見出し画像

ネットの海に文章を流す

現在、このアカウントでは、ほぼ毎日、短文の雑記みたいなものを投稿していて、そのこころとは、Twitterみたくカジュアルにnoteを使ってみたいと思い立ったからなのです。
SNS戦略の話ですね。で、その狙いはある程度の規模では成功しているが、一方で、長文を公開することも、たまには必要であると考えています。長文は裏で仕込み中です…


このnoteで書き続けている理由は、シンプルに、フォロアーさんに読んでほしい、できることならフォロアーさんが喜ぶものを書きたい。

さらにいうと、誰かに「(自分も)なにか書きたいな」と、そのような気持ちになってもらえるような、インスパイアを与えるアカウントになりたい、もっというと、
みんな良い記事を書こうぜ!と、アジっていきたいのです。ゆえに自身でもあえて厚顔無恥に、手広くエッセイも、評論も小説も時事も書いていきます。

むろん、私なんぞの弱小アカウントには手に余る、大それた野望ということも弁えています。ですが私は、もともとブログ第一世代といってもよく、彦坂尚嘉、山形浩生、finalvent、
あのあたりの、偉大なブロガーたちに大きな影響を受けた人間でありまして、つまり根っこは「アナーキー」なのです。もう、アナーキーなくらいに、ぜんぶ手をつけていこう…と。

それらの様式は、ほんの15年ほど前は”特権的な階級”だけが独占している表現のフォーマットでした。時代が完全に転換し、もう誰のものでもないことになっています。


私は経験則で、粘り強く思考するモチベーションと、何日、何か月?かけてもこの記事をものにする!、という強い気持ちさえあれば、良い記事や作品を書けることを知っています。
時と場合によっては、日々締め切りに追われているプロよりも、高い水準のクオリティを達成することがあるのです。
プロは70点の量産主義、対してブロガーは「一発屋」主義が基本ではないでしょうか。

運次第ではありますが、自分の意見の表明が、世の中にインパクトを与えるものになる可能性を秘めている。
「丸山眞男をひっぱたきたい」とか、noteの「この割れ切った世界の片隅で」とか、ネット発の奇跡のような大傑作がたまに出てきますが、

あのレベルの記事も、じつは誰でも書ける可能性があると思っているわけです。そのためには、才能や技術よりも、執念やモチベーションの方がはるかに大事ではないでしょうか。


つまり、「自分はフォロアーを喜ばせるために書いている」云々と書きましたが、究極的には「歴史に残るような記事を書きたい」という気持ちも、本音としてはあるのです。

本やフィルムだけが「歴史の主流のメディア」という時代は、とっくの昔に終わっているのですから。
と、すこし話が飛躍しすぎましたが、年に1記事でもふつうに「良い記事」が書ければ、十分、万々歳!ですけどね。
むろん、口だけでは信じてもらえないと思い、このnoteで少しばかり頑張っているのです。

私がネットの海に文章を流す理由は、そんなところです。

いいなと思ったら応援しよう!