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#夫婦関係 「夫は血液だと思ったの」

「夫は血液だと思ったの」

これは会社の先輩が言っていた言葉だ。
これだけ聞くとなんだかよくわからないと思うが、実は愛情に満ちた発言なのである。

彼女は30代中頃でお母さんを亡くした。

誰しも親の死は特別なこと。

彼女も自身が30代とまだ若いうちに突然母親を亡くすというのは、耐え難いことだったと思う。ましてやひとりっ子だと聞く。

そんなとき、彼女を支えていたのが当時出会ったばかりの彼氏で、今の旦那さんだそう。

毎日呼吸をしていないと感じるぐらい辛い日々を送っていた彼女が生きていると実感できたのは旦那さんの献身的な支えがあったから。

旦那さんがいたことで、血液が流れていると実感をしたのだそうだ。
だから旦那さんの存在が自分を動かす原動力であり、特別で、愛そのものだという。

不幸な出来事があったとはいえ、ここまで深く愛せるオンリーワンの存在と出会えていること自体が素敵だし、お二人の絆の強さに側から見ても運命的なものを感じた。そんなお二人を見て私もいつかこんな風に思える人と出会えるのだろうか?と羨ましく思ったことを強烈に覚えている。

この話を聞いてから5年経った今、血液という力強い表現には敵わないが、夫のおかげで毎日が幸せだと思えている。


 自分が自分らしくあれる幸せ。


 平凡な毎日が明るくポジティブであることのありがたさ。


 辛いことも葛藤もすべてさらけ出しても受け入れてくれる安心感。


 他愛のない会話から自分を再発見できる刺激的で知的な日々。


これらは、決して当たり前ではないと思う。

ほとんど惚気にしか聞こえないだろうが大真面目にそう思っているのだ。

とにかくストレスになることがほとんどない。

特に夫婦像をアップデートしてからは本当にストレスがなくなったどころか感謝する毎日に変わった。この話は前回の記事にまとめている。

家事、育児はほぼ分担できていて、例えばどちらかが料理をしていたら、もう1人は洗濯物を取り込むなど臨機応変にその時しなければいけない家事をするように動くし、

子どものために勝手に何か買ったり、習い事にお金を費やしても文句や口出しはされないし、それどころかだいたい「いいじゃん!」と言ってくれる。
もちろん許容の範囲内で、子どもにとって良いであろうことをしているのだから、そんなに否定されるはずもないのだが、そもそも任せてくれていることがありがたい。

朝は子どもと8:00ぐらいまで寝ていても何も言われない。夜泣き対応でぐったりしている私に気を遣ってそろりそろりと起こさないように支度を済ませ、静かに出勤してくれる。
見送ることができなくて、ちょっと寂しいぐらいだ。

夜は19時までには帰ってきて食卓を囲み、大皿料理ばかり出しても美味しい美味しいと食べてくれる。鍋が続く日もあるけど、ダイエットになって良いとか言って、翌朝、体重計に乗っては嬉しそうにしている。

休日も趣味で出掛けたりということもほとんどなく、家で本を読んだり、時々仕事をしたり。たまにサウナに行きたがるが、サウナに行けばご機嫌で帰ってきてくれるのでこちらも快く送り出せる笑

家にいない方がいい、と言う人もいるだろう。人によって賛否が分かれるところだと思うが、自分の趣味に没頭して家のことを丸投げする無神経な人ではない、という点が希少なことだと思う。

世渡り上手で人から嫌われることもない性格の夫に対して、器用なようで不器用な私。
きっともっと上手くやれば良いのにって思っているんじゃないかな。
でもそんなところも含めて受け入れてくれている。

嘘もつかない、というかつけない。ここは本当に信頼している。信頼している自分を信じられると言うべきか。

そんな夫と過ごしていると、生きているというよりは生かされている、自分らしく生きることを認めてもらえているように感じる。

だからこそ何か新しいことにも挑戦してもいいかも!と常に前向きでいられる。

血液という表現じゃないなら、夫は私にとって何になるのだろう。

まだ適切な言葉は浮かばないけど、何か見つけてみたいな。


今は育休中だから自分の心に余裕があって、こう思うのかもしれないが、どんなに忙しくなっても今感じていることを忘れないでいたいと思う。


パパ、いつもありがとう。

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