【結の幕】超気軽に東京から大阪までチャリンコで行ってみた話(亀山〜大阪市内)
5日目
2017年11/5(sun)午前6時
アゲインストに見舞われ敢え無く伊賀越えを断念した前日。
しっかりと暖を取り風呂に入り亀八食堂で精をつけて良く寝た。
翌朝。
相変わらず天気の神様には恵まれていた。
亀山周辺には本当に峠の入り口な為何もない。
なのでこういう朝食ブッフェ的なモノが滅茶苦茶有難かったりするわけで。
カロリーは消費するだけ消費しているので取り過ぎても全部吸い込める程度には朝からがっついた。
無論、ここまでチャリンコで来ている宿泊客などボクしかおらず、ORTLIEBのツーリストバッグを両手に抱えた姿がヤケに浮いていたりした。
今日中には大阪に入らなければ。
こんな思いだけでそそくさと朝飯を平らげチャリンコの安全確認を済ませ宿を後にした。
表は寒かれど風は幸いにも凪ぎていた。
白む空に澄んだ空気。
最高だ。
自転車旅の醍醐味とも云えよう。
全身で空気を孟獲類の如く切り裂き脚を進める。
しかし何もねえな……
行く先々に緑しか見えない。
こんな所に昨日の夕方後先を考えずに突撃していたらと思うと━━━━
さて、恒例の誤算ルートの説明。
本日は取るべき最善のルートがMAP上部の甲賀方面。
豆知識だが甲賀は「こうが」ではなく「こうか」と読む。伊賀は「いが」なので間違えやすい。
まあ甲賀方面に舵を切れなかった時点でこんなことを説明する資格すら貴様にはないのだ。
そしてボクが取ったルートは勿論超絶過酷な伊賀越えルートだ。
国道1号線(25号)を真っ直ぐ進めば大阪に着くだろうという非常に安易な考え。
それをバカ正直に5日も続けている。
新幹線だって山を迂回して大津滋賀方面を通るさ。
しかしどうだ、このボクは安定の鈴鹿峠超えだ。
そしてこの時もまだまだまだまだ高を括っていた。
三重〜奈良の山々を舐めていたのだ。
「夜中の箱根峠を旧道で越えたボクに怖いモノなどない」
いいや
「━━━━あるよ」
どっかのなんでもあるBARの店主が言ってきそうな一言である。
人生とは自分の想像を超えるモノが姿を現したりする。
それは勢い良く進んでいる時に限ってバケモノのような得体の知れないエネルギーでぶつかって来たりするものなのだ。
この時は気付かなかった。
鈴鹿峠一つで山は去るはずだった。
だがそんなことどうでも良かった。
朝イチからの登りなので体力はガッツリと回復しておりかなり急な登りでも脚はガンガン進む。
目の前にどんな困難が待ち構えていようが乗り越えられる確信があった。
この5日で計画性や勘は鋭く冴え渡っていた。
世界には、キミ以外には、
誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。
ひたすら進め。
〜ニーチェ〜
鈴鹿峠を登り切る辺り。
採石場だ。
どうやら伊賀は栃木の佐野近辺と同じくコンクリート用の建材の産地のようだ。
「あっ、ボクあの黄色いのに乗れる━━━━ホイルローダーだぁあああああ!!!」
などと下らないことを考えながら1つ目の峠を難なく越えようとしてた。
このベタな急勾配のワインディング。
ひたすらな登り。
腰は浮かない。
ただひたすら脚を送る。
身体は上気し、ただ一点前しか見えない。
疲れも感じ得ない。
伊賀に着いた。
伊賀の里なだけある。
人っ子一人見当たらない。
そりゃそうだ━━━━
伊賀の里の住民は皆一流の忍。
大杣池という池のようだ。
無尽蔵に飛んでくるクナイを避ける妄想をしながら足早に池を立ち去った。
池のそばでこいつらの群生地を見つけたぞ乱獲だッッッ!!!
思えばこんな山奥車でも来たことがない。
と、いうよりか車すら通らない。
実に見晴らしが良い。
このままダウンヒルで鈴鹿峠は終わり何でもない伊賀の市内の平地をゆったりと進む。
でもね奥さん……
伊賀市内はね……
忍 者 の 売 り 方 が
雑。
特に脚の止どころも見当たらずそのまま伊賀を通過。
そのまま山添村を越え天理市から奈良入りを目指した。
またここから2つ目の山添の峠を越すとも知らずに勾配に逆らい始める。
登りは続く。
ず━━━━━━━━っと脚には乳酸が溜まり続けている。
キツい登りだ。
高速の側道にあるアップダウンにひたすら耐えて先へ先へ。
奈良に到達する。
バイカーのメッカである針テラスに到達した頃には既に13時前であった。
朝6時に出立してから7時間で2つ目の峠を━━━━
「超えられていない」
おいおい、このままだと暗くなるまでに大阪に着かないかも知れない。
急がねば……
針テラスでも軽く水分補給をするだけに留めまた峠に脚を向ける。
山添村界隈キツっつい……
この旅は決まってそうなんだけど基本自分との戦い。
君に究極の戦いに参戦する事を勧める。
それは自分との戦いだ。
地球上のどんな戦いよりも激しい。
〜プラトン〜
だがしかしこんな無謀な戦いをこれを読んでる方にはオススメしない。
脚は天理ダムへ差し掛かる。
ここを超えれば遂に奈良市内までは目前だ。
人っ子一人見当たらない昼下がり。
なにか不気味ささえ覚える。
それもそのはず
後で調べたところ━━━━
この界隈は関西でもかなり強烈な心霊スポットだったのだ。
有名な自殺名所。
いまだ発見されていない遺体も埋まっているそうだ。さらにこのあたりはカーブが多く事故が多発している場所でもある。
うつむく男性の霊が度々目撃されている。
他にも受話器から血が流れだす電話ボックスや空中に浮かぶ少年の霊などの噂がある。
またバス停で写真を撮ると霊が写るらしい。
おい、いい加減にしろwwww
単純で純真無垢な少年ボクを弄ぶでない。
そういえば電話ボックスあったn
━━━━閑話休題。
天理ダムを超えてからは10kmに及ぶ爽快なダウンヒルだった。
峠終わったあああああ!!!
ダウンヒルはかいた汗が一気に乾き逆に身体が冷える。
そのままの勢いで天理市に入ると━━━━
Oh……
なにも言うまい。
う、うん飯食い行こう何か見た。
ということで言わずと知れたこちらへ。
もう時計は15時前を示していた。
【天理スタミナラーメン本店@天理】
スタミナチャーシュー
本日2食目。
上品な神座といった印象である。
し、染みる……
必死に食らいつく。
まさか奈良でも豆板醤とにんにくをキメるハメになるとはッッッ!!!
美味しかったです、彩華ラーメンにも是非行ってみたい。
さあ、夕方に差し掛かってきた。
腹を満たしたボクは進む道に悩んでいた。
このまま直線で大阪に入るなら生駒の山を抜けるのが距離的には一番短い。
だがそこに立ちはだかるのは━━━━
ラスボス暗峠。
関西随一を誇る難所中の難所だ。
こ ん な ん 無 理 っ す
今日だけでもう鈴鹿と天理2つの峠を超えてきてるボクに余力はなかった。
なので法隆寺前を迂回して大和川沿いを経由して東大阪から目的地を目指す
今回初となる迂回路を取ったのだ。
これもまた成長である。
大阪市内に差し掛かる頃には大和川のこの夕焼け。
何とか暗くなる前には目的地へ到達出来そうだ。
迂回を換算するとこの時点で走行距離は500kmは軽く超えていた。
市場前を抜け今里筋に入り━━━━
遂に京橋の界隈まで到達。
そして━━━━
目的地へ。
ビールを発明した奴は素晴らしい男だ。
〜プラトン〜
今はなきスタンドノエで舌鼓を打った。
この時点で思い出すことなどない。
この日はそのまま転居先へ帰り比類なき迄に━━━━
寝た。
当初、3日で大阪へ入る予定であった。
だが蓋を開けてみれば5日という大幅な算段違い。
まず結論から云うとチャリンコで東京か
ら大阪までは楽勝で来れる。
だが断じて云える。
超気軽でもお手軽でも何でもないこと。
そして普遍的なモノ。
無難なことの積み重ねに豊かなクリエイティブの可能性が眠っているということは体感できた気がする。
気軽だったのは初日、東京からまだ見たことのない風景に差し掛かるまで。
観光気分だった横浜を抜け箱根峠853mで現実を思い知った。
サイレントヒル静岡の長さに絶望し━━━━
同時に風景の美しさに酔い痴れた。
祝日の名古屋の繁華街では何も食えなくて辛酸を舐めたが。
僻地で思わぬ極上グルメにありつけたりしながら。
多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。
他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、
むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ。
〜ニーチェ〜
そしてボクは今、大阪と東京を転々としながら病と闘っている。
こともあろうに、このチャリンコ旅で必須である「両脚」に病を抱えてしまったのだ。
手術を要するものだし寛解はするだろう。
自分の思う通りに動けないフラストレーションを抱え込んでいたがこうやって文章におこして振り返ることで、
真実の峠は登って無駄に終わることは決してないということを思い知らされた。
楽しかったなあ。
ただ一つだけ。
東京から大阪まで
チ ャ リ で 来
た!!!
また身体が良くなったなら会いたい人の所へ、
行きたいところへ━━━━
自分の脚で行ってやる。
ボクはエンディングが嫌いなのです。
だからまた続きをそう遠くない内に。