創作者の苦しみの話(将太の寿司2 World Stage感想補足)

こんにちは。夕べ寺沢先生の事を考えすぎてしまい夢に奥万倉君が出てきた私です(爽やかに寿司を握ってくれました)。

寺沢作品の中でも人気の高い将太の寿司はツイッターなどでもやはり一番話題ですよね。そんな中たまに見かける気になる感想が「将太2は将太にあった人情や熱い展開がないからつまらない(意訳)」というものです。

上記感想メモで私は将太の寿司2の事を傑作になり損ねた名作だと評していますし将太の寿司と違うから駄作みたいな言い方されると心が騒いじゃうんですよ。趣味趣向には違いがあるし2がつまらないと思うだけなら別に仕方ないのですが将太無印になれないからダメと言われても困るというか。

将太と将太2はそもそも違う漫画だし、描こうとしていることも漫画表現も全然別物だし少年誌と青年誌では客層も違います。かつてとは違う地味な作劇であってもその中にちゃんと熱い血潮はあるし寺沢先生が漫画家としての技巧を持って考え抜いてやっとるんじゃい! 素人は黙っとれ!

……そう思いたくなった時ふと思い出しました。それは将太2に出て来る岩寿司のエピソードです(以下エピソードネタバレ注意)。

昔気質の寿司職人で自分のやり方を曲げられないゆえ経営が傾く岩寿司の店主と時代に取り残される焦りを感じ新しい技術を取り入れようとライバル店ジェネシスで奮闘するも空回りの店主の息子。この二人の問題点に焦点を当てるエピソードです。

伝統に固執するのも新しい風を受け入れるのも個人の自由ですが、その根底には常に「お客様」がいなくてはならない。相手の為の技術でなければそれは単なる自己満足。新時代の寿司店ジェネシスのNO1サハルは岩寿司の店主にそう指摘します。結局岩寿司親子はやってる事は正反対でも独りよがりな所は一緒なのだと論破するのです。寿司職人としてのプライドなどお客様の役に立たないなら意味がないという事。

「(お客様が)サバを気に入っていたのなら多少良いものでなくてもその人のために用意すべきでした」「質の劣ったネタでも美味しく調理する工夫はあるあるはずです。いい材料しか使いたくないなんて料理人のわがままでしかないですよ」(岩寿司店主が「今日はあいにく良いものがはいらなくて」と注文を断ったことを受けてのサハル談)

これらの談が強烈に私の心を刺します。ここではあくまで料理人のことを言っていますが、これは人を楽しませるという目的を持つ創作者全般に向けての強烈な提言であるからなのです。

上記サハル談を私が最初に言った将太2の作風に関する話と重ねて見るとこんな感じでしょうか。

「(旧将太の寿司読者が)将太の寿司にあったカタルシスを気に入っていたというなら時代に合わなくてもその人たちのために用意すべきでした」「時代遅れのネタでも面白く見せる工夫はあるはずです。自身のこだわりを貫きたいなんて創作者のわがままでしかないですよ」

こうやって考えて見ると本当に将太の寿司2で提示されている問題が一朝一夕に正解を出せるような簡単なものじゃないという事が分かりますよね。岩寿司の場合は結局サハルの考えを受け入れた形になっていますがそれはたまたま時代の趨勢がそっち寄りだったから正解とされただけです。実際問題としてどれだけ多くの人がそれを望んでいるかを正確にもとめることはジャンルによっては困難なのです。

私は将太の寿司の世界観をそのまま現代に持ってきてもバージョンダウンしてしまいあの頃の面白さをそのまま表現することは難しいと思っているので寺沢先生が将太2であのような作風にされたこと自体は正解だと思っていますが、反面多少完成度は落ちても往年のファンの為に割り切ってかつての焼き直しでも良いからファンサービスするというのも商業的観点からはアリなんですよ。

寺沢先生にも絶対葛藤はあったと思う。しかし、先生は自分の描きたいものを全力で描く方を選んだわけです。新しい価値観と古い価値観の中で絶対にぶれない自分だけの物差しを持たなきゃいけないって話が将太の寿司2にはあったんですけど、「寿司の美味しさを決めるのは職人ではなく食べる側でありお客様の喜びがすべてに優先する」という一点は『将太の寿司』『将太の寿司2』共通のもので、そこが寺沢先生の『将太の寿司』における物差しです。物差しを外さなければどんな形であれこれは『将太の寿司』なのだという確固たる思いが寺沢先生にはあったはず。だからこそ将太2が志半ばで終了したのはとても悔しかったんじゃないでしょうか。ツイッターで以下のようなコメント見かけましたし。

打ち切りが決まった後位からドカドカ旧作キャラの跡継ぎたちが投入されるのは先生のせめてものファンサービスなのでしょうか。作風を考えるとあそこで急に分かりやすいライバルキャラが大量投入されるのはちょっと合わないし、いきなりトーナメントみたいなのが始まるのはまたか……とは思います。でも、やっぱりファンとしては旧キャラたちのその後も見たいし新キャラとの絡みも楽しみなところありますからね。作品としての整合性よりファンへの恩返し的な展開なのかなって(それでもちゃんと最後は将太2らしくまとめているのはさすがのバランス感覚)。

どっちの方がより求められる展開だったのかは今となっては分からないのですが、自分のやりたい事をやるか、お客様に合せるかっていうのは本当に難しい問題でそのバランスがうまく取れた作品が結果的に長く残る名作になるって事なんですね。

将太2には寿司業界の持つ構造的な苦しみに寺沢先生自身が抱える漫画家としての創作者の苦しみが図らずもリンクしています。寺沢氏漫画家人生後半に描かれた作品として考えさせられます。絶対的正解のない問題をお客様(読者)の為に永遠に考え続けなければならない無限地獄。こんなこと好きじゃなきゃやってられないです。

古い価値観も新しい価値観もそんな簡単に選べません。それがすぐにできたら苦労はしない。その事が嫌というほど分かる漫画。それが将太の寿司2です。リバイバル漫画として大変誠実で切実なテーマを内包した漫画と言えます。一から何かを生み出すという事がどれだけ大変なのかという事にぜひ思いをはせてほしい。将太の寿司2は人生の含蓄がいっぱい詰まったほろ苦い味わいの漫画であるなぁ……と改めて感じた次第です。私はやっぱり大好きだよ、将太の寿司2。

【余談】本当に感想は人それぞれなんで将太の寿司2が駄作という人がいてもそれはいいんだ……、でも私は好きなんだ。ただそれだけの話です。こう言っちゃなんですが私がイマイチ呼ばわりしてる『味っ子Ⅱ』も人によっては将太2より面白かったって言ってるし実際旧作ファンサービスって点では味っ子の方が良かったのかもしれないし。何をして面白いとするかに正解はないんですよね。あくまで個人の感想として聞き流してほしいところです。人気作の続編ってどうしても初代の影が大きすぎて難しいって問題でもありますね。あちらを立てればこちらが立たずです。

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