関ジャニという1つの人生
関ジャ二∞というアイドルグループは、ある1つの人生なんだと気づいたのは2年前だ。
2年前の2018年。
4月中旬。
ある1つの雑誌のスクープを目にした時、衝撃が走った。
「関ジャ二∞渋谷すばる 脱退」
そういう内容だった。
ほんとに、こればっかりは、嘘だと思った。あまりにも突然の事だった。
今でも、この時期に亮ちゃんが綴った
「永遠なんてものはない」
という言葉が胸に突き刺さっている。
亮ちゃんらしい、まっすぐな一言。
彼だけは ずっと前を見据えていた。薄情だと思ってしまうほどに。
そんな彼が、
最後の7人の活動の日、
それも最後の1曲を披露している時に
泣いていた。
滅多に涙を見せない彼が、弱気なことを一切言わなかった彼が、
「やっぱり、寂しいね。」
と言って泣いていた。
声が詰まって 歌えないくらいに泣いていた。
私はすばる担だったけど
その瞬間はすばるくんがいなくなってしまうことより、亮ちゃんが涙を流していたことに胸を打たれていた。
そんな彼も 1年後に関ジャ二∞を去った。
こればっかりは、気づいていた。
6人最後のコンサートである 十五祭 は
あまりにも、思い出が詰まりすぎていた。
多分、ファンの人はみんな薄々気づいていたんだと思う。
十五祭 最後の日の
勝手に仕上がれの掛け声を
一生忘れることは無い。
みんな必死に声を出していたのかもしれない。
2日後に発表された時、
泣いた。すばるくんの会見よりも泣いた。とてつもなく寂しかった。
6人じゃダメだった、すばるくんがいなきゃ成立しないんだと勝手に思ってしまって、
初めてすばるくんがいなくなったことの大きさに気づいた。
関ジャ二∞は5人になった。
なぜ、私は今も関ジャニが好きなのか。
そう考えることが多くなった。
2年がたち、関ジャニのメンバーも、いなくなったメンバーもぽつりぽつりと心境を話してくれるようになった。
体制が変わっても、すばるくんや亮ちゃん、そして内くんがいた事実は
決して無くならない。
当たり前のことだけど、関ジャニのメンバーがこう話してくれることは大きな救いになった。
整理して 整理して
辿り着いた答えは、
関ジャ二∞ という1つの人生が好き
ということだ。
7人だから好き
そんな簡単なことでは片付けられない。
そんなヤワな理由じゃない!
確かに私は7人の関ジャニを好きなった。
それが今でも忘れられないのは、当たり前だ。
私は6人になった時、
応援するのを辞めるという選択肢はどうしても選べなかった。
関ジャ二∞という名前は無くならない。
そう思うと、まだ応援したかった。
全員がツッコめて 全員がボケれて。
楽器も演奏出来て 作曲できて
関係者の人からは信頼されていて
ちゃんとカッコよくて
すごくファン想いな彼らを
応援したかった。
関ジャ二∞があることは永遠じゃないかもしれない。
いつか終わる日が来るかもしれない。
だけど、その日まで関ジャ二∞を応援したい。続いていく限りは応援したいと思った。
それくらい、関ジャ二∞が好きだった。
5人体制になった初めての日の夜を
彼らは覗かせてくれた。
「次、誰かが辞めるなら
関ジャ二∞も終わりにしよう」
そういう話が出ていた。
5人になった彼らのとてつもない覚悟、意地、根性を感じた。
「永遠なんてものはない」
確かに、永遠はなかった。
そして、これからもない。
でも、私は関ジャ二を応援し続けるのだと思う。
関ジャ二∞ がたまらなく好きだから。
ビジュアルや歌だけじゃない、
関ジャ二の空気、存在、関係性、全てが大好きだから。
「関ジャ二∞を頑張ります。」
2019/9/12に横山くんが綴った言葉。
この言葉に一体どれだけの思いが詰まっているのか、私は見当もつかないけれど、
私はこの言葉があるから
今も関ジャニを応援している。
8人が集まってできた関ジャ二∞は、
7人の努力で型が作られ、成長し、
1人の青年を一人前の大人にして送り出した。
6人のうちの1人が必死に型を守り抜き、支えてくれたおかげで関ジャ二∞は今も続き、
5人になった今、その型をもうひと回り大きくしようとしている。
こんなの、もう、
ただのアイドルグループじゃない。
もう、ひとつの人生じゃないか。
人ひとりが生まれて死んでいくように
関ジャ二∞もいつかはなくなる。
それがわかっていても、わかっているからこそ
私は関ジャ二∞を応援したい。
そっちが意地なら私も意地だ。
“なぁ友よ 人生って最高だろう?
だから、辞められないんだろう”
この歌詞を歌う関ジャ二∞はとてもかっこいい。
これからも私は関ジャ二∞を応援していく。
いつか無くなるその日まで。
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