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スタッフストーリー#10 / ラーメン屋になるつもりだったのに、なぜか看護師を目指している理由


ラーメン屋になりたい、と思っていた。
それが、なぜかいま看護師を目指して勉強をしている。

青梅慶友病院で働いて5年目。
リビングサポーターとして勤務してきた相良さんは現在、病院職員であり学生でもあるという二足のわらじの生活を送っている。
午前中は慶友病院で働き、午後からは看護学校で勉強する毎日。

今回のスタッフストーリーは、本人曰く「ただのラーメンとギャンブルが好きなだけの男」だったという27歳の青年が、看護師を目指すことになったストーリー。

仕送りはパチンコ玉になって消えた


いやー恥ずかしいですけど、とにかく勉強をしない子供でした。

小学校、中学校のころはまったく勉強せずに毎日遊んでばかり。
高校入学後に陸上競技(高跳び)を始めたら、そこからはひたすら部活漬け。
一つのことにのめり込むとそのことに全パワーを注ぎ込むタイプ、と言えば格好良いんですけど、実際はただ単に勉強が好きじゃなかっただけです(笑)

子供のころ、将来の夢はあったんですか?
こんな職業に就きたい、というような。

はい、ありました。料理人です。
料理をするのが好きで、中学生のころには将来は料理人になれたらいいなあと。

高校に進学するタイミングで、料理の道は考えなかったのでしょうか。

うーん・・
ぼんやりとは思っていましたが、それほどの覚悟があったわけでもなく。

結局、「友達も行くから」という理由で高校を選びました。
そもそも成績の問題で選択肢は限られていて、なんとか行けるところがそこだったという感じです。
でも、その高校で高跳びに出会ったおかげで、大学にも進学できて。
消去法だったけど結果オーライ、という感じですね(笑)

相良さんが、そんな風に自身の過去を振り返る口ぶりや態度には、不思議と卑屈さがない。
苦労話、努力話は語らずサラッと「ラッキーでした」と笑うが、もちろん”運”だけで結果を残せるものではない。
高校3年時、走高跳の福島県チャンピオンとなった相良さんは、大学に進学することを決めた。

写真中央が相良さん。東北大会で5位に入賞し、インターハイにも出場。

大学に進学したのは、陸上競技を続けたかったからでした。
その時点で「将来は料理人」という思いが消えていたわけではありませんが、高跳びの世界でもう少しチャレンジしたかった。
続けられる環境があるならどこでも、という気持ちで体育大学に進学しました。
同時にこっちの道を選んだということは、料理人になるにはかなりのタイムロスになる。
だいぶ遠回りをしてしまったという自覚はありました。

大学時代はどんな生活を送りましたか?

家を出て、一人暮らしを始めて、気ままな時間を手に入れて・・・
正直に白状しますけど、毎日パチンコを。
“親の仕送り”でパチンコ通いをしていました。
当時のことを思い出すと今でも「ごめんなさい」という心境です。

陸上競技の方は?

そちらはしっかりとやっていました。
根はマジメなんだと思います。
競技にはしっかりと向き合っていました。
でも、それ以外の時間はパチンコ台と向き合っていました(笑)。
と、いうわけで大学時代もろくに勉強せず・・・
このインタビューを大学の先生方が読まないことを願っています。


中央が大学時代の相良さん。東北インカレは第3位だった。

あまり勉強はしなかった、ということですが将来のことはどんな風に考えていましたか?
就職に対する準備はしていたのでしょうか。

いえ、それが・・・
本当に情けないのですが、まずは卒業をすることに必死で、就職活動をする余裕がなかった。
3年間サボった分、4年生のときは毎日講義で埋まっていましたから。

相良さん曰く「最終的には本当にギリギリで、なんとか卒業にこぎつけた」のだという。
卒業の目途は立ったものの、就職活動に割く時間はなかったため内定は一つもない。
そんな状況を、所属するゼミの先生に伝えたことから事態が動いていく。


医療にも介護にも興味がなかった


卒業までもう半年を切っていました。
ゼミの活動でたまたま東京に出てくる機会があって、その際に「ついでに青梅まで行ってきたら」とゼミの先生に勧められ、慶友病院のインターンに参加させてもらえることになりました。
実はその先生というのが、大学の先生になる前にこちらで働いていたという経歴の方で「いい職場だから」と教えてもらえたのです。

なるほど、それが相良さんと慶友病院の出会いだったのですね。
ちなみに、それまでに病院で働くということをイメージしたことはあったのですか。

いえいえ、まったくないです。
医療のことは何も知らないし、そもそもこれまで医療や介護に興味なく生きてきて、こんな自分が働いちゃいけない職場だろうと思っていました。
だから、病院の受入れ担当の方にも、そのとおり正直に伝えたんです。
するとその方がこうおっしゃってくれました。
「そうですか!一緒ですね。私もそうだったんですよ」

“いま知らないこと“は、問題ではないと言ってもらえたこと、
それに実際に来てみたら、それまで抱いていた病院の印象とはまったく違うことに驚いた。

高齢者の病院ということで、勝手にネガティブなイメージを持っていました。
でも全然違う。
暗い雰囲気はないし、きれいだし、スタッフの方がフレンドリーで楽しかった。
インターン中に、たまたま職員の交流イベントが開催されていて誘ってもらったのですが、その会も楽しくて。
うわあ、こんな楽しい雰囲気で働いているんだ!と、とにかく驚きました。

インターン中に参加した職員イベントで、後に同期入職となる伊藤君と


慶友病院との出会いは相良さんにとって、ラッキーだったと言って良いのでしょうか。

はい。
本当に幸運です。

慶友病院が、採用の期限を定めていないことにも救われました。
大学卒業まで半年を切っていましたが、まだ採用試験を受けさせてもらえるというし、働かせてもらえるならぜひお願いします、という気持ちで面接を受けることにしました。

こうして相良さんは、生まれ育った東北を離れ青梅慶友病院のリビングサポーターとして社会人生活をスタートさせた。

 ≪リビングサポーター≫ の仕事については、YouTubeのショート動画でも紹介しています。


ラーメン屋になるか、それとも


青梅慶友病院に入ってみて、実際はどんなところでしたか?
率直な感想を聞かせてください。

一言で言うと「しっかりした職場」だと思います。
例えば私の場合は、医療や介護の知識も経験もゼロでしたが、研修でイチから教えてもらえました。
知識や技術が不十分なまま現場に放り出されるということはありません。
業務のことだけではなく社会人生活に必要な知識、例えば保険のこととか積み立てのことなんかも、職員向けセミナーで教えてもらえたのがありがたかったです。給与水準が高いとか、休みの希望を出しやすいとか、そういう魅力もありますが、私にとっては、働くボリュームを調整できるということは大きなメリットでした。

働くボリュームを調整できる、というのはどういうことですか?

決まった就業時間のほかに、もう少し稼ぎたいと思ったらプラスαで働けたりするんです。
私の場合、社会人になって覚えた趣味が、ゴルフとか釣りとかお金のかかるものが多くて。
朝夕の空いている時間を使って、病院のパート仕事を本来業務とは別でさせてもらっていました。

一方、今は逆に学校の勉強があるので、就業時間は減らしてもらっています。

そうそう、相良さんはいま看護学校の学生でもありますね。
入職前は医療にも介護にも興味がなかったと言っていたのに、なぜ看護学校に通うことになったのでしょうか。

本当に人生ってわからないですね(笑)。
実は慶友病院に入職してからも、昔から抱いていた料理人への思いが心の奥でくすぶっていました。
特にラーメンが大好きなので、ラーメン屋を開きたいと真剣に考えるようになって、部署の先輩にも相談したり、これからの人生を考え出しました。
入職して3~4年が経ったころです。

実際にいらっしゃいますよね。
慶友病院のリビングサポーターを退職後に、まったく別の分野で活躍しているケースも耳にします。
映像クリエイターになった方や、パーソナルジムを開いた方も。

そうですね。
だからここでお金を貯めて、ラーメン屋を始めるのもいいなと考えたりもしたのですが、同時にもうひとつの選択肢があることも意識していました。

働きながら資格を取るという道です。

慶友病院でよく耳にする、医療専門職へのキャリアチェンジですね。

はい、実際に多くの先輩が、働きながら学校に通って理学療法士や作業療法士、そして看護師に職種を変えてきたことは知っていました。
それまで自分ごととしては考えていなかったのですが、ラーメン屋になるという具体的な将来像を思い描いたときに、もう一方の選択肢も急に現実的なものとして浮かんできたんです。
「そうか自分にも医療職が目指せるのか」と。

ガラにもなく、これからの人生を真剣に考えました。
今だからチャレンジできることって何だろうと。

キャリアチェンジの先輩スタッフと

ラーメン屋はまだ、この先にチャンスがあるかもしれない。
でも学校で勉強して資格を取るなら、いまがベストだ。
そう考え、悩んだ末に相良さんは看護学校の道を選択したのだという。
いずれ"看護師にしてラーメン屋”なんていうのもおもしろいかもしれない、と。

自分は、これまでいい加減な人生を送ってきましたが、
それでも病院という場所で働く中で「医療っていいな」と思える瞬間に何度も立ち会うことができました。
体調が悪い、苦しい、という目の前の人を「支える」ことができる仕事っていいなと、心から思えたんです。
より専門的に患者様を支えることができる看護師の仕事が羨ましい、という気持ちが芽生えていました。


現在通学する看護学校にて

短時間勤務とはいえ、仕事を続けながら学校で勉強するというのは大変なことも多いと思います。
どう両立をしていますか。

日頃、口に出さないだけに照れくさいですが、同じリビングサポーターの仲間、特に同期の伊藤君の存在は大きな支えです。
同世代の男性職員はそんなに人数が多くないのですが、そのぶん連帯感が強くて。
ホッと息抜きできる瞬間をいつももらっています。


これまでの自身の歩みを振り返ってどんなことを思いますか。
最後にそう質問をすると相良さんから、こんな答えが返ってきた。

「人生、どうにかなる」ですかね。
勉強嫌いの自分が大学まで行って卒業もできた。
良い職場とも巡り会えた。

それで、いまは看護師を目指している。
本当に「どうにかなる」んですよねえ。

「どうにかする」ではなく「どうにかなる」という言い方は自虐的なユーモアを好む相良さんらしい表現なのかもしれない。
でも目の前の目標を「どうにかする」ためにいつも努力を惜しまなかったから、そして「消去法」や「偶然」で立つことになった舞台であっても、その瞬間その瞬間で力を出し切ってきたからこそ、相良さんの歩む道は次へ次へと拓かれてきたのだろう。

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