水星の魔女の感想とは一緒にしたく無いので、別に書く

水星の魔女関連でSF考察の動画を最近よく見ていたのだが、一般的に陥りがちな偏見的な書き方をしていてガッカリした。

「魂なんていう、オカルト的なものでは無く」
という言葉。
それは、「魂という言葉を宗教と結び付けてしか考えられない、科学万能的な思い込みでは?」。
SFとは、そういった「オカルト的な何か」とは違って、もっと高尚で賢いらしい。
知識というものは往々にして、誰かに与えられたものである。
「考察と呼ばれているもの」の大半は、実際には「過去に誰かから与えられただけの蓄積した知識を再構築したもの」でしかない事が多い。

私はそれが嫌いだった。
だから与えられた情報、即ち、「言葉と映像」から、「教えられなかった部分」、つまり、「恐らくは高確率で真実だと推察されるもの」を考え、それらを纏めて話として構築した、『破壊の詩が聴こえる』として。
与えられた知識だけで、「誰でも殺せる武器を手に入れた気分に成って」、賢い振りをする。
それは或る意味、とても「人間らしい」。
与えられた有機思考ユニットから算出される事を、「自分達が獲得したもの」だと思い込んでいる。
それは、とても「人間らしい」。
無から有が作り出せないのが、とても「人間らしい」。

例えば。
今でも YouTubeには「偉人が言っていたから、やっぱり神は居ませんでした!」という内容の動画が投稿されている。
何を信じようとそれは個人の自由だが、この「自分の言葉では何も語れない癖に、権威の有る誰かの言った言葉を見つけた途端、鬼の首を取ったかの様に勇ましく成る所」なんて、本当に、人間らしいなと思う。
手前味噌だが、私が書いた作中「世界は幸せだったのだろうか?9」の
「だって何処かの偉い学者が言ってたもん!」
と、何も変わらないではないか。
いや、現実でそんな下らない事を実際にしないでくれよ。あれは、「馬鹿な一部の人間の台詞」として書いてるんだからさ(´・ω・`;)
いやさ、馬鹿にしてるとかでは無くて、小説の中で「悪い例」として描いている事を、そのまんま現実でやられるとね・・・凄くガッカリするよね、っていうね、それだけの話です。

ただ、今回の事で、SFの知識を盲目的に信じている人にとって、SFの教えはカルト宗教の教理と大差無いものなんだなって、少し思ってしまった。
「神は居る」と言う者を「馬鹿者」呼ばわりする割には、自分達の信じる知識(形を変えた偶像・アイドル)には盲目的に忠誠を誓って、一切の疑念を挟まないっていうのはね、流石に頂けないな、って。
立ち位置の比較に自分を当て嵌める事をしない為に、社会一般の俗説的なバイアスで掻き消してるだけだからね。

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