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僕らは「自分のことば」を探してる

「なんで僕は本を読むんだろう」と考える時があります。そんなことを考えるほど読書家なのか、と問われるとそうじゃないのですが、たま〜に考えてはそれっぽい答えが出てきて「しっくりこないな〜」となる、を繰り返していました。


その答えとして最近有力なのが「自分のことばを探すため」です。本のタイトルについて知りたいというよりも、自分にハマる言葉を求めて本を読んでいる気がしています。


本って昔の本に書かれていたものを表現を変えて発行してるところがあるじゃないですか。「結局この本に書かれていることって〇〇に書いてあるよな」と思ったこと一度や二度じゃないと思います。



それはなぜか。単に昔の本を読んでないからという理由だけではないと思っています。理由として大きいのが先ほどの「本を読むのは自分にハマる言葉を探しているから」で、昔の本は昔の言葉で書かれているので今の人が読んでもハマりにくいんですよね。なので今の人にハマるように翻訳され続けているのではないかな〜と。



本を読むのは「自分のことば」を探すため。ここで大切なのは、本に書いてあることをそのまま「自分のことば」にしてはいけません。



なんでかというと、その言葉は「著者のことば」だからです。著名な人の本から引用した言葉をそのまま誰かに話すと、話を聞いた人は「〇〇氏の言葉だから納得せざるを得ない」みたいな気持ちになっちゃうんですね。


そして引用した人も自分の意見は正しいと盲目的に信じていまいがちです。これは著者の言葉と一緒に著者の権威まで引用してしまってることが原因で、これは「自分のことば」に見せかけた「誰かのことば」に過ぎません。


では改めて「自分のことば」とは何か。それは初めて目にする言葉ではなく、無意識に存在していた自分の言いたいことや自分の存在について意識化を促してくれる言葉。その言葉をみたときに「そうだ/そうだったんだ」と驚きをもって受け入れられるもの。


そして本を読んで探す言葉は、言葉そのものが答えになるのではなく、その言葉を起点に「自分のことば」が生成されるよう促してくれる言葉です。


ちょっと何言ってるかわからない状態だと思うので一つ例をあげますね。


先日亡くなられた精神科医・中井久夫さんの著書『こんなとき私はどうしてきたか』の中にこんな一節があります。


患者さんが「もし・・・ならばどうであろう」という考え方をするようになるということは、それ自体が大きな進歩なんですよ。これは薬ではつくれない達成です。(中略)患者さんは、ストレートな考えしかできないために病気になっている面があるので、「こうかもしれないけど、ああかもしれない」というのはエネルギーが要るんですね。ストレートに一つのことを考えて言うだけならまだしも楽で、エネルギーが少しで済みます。
『こんなとき私はどうしてきたか』中井久夫




これは精神病を患った方の話ですが、全ての人にも言える話だと思ったんです。

鬱々とした気分のときって一つの考えに囚われがちですよね。「この失敗でみんな自分のことを笑っているのではないか」とか「これでうまくいかなかったらこの先もうまくいくわけがない」とか、そんな唯一の妄想に囚われてしまう。


このように思考の可能性が極端に狭められてしまった時に「いやそれは一つの可能性であって、別の可能性を考えてみよう」と別の選択肢を考えることができたならば、いくぶん気分も楽になるのではないか。思考のオルタナティブを取り戻すというか。


それでいうと、コーチングもクライアントの「自分のことば」を発見する支援だなと思っています。「自分のことば」を自分の中に貯めることは、自己理解はもちろんのこと、その人が辛い状況に陥ったときに自身を支える効果があります。


例えるなら「自分のことば」は暗闇を照らす松明と言えるかもしれません。不確実性が高い人生は安易な答えに飛び付かず耐えることが必要ですが、なにもない状態でそれを完遂するのは至難の技。そこに「自分のことば」という松明を持っていれば自分の現在地がわかり、暗闇の中を少しづつ歩を進めることができる。その松明を、「自分のことば」を、思考のオルタナティブを発見できるプロセスを支援したいと考えています。



といったようなことを、『こんなとき私はどうしてきたか』の一節を読んで考えました。このように、本の言葉をきっかけとして思考を転がし「自分のことば」を発見する。この過程とでてきた言葉がとっても大切で、死ぬまで発見し続けたいし誰かの発見を少しでも支えたらと願っています。

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お松
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