いかさねば その1

 度重なる胸元の振動が、これから起こる出来事への高鳴りではなく、携帯電話の振動だと気が付いた時、思わず男は通話を開始する。
 「悪い、これから重要な仕事なんだ。後でかけ直すよ・・・え、ああ、今日、ミホの誕生日だったな・・・いや、忘れちゃいないって。」
 妻からの電話。早く切り上げようとした結果墓穴を掘り、余計なラリーを要してしまう。
 「だから悪いとは思ってるよっ!・・・ちゃんとプレゼント買って帰るから・・・もう少しだけ待っててくれ。」
 半ば強引に通話を終えると、男は舌打ちをする。
  
 くそっ、よりによってどうして今日なんだっ!

 小走りで指定をされた位置へ向かう道中、男は心の中で恨み言を連ねる。
 お天道様の下では出来ない取引であり、我慢できないと衝動に駆られ食いついた結果、相手の言いなりのまま場所と日時を決められた。その衝動は、娘の誕生日を失念させてしまう程の、あまりに強烈な勢いを持っていた。
 都会に連なるコンクリートジャングル。それらを支える根のようにあちらこちらへ広がる地下道を指示通り進み、ようやく目的へとたどり着く。息を切らしながら時計を見ると、指定の時間3分前であった。

 あ、危ない・・・ここまで来てまさか時間切れで取引出来ないなんてなったら・・・

 ひと安心していた矢先、男の背中に冷たい感触が走る。
 「一体どういうつもりだ?」
 決して感情的ではなく、驚く程に落ち着いて、だからこそ一気に恐怖を引き出すその声に、男は振り返ることもせずに答える。
 「な、なんのことだ?ちゃ、ちゃんと時間は守ったはずだぜ?」
 「ここに来る途中、貴様携帯電話を使ったな?」
 その指摘に対して、男は言い訳の一つ用意することは叶わなかった。
 「取引条件の一部に記載したはずだ。取引の3時間前より電子機器の携帯、及び一切の使用を禁止すると。」
 あまりに淡々と己の罪状が述べられていく状況に直面した男は、余程感情的に責められた方が救いがあると感じていた。
 激情している人間には隙があり、場合によってはエクスキューズの余地がある。だが今この場面でどんな言葉を並べようとも、決して自分は許されることはない。
 「待ってくれ。確かに電話をしちまった。だがそれも10分も前、しかもこの地下道に入る前の話だ。だから問題は・・・」
 これらの言葉に意味はない。そう考えていた男にとって、発言を終える前に背中に感じた鉛の冷たい感覚が失われたことは、あまりに意外であった。そして、その直後に得た上着右ポケットの僅かな重みによって、男の興奮は最高潮に達した。
 「いいか、取引条件ってのは絶対なんだ。破ったからと言って反省文一枚書けば許される、そんな学校のルールみたいに生易しいもんじゃない。お前はその自らの甘さに、一生後悔することとなるだろう。もっとも、10分も後悔することはないだろうが・・・」
 まさに気分が有頂天となっていた男には、そのような説教もまるで届いてはいなかった。悦びの対価として指示通り上着の左ポケットに入れていた少なくない現金を無抵抗に、それも知らぬ間に差し出し、一人取り残された。
 「動くなっ、警察だっ!」
 その僅か数分後、銃を構える数人の警官が、男を囲む。
 「ま、待ってくれ・・・」
 怯えながら両手を挙げる男に、警官は告げる。
 「わいせつな電磁的記録の所持により、即時発砲による処刑を実行するっ!」
 乾いた銃声は、男の後悔を一瞬にして消し去った。


 『一切のわいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体の制作及び所有禁止法。俗に言うAV禁止法が施行されたからおよそ1年が経過をした今でも、毎日のように違法所持にまつわるニュースが後を絶ちません・・・』

 朝のニュースで、平然と若い女にAVとか言わせるなよ・・・オカズにする奴出てくるぜ・・・
 下品な思考に思いを巡らせたヒラノは、大きなあくびを吐き出しながら台所へ向かい、朝食の支度を始めた。

 日本政府が1年前に打ち出した法律、AV禁止法。これは極度の少子化に頭を悩ませた政府が最後の最後に打ち出した大博打であった。
 この法律が出来たロジックは実に単純明快である。
 性のはけ口としてネット上に大量に存在するAV及び性的な記録に自らを慰めるために飛びついていく。この行動が、恋人などいなくとも性的な満足を満たすことが出来るのだから、1人でも十分であると考え、結婚や出産から遠ざかる要因になっている。ならば、AVの類を禁止すれば、性的処理をするために、自然と男女が交わる機会が増え、その結果結婚や出産へ繋がり、最大の少子化対策となるのではないか。
 言うまでもないが、この法律並びこの思考に対しては、様々な批判が集中した。その種類はあまりに多岐にわたるため詳細はここでは割愛するが、男性目線からも女性目線からも、表面上の発言は受け入れがたいという意見がほとんどであった。
 しかし、現実はどうであるか。
 AV禁止法は現実に可決され、しかも罪を犯した者の即時射殺が認められるというおまけ付きで、世に放たれたのだ。もっとも、ただAVを持つ人を殺します、というだけの法律ではなく、他の要素も含め構成された法律ではあるのだが・・・

 「いただきます。」
 ひとり呟いたヒラノは、我ながら自信作となった目玉焼きに箸を伸ばす。時刻は8時丁度。ニュース番組がバラエティ番組に切り替わっている。ヒラノは自分のような仕事をしている中では、比較的健全な生活を送れているという自負があった。
 7時過ぎには目を覚まし、朝食を食べ、煙草も吸わず、適度に運動をしつつ仕事をこなす。今の生活に一定の満足感を覚えている。
 それも全て、件のAV禁止法のおかげであるのだ。
 
 「あら、ヒラノちゃん。いらっしゃい。」
 都内某所。一見すると寂れた青果店のように見えるこの店で、ヒラノは肩幅の広い男に出迎えられる。
 「ヤナギさん、調子はどうだい?」
 ヒラノよりも数10センチ上背のあるヤナギは、その広い肩を無理やり狭め、顔をしかめる。
 「本当か?あんたの所の作品は、最近じゃプレ値がついてさらに高騰してるって話だぜ?」
 「そうやって値段を操作しているのはあんたたちバイヤーでしょ?メーカーのあたしたちには関係ないもの・・・どっかの誰かさんが安く買いたたいていくし。」
 「おいおい、それはこの正規店に向けて言ってるのかい。」
 「違法品裁くのに正規も非正規もあるもんですかい・・・ま、中入りな。新作もあるから。」
 挨拶代わりの冗談も程々に、ヒラノはヤナギの店内部、建付けの悪い戸を開いては、地下へ続く階段を進む。
 「・・・お、こいつはまた随分と派手な。」
 コンクリートの灰色と必要最低限の証明が支配する灰色の道中に、大きな赤い後が見つかった。
 「この前この店を盗撮しようと、カメラ仕込んで入り込もうとした坊やがいたから、ちょっと可愛がってあげちゃった。」
 「おっかねえ・・・てか、まだあんたに喧嘩を売ろうとする命知らずがいるんだな。そっちが驚きだ。」
 苦笑いを浮かべつつ、階段を下り切った先には、壁一面、そして足の踏み場を奪うように積み上げられた、無数のDVDが姿を見せる。
 「相変わらずすげえな・・・」
 「ホント、こんな世の中にならなきゃ、ここにいるコたちはみんな無価値の円だったのよねえ。」
 「全くだ。サブスク全盛の時代に、足がつきにくいって理由でまたDVDの需要が生まれるんだから。わからねえもんだな、時代ってやつは。」
 昔を懐かしみ、今を理解することを放棄したその時、人は老人になると思っていたヒラノは、案外早く自分が老化していることに、僅かな寂しさと己への酔いを感じていた。
 「今回のイチオシはこの2枚かしらね。エースのユウナちゃんが当番した2作品。枚数それぞれ5枚ずつで・・・これでどう?」
 電卓の液晶に映る金額を、ヒラノは一笑した。
 「おいおい、2作品計10枚でこの値段って、ついにあんた金の勘定も出来なくなったのか?」
 「さっきあんたも言ったじゃない。うちの作品は今プレミア品になりつつある。ユウナに払うお金だって毎作品ごとに単価が上がってるの。うちらの利益考えたらこれが妥当よ。」
 安い挑発に乗ることはなく、ヤナギは理路整然と金額の意図を説明する。しかしながら、ヒラノもまた食い下がることはない。
 「ケチなあんたが、ただ黙ってユウナの単価を上げる訳がない。短期間に複数作品撮影して、一作辺りの単価を下げる、なんてことは当然やるはずだ。それ考えたら、もう一作は仕上がってるはずだ。3作品15枚ならその金で取引してやる。それでダメならこの話はなしだ。」
 しばらく2人はただ黙って見つめ合った後に、ヤナギは口を開いた。
 「わかったわ。ヒラノちゃんのでいきましょ。」
 「・・・悪いな、いつも。」
 違法DVDを作成するメーカーとバイヤー。それぞれが犯罪に手を染めている以上、2人の間にある関係性は、信頼や親愛という言葉とはまた別であった。生きていくために主張し、生きていくために妥協をする。裏切られた時に呪詛や恨み事を並べた所で意味はない。裏切らせないために価値ある人間であり続け、裏切れない人間であることを証明し続ける。
 これが裏社会での処世術なのだ。
 

 


 

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