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南極ゴジラ、もといこんにち博士へ。

お久しぶりです、おまつです。
この度は、こんさんに言葉を沢山
伝えたことって実は一度もないんじゃないかって
思って、わたしが南極ゴジラに思ってることを
一部かいてみようとおもった覚書です。

(南極ゴジラをもっと好きになってほしくて、
公開する形でつたえてみようと思い立ち
ノートに投稿しています。

南極ゴジラじゃない方へ。
こんにちは。松下奈央です。
奈良県出身、今年度まで大阪府在住の21歳の人です。

私は高校の演劇部から20歳とすこしまで
演出補佐、役者、制作増員、音響など
色々役職を飛び交いながら
大阪の小劇場で活動していました。

演劇の、
プレイヤーも観客も身体感覚が変化し、
そこから交々に人生や共同体へ繋がって行く
演劇をおもしろいと
思い、これを知りたくて沢山の場所に
いき沢山のお話と役と人間に会いました。

(南極ゴジラでは、
第一回本公演「贋作ジュラシックパーク」と、
第二回本公演「ホネホネ山の大動物」
のそれぞれの二都市ツアー、
大大阪舞台博覧会2021
「作家には  サムデイやりたい劇があり
こっそり買った 月面の土地」
で演出補佐をしたり音響や映像のオペを
させていただきました。)

2023年、22歳になる現在は、
大阪府大阪市にある
日本写真映像専門学校写真コミュニケーション学科
写真表現コースに在学し、写真を学んでいます。

これを私は生涯やろうと思っているのが写真です。
演劇をしていたときに唯一学ばなかった、
演劇と写真の両分野に必須であり、
この世界全部を照らしてる光について
しりたくて、写真を始め、
フォトグラファーと作家を目指して
日々生きています。

来春より、東京で写真の仕事に就きます。)

──────────

🦖 🦕 🦴 🌕️ 💫 🚀 


わたしがたった18歳のときに、出会った南極ゴジラ。

確か高校最後の夏休み前、
別劇団の企画公演で知り合った
瑠香さんに、
第一回南極ゴジラ本公演
「贋作ジュラシックパーク」の
演出補佐をやってくれないかと
頼まれた。

つとまるか全部不安で
でもわくわくどきどきしたから依頼を受けて、
二年くらい度々なにかを共にさせていただいた。
当初から合宿稽古での共同生活が稽古スタイルであった、
南極ゴジラ稽古ハウス初号へ、
記録のためJoshinでiPadを買って そのまま
多分うまれて始めて夜行バスに乗って、
向かって始まった補佐生活は、
初めてが一杯で、ご飯を食べて、あたまをなやまして
笑って寝て起きてという生活でした。

この時期、2020年夏は、確か
コロナ第1~2波くらいで繋がりが稀薄で
有人前提の演劇始めとした文化が根絶してしまう
んじゃないかという時期で、
この暖かい空間が
セカンドハウスだと思うくらい大切だった。
大切なものになった。

第一回ハウスでは
押し入れの二段目にドラえもんみたいに
収まって演出稽古記録を撮り続けてました、
そこしかみる場所がなくて、
本当に、押し入れの二段目で、
布団を全部のけて台本を起きメモやペンや資料を
広げて音だしをしていました。

なつかしい。




🌳


わたしが写真を始めてからは、
「南極ゴジラのワンマンショー」
「地底探検」「怪奇星キューのすべて」
で個人的に記録写真を撮りに
伺わせていただいていました。
少しずつ確実におっきくなって
忙しく責任も増えていくのに、

初めてあった18歳の私に声をかけてくれたときと変わらず、
行ってもいいですかと連絡したら
温かく迎えて貰えるのが本当に嬉しいです。

🐑


南極ゴジラの好きなところは、
まず、
作品・プロモーション・関係者全てに
言葉にならない纏まりがあること(言葉を借りるとグルーヴ感。)がひとつ。

また、この纏まりを裏付ける
劇団員個々人の言葉と人間性の魅力で
人を享楽の共犯者にしていく魔法を
しらぬまにつかっちゃうところがふたつ。

そして、世界の根幹をつくるこんにち博士に好きなものがいっぱいあって(創作物、その人の哲学、歴史、学問、日常にころがってるへんてこなものたち)、
その好きという感覚をこんにち博士が
絶妙に作品空間へ戯曲という言葉と演出と
ディレクションでもって体現して混ぜ混んでいくところがみっつです。


🍙


お話の作り方では、
宛がきという、役者本人の人そのもの
(それは
役者としての特性かもしれないし、
他人としてみえてるものかもしれないし、
友達としてみえてるものかもしれない。)
をキャラの構成要素に当てる
技法を元手に作られている南極ゴジラ。
最近、次のようなことを思うんです。

突然ですが、南極ゴジラは、 Q と 星 が
ずっとキーワードに含まれるというか、
お話のどこかに紛れていると思っていて、
この二つの箱には
なにが入ってるんだろうと
最近気になっています。

南極ゴジラ作品の登場人物は
全部違う役で違う人間なんだけど、
一人の人間は沢山の側面を持っているもので、
その側面を毎回違う服を着せて表出している感じがある。

なんだか、毎回入れ替わるんだけどひろーくみて
A B C Dって天体みたいな
おおまかな目星の人物像があり

ひとつの作品にとどまらず
ずっと南極ゴジラの行く末を見続けることで
より全貌を
明かして貰えるんじゃないかと思う。
ずっと見てしまう、見たくなる。

全体を長く見てプロデュースを
意識か無意識かわかんないけどやってて
お話がうまれて人が集まって
南極ゴジラは歩いていっているのかなと思うし
そこを勝手に好きです。

(仕事柄もあるのかなあ。)

つまりなにがいいたいのかというと、
南極ゴジラって 大事にしているグルーヴ感が、
音楽隊、キャスト、座組、劇場、お客さん、
広告、感想、感想を読んだ人たちって
南極ゴジラに纏わるものと
彼らの歴史現在未来にぜーーーんぶにひろがっていく感覚があります。

南極ゴジラがいつか終わってしまうときに初めて
作品ひとつひとつが一層深く役割を持って
地図が完成する。
そのマップはきっとどんな地球儀よりも美しいんじゃないか。

他の小劇場劇団とは違う歩み方をしている気がします、ここが唯一無二ですきなところ。

🍏

わたしはこのひとたちを見ていたいと思います。
他分野のアーティストを巻き込んで行くのも、
総合芸術のおもしろさの一つを体現してて最高。
おもしろくてわくわくどきどきちょっとこわい。

これからもみていたいです。


⛰️

感想。

今回の作品で一番好きだったところは、編集後記の言葉をかりると
モノクロームの世界の中で、
たったひとつ、予告MVがいつでも取り出せる記憶として色彩をもって残り続けていることです。


創作のウォーミングアップでも取り入れられており
重要視されていたという、
見つけて見つめて踊るという行為が盛り込まれた
集合・出会い・未知なる存在・ノスタルジックな予告MVが色彩をもっていて、
その色彩もどこかくすんでしまうような
やさしく脆い色彩で、
ただそれだけが温度をもってささやかに
輝き続けて心に残って、

それが映像公開をやらない今作の、
唯一いつでもとりだせてみかえせる手がかり
になっているところが好きでした。
お守りの記憶、拠り所の記憶って
こういうことだと思った。)

✏️

最後に。
わたしがいっつも「記録写真」
といってお願いしているのは、
わたし、おまつの個人的視点をつよくして
素敵なところを拾っていくこともやってみたいけど、
私はグルーヴ感がはびこる世界を、一歩離れたところで
一番よく傍観しているひとでありたいから。

本当にただただ文字通り記録をしていきたい。
(写真としてのおもしろみと、
なんかいい、
に欠けてしまうかもしれないけど、
いまはこの撮り方をメインで南極ゴジラを眼差したい。 )

だって、
この人たちが描いて行く世界を
正確なモルワイデ図法の平面地図、
正確な地球儀にしたいから。

また撮りに行けたらいいなあとおもいます、
最初の2公演ツアーとサムデイで演出補佐できたのは
私の宝物で人生の肥料です。

今までありがとう南極ゴジラ、
これからも友達でいてくれたら幸福です南極ゴジラ、
大好き~、
頑張れ~、
南極ゴジラ~!

おまつ



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