エモいって言うな
心をえぐられるものからようやく解放されたような気がした。私は日本語がとてつもなく怖い。心に響き過ぎるから。言葉の、文字のひとつひとつがずどんと身体の中に入ってくる。丸い大きな石を噛み砕かずに飲み込むように、かたまり達が喉を圧迫し、消化されずに胃に溜まっていく感覚。体が重くなって、普段より強い重力に押し潰されて横になってもまだ苦しい。わけもなく涙が流れてきて、何も手がつかない状態の自分を責めながらベッドで泣き疲れていつのまにか眠りにつく。そうすることしかできない。
16歳くらいの多感な時期から邦楽を聴くと苦しくなり過ぎて、洋楽を好むようになった。銀杏BOYZや志磨遼平は好きだったが、それらを朝聴くと家から出られなくなったり、頑張ってバス停までは行けても学校へ向かうバスに足がすくんで乗れなかったり、かろうじてバスに乗れても学校の最寄りのバス停で降りることができなかったりした。そういう時は大抵、イヤホンで耳を塞いだまま音楽を止め、ふらふらとあてもなく歩いたり、学校の最寄りのバス停から少し離れたバス停で下車したりしていた。目から涙が零れ落ちる。どの道、学校へ行くことはなかった。
18歳くらいの頃から洋楽を聴き始めた。なんとなくでしか意味を捉えられないが音はかっこよくて、その心地の良さが好きだった。ただ、好きな曲の歌詞の和訳を調べたりして意味がはっきり分かってしまうと、それ以上は聴けなくなる。言葉が心に刺さって苦しくなってしまう。
19歳くらいの頃からは英語を英語で捉えたり、漫画は苦しくなるから読まなかったり、本は自分のぶっ刺さるジャンルの少しずれた所を漁ることで心が苦しくなることを避けた。音楽や小説といった言葉に支配されないことは、私にとって、社会性を身につけるための処世術に近かった。いつまでもこんなんじゃだめだと思っていた。学校に行けないとか、音楽や本に触れた衝撃で何も手につかなくなるなんて変でおかしくていけない事だと考えていた。普通の人みたいにならなきゃ。自分を苦しめるものを遠ざけることで私は私を保っていられる。これは自衛だ。そう言い聞かせて、一番琴線に触れるものはあえて避けて生きていくことが正しいと自分に言い聞かせていた。
そうやって数年過ごして、私は私の中身がいつしか好きじゃなくなっていることに気づいた。薄味のしけたせんべいみたいな、ペラッペラの人格。にごりやえぐみが無い代わりに深みもない。いつかの対談でこんな感じのことをよしもとばななが言っていた。「食べたものが体に影響するのと同じように、えげつないものやことに触れていたら心が不健康になってしまう。本や言葉は心の栄養で、良いものを摂取しなければいけない。」と。私はここ数年大好物を何も摂っていないんじゃないか。もちろん大好きなものに囲まれて過ごしていたし、洋楽はシビれるほどかっこいいし歴史を感じて面白いから好きだし、本も映画も素敵なものに出会ってきたけれど、一番好きなものの二つ横くらいのコンテンツを手に取り、どこかで自分をだましながら、何かに諦めながら生きてきた。それが、大人になるってことだと思っていた。
でも、もっと、苦しいとか辛いといった自分の気持ちを全部抱えながら生きていかなきゃ、つまんない大人になってしまう。自分の気持ちに責任を取る。好きも嫌いも好き過ぎて苦しいも全部ひっくるめて。
こういう、心にぶっ刺さって抜けない、誰にも分かってもらえなかった原罪を暴いて全て許してくれるような本や映画や音楽によって、自分が引きちぎられるような苦しさを「エモい」というのだろうか。バラバラになる自我を共通言語で共感して必死に繋ぎとめようとするのだろうか。
自分にしか見えない地獄と天国は自分だけで抱える。もう成長を間違わない。