新しい昨日

 「・・・という結果になりそうです。本当に申し訳ないです。」
 上司へミスを報告し、茶化すような素振りを見せることなく、素直に謝意を伝える。
 「うん、まあしょうがないね。別に大きなトラブルになっている訳でもないし・・・」
 腹の中はともかく、上司は怒りを示す予兆すらなく、淡々と報告を受理する。
 こちらとしても、決して偽った情報を伝えている訳ではない。申し訳ないという気持ちもあれば、謝罪も形だけではないつもりだ。
 しかし、自己防衛のために策を講じていないかと言えば、それもまた偽りである。 
 いたずらに己を不利にし兼ねない情報を伏せる、上司が疲れたタイミングを見計らう、そしてなりより、己のミスが重大なものであるのか社内で処理が出来るものなのかを思案し、謝罪の温度感や声色を調整する。社会人としての初心者マークが剝がされてしまった今の自分は、それが少なからずわかってしまう。そしてこれが五年十年と進むにつれて、また知りたくもない処世術が頭の容量を支配しては、本当に知りたいことを知ることは出来なくなる。



 どんどん装備が重たくなる身体。RPGであればレベルが上がり物語が佳境へ突入していくにつれて装備もそれに合わせて成長していくことに喜びを覚えるはずなのに、現実はそうワクワクはさせてくれない。
 子供の頃、自分の将来が所狭しと並べられたあの期待膨らむ店先は、今では入荷がある訳でもなく、埃を被った売れ残りが数個残っているだけだ。
 店の主人に声をかけても、返ってくるのは無愛想な返事だけ。幼い頃は「はい、百万円」と優しい笑みで冗談を述べていたはずの主人なのに。
 努力というキャッシュも、才能というカードもなく、指を加えている十数年の間に、随分と様変わりしてしまったそのお店。今でもまだ、特別サービスで何かをくれるのではないかという邪な気持ちで、店を横目に前を通ってしまうのだ。
 
 

 昔から朝焼けが好きだった。
 旅行のための朝日が昇ったばかりの時間に活動を始める非日常感や、目が覚め普段よりも早く活動を始めた優越感を得られる朝焼けが好きだった。
 ただ時間が経ち、学校へ向かう時間になれば、朝焼けがもたらすプラスの感情は、青空の引き立て役になる太陽と同時に脇へ追いやられる。
 今ではそんな朝焼けさえ、日常に取り込まれつつある。



 「はい、○○です。お世話になっております。」
 特別忙しい仕事をしているとも思わない。それでも、定時より早く出社をして、定時よりも遅く退社をする。それでも完全に仕事を片付けたという安堵感をもって一日を終えることはなく、常にタスクは己を食い殺さんとすぐそこに迫ってきている。いつ寝首を搔れるともしれないプレッシャーは常に臓物を刺激し、苛立ちを触発させ、己の機嫌の取り方すらもわからなくなる。
 時々、子供のように泣き叫び、癇癪を起したくなる時がある。
 いや違う。
 時々、ではない。いつでも大粒の涙で顔を濡らし、癇癪を起こしては慰められたいという欲求に襲われる。そしてその欲求に打ち勝つだけの良識を、不幸にも手に入れてしまったのだ。
 涙など、最早そう易々と手に入る代物ではなくなってしまったのだ。
 

 帰りたい場所があるのか、どこか知らない場所へ行きたいのか。懐古にて自らを慰めるしか視界に光を入れられない自分から脱却をしたくとも、もはや帰れる場所などどこにもなかった。誰もが過去として置き去りにしたものを、今でも後生大事に抱えている。手のひらから滑り落ち、そこに何もなくなっていることにも気付かずに。


 フィクションがいかに人間のエゴを反映しているか。
 これが映画なら、路頭に迷える若人に出会いがあるのだろう。
 これがドラマなら、化石となった過去に光が当たり、あの時の鮮度を取り戻す出来事が起こるのだろう。
 これがアニメなら、突如として世界が百八十度変わり、日常がひっくり返ることであろう。
 だが現実はそうではない。
 誰も導かず、誰も助けず、誰も迎えには来ない。


 携帯電話の連絡先。たまたま残っていた古い友人のアカウントを一度開き、そしてまた何もせずに閉じた。


 

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