讐者は肉親を殺された。強い悲しみを怒りという感情で誤魔化し、肉親のため、という他人軸で復讐を決意する

  • 復讐者の肉親と近い立場の人間、もしくは、復讐者の周囲の人間が、殺された肉親はそんなことを望んでいない、と復讐者を説得する

  • 復讐者は、自分の本音と向き合い(主軸を自分に戻す)、薦められるままに復讐を諦める

なぜ、復讐は物語上で止められてしまうのか(メタ的な視点)

  • 作者側が怒りを肯定的に見れていない可能性がある?

  • 怒りはその裏に本音を隠しやすい。ドラマを作る上で、復讐者の本音を引き出すことで復讐を止める、と言う展開がセオリーになってる?

 私が復讐を止める物語自体に腹が立つのは、それを作った製作者側の怒りへの取り上げ方に、怒りを抑圧しようという気持ちが透けて見えるせいなんでしょうね。

バトルファミリアと因数分解

 上記のパターンはよくあるパターンですが、バトルファミリアも大枠こんな感じです。復讐心に燃える青年は両親を殺されています。同じ人の親としての立場から、元太は青年を止めようと試みます。そして元太は怒りに我を忘れて復讐することではなく、今生まれゆく命を、人を守ることを優先し、復讐心を克服します(都合よく何故かハイジャック機に臨月の妊婦が乗り合わせていてよかったですね)

 まぁ、元太は設定として記憶喪失時に怒りの感情を忘れているというのがありますから、もしかすると記憶を取り戻した後も怒りにはまだ馴染んでいないのかもしれない。わかんないけど。

 リバイス自体が、家族礼賛モノのなんだか怖い話、という結論に達してしまったので(私の中で)、どうしてもバトルファミリアの復讐者(ゲストキャラ)周りの話もそういう結論にするしかなさそうです。
 兎にも角にも家族は素晴らしく、復讐や怒りを子どもに望む親はおらず、出産は何の設備もないバスの中で行える、ということを子どもに伝える映画でした。ケインコスギがかっこいい映画でした!

結論

復讐を止めるキャラのことが嫌いなのは、

  • 自分の行動に口出しされたくないから

  • 怒りという感情は特に抑圧されやすいから

怒りという感情に特に敏感になってしまうのは、

  • 怒りそのものを忌避する姿勢が嫌いだから

  • 自分が我慢してきたからお前も我慢しろという同調圧力が嫌いだから

復讐キャラがよく復讐を止められるのは、メタ的に考えると、

  • 作者側が怒りを肯定的に見れていない可能性がある?

  • ドラマを作る上で、復讐者の本音を引き出すことで復讐を止める、と言う展開がセオリーになってる?

そのため、復讐キャラを止める、改心させる物語自体が嫌いなのは、

  • 復讐や怒りに対しての作者側の、怒りを忌避する姿勢や他人に行動を口出ししてもいいという姿勢が、透けて見えるから

問い:「復讐なんかすべきじゃない」と説得するキャラと、復讐心に燃えるキャラが説得に応じるという物語がなぜ地雷なのか

答え:怒りを抑圧される自分の環境と復讐者を重ね合わせて、一人でシャドウボクシングを始めてしまうから。

 な、長かったな…ここに至るまでに6000字もかかってしまった。しかし地雷って言葉は便利すぎるんですが、嫌な気持ちほどきちんと自分で言語化はかっておいた方が後々精神衛生的に良いという持論があるので、やったことに後悔はありません。読んでいただき、ありがとうございました。

※きちんと記事にするなら出典とか数値とかだすべきなんでしょうが自分が自分の為に書いた記事なんで途中の根拠部分は全部ふわふわしてます。仕様です。ご了承ください。


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