生きると言うこと
皆さんこんにちは、まるです。
配属先での活動が始まり、一週間が経ちました。
初の週末を迎え、一人何しようかと思案してるところです。
一応フィールドワークで採取してきた木の実たちから種を採取して、発芽実験をしようかと思ってはいます。
そんなことはさておき、22日金曜日の活動は伝統行事への参加という形になりました。
ここモザンビーク南部に広がるPonta Matutuineにはゾウが生息しており、家屋などに侵入し大変危ないそうです。
人間の生活圏とゾウの生活圏が被ってしまっています。
そのためここでは、ゾウやその他の動物が人間と接触しないように昔から自然に対してお祈りをする行事を行なっています。
今回はその行事に参加させて頂きました。
儀式が終わると、連れてきていた鶏、山羊、牛を目の前で締められ、肉へ代わり、それを食べることになりました。
適正な処理をしていないせいか、肉の味はお世辞にも美味しいとは言えませんでした。
しかし
「命をいただく」
と言うことがどう言うことなのか
「生きる」
とはどう言うことなのか
様々な感情が込み上げてきて、この肉は食べ切らないといけないんだなと感じました。
特に牛が殺される場面は初めて見たと言うこともあり
倒れる瞬間
鳴き声
血飛沫
全て鮮明に覚えています。
これを可哀想と思う人もたくさんいるでしょう。
だからビーガンになったと言う人もいるでしょう。
でも僕はそれは違うんじゃないかと思います。
その感情は間違ってはいません。
ビーガンも間違っていません。
しかし
生きる以上どんな形であり、他の命を頂き、それを後世に繋いでいく。
だからこそ、その真理から目を逸らしてはいけないんだと。
切に思います。
生きると言う事は命をいただくと言う事。
知識としてわかってていても、やはりどこかで忘れてしまっているこの感覚を多くの人に伝えたいと思います。
それこそが環境教育なのではと思いました。
そしてこれを自分の責任として、帰国後の協力隊活動の一つとして生かしていきたいと思います。
着地点がよくわからないまま終わってしまいますが、なかなか言語化しにくいものでした。
また違う形で色々伝えれればなと思います。
ではまた。