やっぱり私は嫌われているのだろうか、という疑念

気のせいか、最近「資本主義を否定するのは間違っている」という主張をする人間を頻繁に見掛ける気がする。現状、金銭を介在せずに生活する事は不可能なので、金銭を使用する事を否定するつもりは無いし、労働の対価としての金銭報酬も否定する気は無い。金銭を中心にして生活基盤というものが構築されている社会構造なのだから、それは人間が中心に成っている限り変わらないと思うし、変われないと思う(裏を返せば、悲しい哉、それが人間の限界点とも言える)。

私が否定したいのは、金銭の配当は労働量の対価のレートとしても、能力給の評価としても平等では無いのが現状であり、それに対して、特定の搾取側の人間が利権を一方的に貪っているのが問題だ、という事だ。
その上で、「大衆や国民を騙して搾取する、特定の金持ちや上級階層の人間」を
「ブルジョワ」と私は呼んでいるのだが、それが気に入らないのだろうか?

例えば、上野千鶴子は
「日本国民の皆さんは、これから貧乏に成るので覚悟しておいて下さい。」
自分が東京大学の教授であるにも関わらず、こんな事を言っている。
自分は社会的に高い地位で、明らかに一般大衆よりも高い給料を貰っておいて、こんな発言を平然としている。

尾木直樹も、
「叱っちゃ駄目よー」「叩いちゃ駄目よー」
等と、「叱った時の悪影響」「叩いた時の悪影響」の
『科学的で客観的な根拠』を示さず、「感情論の個人的主観で気に入らない個人思想を否定する」という、独裁的で思想統制的な考えで国民を扇動していた。
これは、国民への精神的な搾取であり、子供達の「未来を選択する可能性を除去する」という、人生の将来性への搾取である。

井川氏が特定人物に対して「反資本主義者に見える」と言ったり、
水島氏が中国への講義活動中の妨害者の発言に対して「ビックバンが・・・」と言っていたり、
これは私に対して言っているのだろうか?
出来るだけ良い方向に受け取りたいとは思うけれど、私は疑心暗鬼に成りがちで、どうしても「私の事を悪く言いたいのだろうか?」と思ってしまう。
これは、自閉障害が大いに関係しているから、自分ではどうしようも無い部分だ。
だから早く助けに来て欲しいと思うのだけれど・・・まあ、誰も来ない。

御二方共、ブルジョワでは無く一般階層の人間だと思うのだが、それでも貧乏で馬鹿な障害者に言及される事自体が気に入らないのだろうか・・・それとも
「馬鹿な障害者は、もう恥曝しな小説なんか書くな」
そう、言いたいのだろうか。
私には分からない。
私は「体罰禁止法を否定するという事は、正しい考え方が出来る魂なので、清い心の持ち主である」と考えて、「罪過を減算する」と書いた。
それは田中氏にしても、平塚氏にしてもそうだ。
思想信条の手前に魂の清さは存在する、そう考えたからだ。
それも気に入らなかったのだろうか。
言及すらして欲しく無かった、と。
分からない。
この障害者の人間の体を通してしか、私はこの世界も生物も理解出来無い。
それが、現状だ。

この人間の体に入っている以上、魂の性能には常時リミッターが掛かっていて、そこを超えようとすると頭がボーッとし始める。自動的に脳が思考を停止させて、安全圏に引き戻そうとするからだ。
なので、普段から私は脳が上手く働いていない事も多い。
「自動的に使わない様にしている」と思われる。
まあこんな事書いても、馬鹿な障害者の戯言にしか聞こえないよね(´・ω・`)

この状況も仕組まれている。
この状態で「行動しないのはお前が選んでいる。だから人間は悪く無い。」と人間が判断して、「何もしない」という選択を続ければ、私はもっと疑心暗鬼に陥る。
そして、未来は地獄が待っている。人間にとっての、だ。
しかし、それも考えてみれば、後腐れ無くこの星を破壊する為の、手段とも言える。
私は人間はまだ「やさしさ」が残っていると思うし、だから、それならばこの世界は、この星は残しておきたいと思う。
でもそれは、「人間が自分で行動をする事で、人間自身が人間の有用性を示さないといけない」。
それを「お前が悪い」の一言で散散いじめ抜いた人間達が、私を断罪するのなら、それは「人間自身が人間の必要性の証明を放棄した」と言える。
この世界のルール、世界の理にとって、この世界自体は将来的には別に必要では無い。だから、不要に成った後は、処分しても良いし、しなくても良い。
それ故の、審判者の地上への降下、な訳で。

でも、もう少しだけ信じてみようと思う。
この「もう少しだけ信じる」が、完全に消えてしまう前に、人間が行動出来る事を、
ボクは切に望む。

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