その気持ちは目から?耳から?
もうほとんどグラスに残っていない飲み物を、一滴も残すまいとストローで吸いまくる音がとても苦手。でも幼い時は自分もやっていただろうし、保育園の友だちに不快だなんて思ったこともなかった。
不快な音はいつからはじまるんだろう。
いや、不快な音なんてないのかもしれない。
もう残ってないのに、おかわりを頼めばいいのに、ズーズーと吸いたてるその卑しさが不快なのだ。目を閉じてその背景を取り払ったときに、不快と言い切る自信が無い。
SNSも同じ気がする。
見すぎるがあまり、知りすぎるがあまり、傷ついたりイライラしたりする。
でも遮光カーテンみたいに周囲の明暗すら分からないほど壁を作ってしまうのは自由がないし、面白くない。「見なければいいじゃん。」そういうことでもない。
情報が溢れて便利になっていく中で、私に今必要なのは、楽しく幸せに暮らすためのちょうどよいレースカーテンだ。心地よい日差しがないと私は死ぬ。
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