「やばいやつ」について
よくSNS上で「こいつはまじでやばいやつ」とか「まじこのメンツあたおかw」という表現を見るので、それについてちょっと考察してみる。
誰の近くにも、頭のおかしいやつや、すごいやつ、やばいやつは存在すると思う。思うに、頭がおかしい、すごい、やばいは全て同義語であり、「その人のことを深く知っている」、あるいはそのことによって生じる「その人の特別感」を意味する。
人は生まれ持って場所性(局所性)を持つので、身近に接する人間を深く知り、関わりのない他人のことは知るべくもない。なのでその人と親しければ親しいほど、その人が他人と異なる変わったやつに見えてくるのは当然である。逆に言えば、すべての人は誰かにとっての頭がおかしくてすごいやつになり得る。まだ知られていないというだけで。そして、知る=すごいやつ認識ならば、自己開示やコミュニケーションなどの上手い人間が周りからすごいやつと見られるのは自然の流れである。
で、それはコミュニティーについても同じで、自分が所属しているコミュニティーがあたおかメンツに見えるのは当然のことである。
このことは別に悪いことではなくて、この性質があるからこそ人は両親や友達など、はたからみればなんの変哲もない身近な人間を尊敬したり、そこから学びを得ることができる。
ただし身近な人間への没入は危うくもある。よく知っている人間だけを特別視して知らないやつを除くという閉鎖性や、こいつはすごいやつなんだという根拠のない崇拝にも繋がる。
大雑把にまとめると、すべての人を深く知ろうとする態度と、すべての人に深く知られようとする態度が人間関係をより面白くする。#すべての人は自分よりすごいやつなのである。
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