すべて「アイデンティティの達成」になるから大丈夫
といった言葉をなんだか受けとれない。そう思いたいけど、金太郎飴みたいな言葉に心は動かない。「本当に?」がいつも付き纏う。
てな方、いませんか? いたら今度コーヒーでもいきましょう。僕も同じなのできっと話が合うと思います。
とはいえ、知らない人から急に「コーヒーでもいきましょう」と言われても怪しくて嫌ですよね。いいんです。どうか気をつかわないでください。なので、今日はこのまま一方的にお伝えしますね。身になる話かわかりませんが少しだけお付き合いください。
発達心理学という心理学のジャンルがあり、そこでは、人が発達のその時期その時期で解決すべき課題がある、という考え方をとることがあります。そしてその課題のことを「発達課題」といいます。
年齢によって人には乗り越えなきゃいけない課題がある。課題は難題で、たびたび危機が訪れる。けど、それを乗り越えることで自己が段々と形成されていく。人が成長するには、その時々の発達課題を乗り越えていく必要がある、と認識すればまあ間違いはないと思います。
どうですか? なんとなくイメージできますかね。話が脱線しちゃうので詳しくは話しませんが、気になったら「エリクソン 発達課題」とかでググるとたくさん記事が出てくると思います。
そんな発達課題の中に「アイデンティティを達成するか否か」があります。時期でいうと青年期の発達課題ですね。
「アイデンティティの達成」とは下記を指します。
自己の多面性を含めつつも、自分はこの世にたった一人しかいない存在である、と知っている
現実の社会集団に所属して、自他共に受け入れられている
現在・過去・未来という時間の中で自分が連続している、という自己の一貫性と時間的連続性の感覚を持っている
どうでしょう。3の表現が少し難しいですが、なんとなくは理解できますかね。
「アイデンティティの達成」がなされない状態を「アイデンティティの拡散」と呼びます。その状態では人は自分の人生に対して「全てのことが可能だし可能なままにしおかなければならない」となってしまいます。「自分はまだ本気を出してないだけ」ってやつですね。なんとも恐ろしい状態です。
「アイデンティティの拡散」にならずに「アイデンティティの達成」に至るには、「危機」と「積極的関与」が必要とされています。
「危機」とは、自分の生き方に悩むなど、実際に危機に直面したかどうか。「積極的関与」とは、人生の重要な領域に積極的に関与したかどうか。この2つを経験することによって、人は「アイデンティティの達成」に至ることができます。
自分の身に降りかかる危機を全て乗り越えられるわけではない。行動することや努力することは必ずしも良い結果を得られるわけではない。けど、そうやって自分の人生に積極的に関与することは、すべてアイデンティティの達成につながっている。
どうでしょうか。そう思うと少しだけ自分の頑張りを認めることができたりしませんかね。「いや意味わかんねえ」と思ったらコーヒーでもいきましょう。それではまた!