アラル海の悲劇から考える
皆さんこんにちは、まるです。
ここ最近珍しく投稿が続いてますので、勢いのまま書いていこうと思います。
お時間が許す限りお付き合頂けたら幸いです。
今回の題材はアラル海の悲劇についてです。
僕は現在青年海外協力隊として、モザンビークで活動しています。
インフラ整備が整っておらず、環境アセスメントもしっかり行われていないこの地での、環境教育。
そして農業にも若干携わっております。
そんな中いつも心のうちに考えるようにしているのは、今回の題材でもあるアラル海の悲劇です。
これは当時中学生の社会科で習い、何かの特番で放送していたことが強く印象に残り今も僕の考えに影響を与えるものの一つです。
皆さんもご存じなのではないでしょうか?
言われれば思い出すと思います。
今回はそんなお話です。
アラル海の悲劇
アラル海とは?
アラル海はカザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖で、中央アジア西部の内陸湖になります。湖沼面積は日本の東北地方とほぼ同じ大きさで、こちらは世界第4位の面積を誇りました。
しかし、現在ではその水位は減少し福島県と同程度の面積まで減少してしまいました。
その原因は人間の経済活動と言われており、20世紀最大の環境破壊ともいわれています。
1900年代当時、この地域は漁業で成り立っている地域でした。そこに、鉄道の一部が開通し輸出も視野に入れた漁業が行われるようになりました。この湖には、ブラウントラウトの亜種やチョウザメなどの在来種に加えて外来種も放流され年間4~5万トンの漁獲量がありました。この周辺には、ペリカンやフラミンゴ、シマハイエナ、カスピトラなど多くの生き物が生息し、多様な生態系を気付いていました。
アラル海で何が起きたのか?
1940年代にソビエト連邦は「自然改造計画」を実行し、綿花栽培のために大規模な灌漑を始めました。1950年代にはアムダリヤ川の中流域に運河を建設し、トルクメニスタンの首都アシガバートのほうに流すようになりました。その結果1960年を境にアラル海の面積は急激に縮小し始め、1970年代末には塩分濃度の上昇により魚が取れなくなりました。
1989年には現在のような形に分断され、小アラル海と大アラル海に分かれました。アムダリヤ川流域の湿地帯は干上がり、植生は砂漠の植物に変わり、渡り鳥は飛来しなくなりました。
また、水量低下によって塩分濃度も上昇し海水の2倍ほどの塩分濃度を示すようになりました。そのため、魚が生きていける環境ではなくなってしまいました。
様々な変化により、周辺の村々の産業が衰退し廃村になった地域も多く出てきました。そこに追い打ちをかけるように、干上がった湖底が砂嵐を起こし周辺の植生や住民への健康被害を与えるようになりました。
悲劇の始まり
アラル海は農業用水として価値の低い塩湖でした。そのため貴重な淡水をアラル海に達する前に使いきってしまった方が良いという考え方があり、これらの考え方はロシア革命後も形を変えて引き継がれました。冷戦時代には経済的・軍事的・政治的思想も加わり、「社会主義的政策」により素晴らしい効果を挙げることや、進化する人知と科学により自然を凌駕することで、共産主義は西洋社会や遊牧社会に勝ることを示そうとしました。
その結果、アラル海に流入する水量が大幅に減少し大規模な環境破壊に見舞われました。周辺の緑は失われ、その結果砂漠化が進行し人も生き物も住める状態ではなくなってしまいました。
周辺の村々では、砂嵐に含まれる塩分や有害物質を摂取することによって様々な病気が蔓延し多くの被害が出るようになりました。
現在のアラル海
現在のアラル海では様々な再生プロジェクトが施工されています。小アラル海では世界銀行の融資を経て堤防を築き、水の流出を防ぐようにしています。そのおかげで表面積は増え、水位は上昇し湖の塩分濃度も低下しました。結果、漁獲量も増え今では年間8000トンもの漁獲量を得ることができています。大アラル海では様々な国が関与しているため利害関係が一致せずあまり良い結果を残せていません。また、一部では石油採取のために砂漠化を推し進めているとの声もあります。
アラル海から得られる教訓
人間ファーストな考え方は逆に悪い結果を及ぼす
ことの発端は、綿花栽培や稲作など常に経済活動に有利に働くような思想でした。また、自然を人類が凌駕しその優位性を誇示するといった古典的な考えから生まれたものでした。結果として起こったのは予期していない連鎖反応から、多くの人への健康被害、そして自然資源の減少。この出来事による経済損失は計り知れないものだったと思います。漁業面さることながら観光資源としてのポテンシャルもあったことでしょう。また、すでに絶滅してしまったカスピトラなども生息しており、豊かな自然を感じに多くの人が押し寄せたと思います。しかしながら、一時の利益に目がくらんだ人々はそのまま悲劇の一途をたどりました。
また、このような例はいくつもありオーストラリアやイラン、イスラエル、ヨルダンなど多くの乾燥地帯で起きています。
良質な土地は人間だけが利用したいわけじゃない
湖、湿地帯などの地域は農業適地として人々に目を付けられています。しかしそれ等の資源は他の生物たちも利用している場所なのです。潜在的に優れている土地柄には、多くの動植物が生息しています。
逆に厳しい生息環境の場所には固有種やその土地にしかいない生き物がいたりしますが…
どちらにせよ、人間のみならず多くの生き物にとってそこは貴重な土地ということです。そういった土地の場合の利用には必ず環境アセスメントが必要だと思っています。経済活動が如何にその土地に影響を与えるか。どこまでならセーフでどこからがアウトなのか。その線引きは非常に重要なものだと思います。
特に湖沼生態系は半閉鎖的であるがゆえに生物間のかかわりはその他の生態系より密接な関係があるとされています。また、同じ種の生物でも異なる湖に生息していれば遺伝子の変化があるのは必然です。そして失われた多様性を復元することは不可能なのです。こういった観点からみると、如何に湖が貴重かわかると思います。
復元には恐ろしいほど長い年月を要する
現在アラル海の再生プロジェクトが試されていますが、完全に復活するのは不可能だとも考えられています。また、灌漑をやめても元の水位に戻るには75年以上かかるとも言われています。これは湖に限った話ではなくすべての地域に言えることだと思います。森林でも失われた森を再生させるには100年以上かかるともいわれています。また、遺伝子の話に若干触れましたので追記すると、遺伝的多様性の復活となるとそれこそもう不可能です。失われてしまった固有の遺伝子は元に戻りません。地域個体群が絶滅すれば、別の地域から別の個体群を移植すればいいというものではないのです。
終わりに
だからと言って、増える人口、飢える人々、それらを無視しろとは言えません。そこで求められるのが持続可能な開発です。農業やその他の産業を始めとして環境に負荷を与えない開発はありません。しかしながら、極力それを抑えることができます。それは様々な分野で現在研究が行われています。私にはその全貌を理解することはできませんし、先端的なことはわかりません。ただ言えることは、今回紹介したような事例を頭の片隅に置ておくことで、開発に対して最善策を模索できるようになるのではないかということです。
また、一応私の専門分野の森林で言うと、まず第一に植林が考えられるのではと思います。伐れば植える。当たり前のことですがこれが一番大切だと思います。次へ次へ伐採地を広げていくのではなく、限られた範囲の中でうまく木材を利用していく、木材の利用効率を上げるなどそういった部分も求められています。
まだ他にも大事なことは挙げられるでしょうが、まだまだ勉強不足です。
これからしっかりと勉強していきます。
まず自分に何ができるか、何をしなければいけないのか。
いろいろ考えていきたいと思います。
いろいろと足らない部分もありましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
今回は自分の知っていることをベースに、様々な文献から調べて執筆いたしました。
こういうことがまた自分の知識量を押し上げるものになると感じました。
これからも頑張っていきたいと思います。