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<連載> 小竹直人・原初の鉄路風景 Vol.5 日中線の記憶
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OM-D E-M1MarkⅡ / M.ZUIKO DIGITAL ED 30mm F3.5 Macroにてデジタイズ
本格的に写真を撮り始めたとき手にしたカメラはNikonFM2だった。同時に父や近所の写真屋の手ほどきでモノクロフィルムの現像も覚えた。現像タンクを用いないいわゆる皿現像という手法で、ちょっと深めの3つ容器(現像液、停止液、定着液)を用意して暗室(押し入れ)のなかでフィルムの両端を持って両手を絶え間なく上下させ液に浸し続けるのだ。暗室タイマーもないわけだから、誰に頼んだか忘れたが8分経ったら教えてくれというような極めて原始的なやり方であるが、ネガを見たときはちょっとした感動があった。
そうして、写真を本格的に始めたことによって乗るから撮る鉄へとなってしまった。まさにカメラ小僧の誕生である。新潟周辺を走るブルトレから旧客まで、走ってくるモノなんでもカメラを向けていた。
カメラは記録装置であるから、やがて失わるモノに目が向けらてれてゆくのは必然である。1970年代にSLブームが起きた。以降も全国各地引退する車両、廃線を迎える路線に多くのファンが集まり、近年では「葬式鉄」という言葉も登場した。
話は前後するが、その1983年8月に北海道全線完乗したおりに白糠線に乗り合わせると、車内はローカル線とも思えぬ混雑ぶりだった。同年10月に廃止予定と訊いていたが、想像もしなかった光景だった。このときから、「廃止」という言葉をより意識するようになった。
そして、翌年1984年3月末をもって赤谷、魚沼、日中線、清水港線の4路線(+相模線西寒川支線)が廃止になるということを知る。清水港線以外の3路線は乗車経験があり、新潟県内から2路線が廃止になる。
チャレンジ20000キロ国鉄全線242線区中、152路線乗ったと書いた。そのなかでも日中線は、またいつか再訪したと思う路線のひとつであったから、この最後の機会を逃すわけにはいかない。
日中線とは、喜多方-熱塩間(11.6キロ)を結んでいたローカルで、朝に1往復夕に2往復運行されていた。その名とは裏腹に中日には走らない日中線と揶揄された路線であった。
その時刻を列記すると、喜多方06:12 / 熱塩06:41 / 熱塩07:02 / 喜多方07:38喜多方 / 16:04 / 熱塩16:32 / 熱塩16:56 / 喜多方17:32 / 喜多方18:25・・。このダイアから、冬季では朝の熱塩発と夕方16時台の列車が撮影可能ということになる。ちなみに、清水港線は1日1往復で清水-美保(8.3キロ)清水は8時台に下り1本、16時台に上り1本だったから、冬季でも撮影に支障はなかった。
日中線の撮影では会津若松行の最終列車に乗って喜多方へと向かった。朝一の熱塩行もシャッターを落とすなりして撮れるかも知れない。はやる気持ちも手伝い、深夜の雪積る線路端を歩いた。どこかの駅で少し仮眠をとって夜明けを待つつもりだった。会津村松、上三宮、会津加納まで歩いただろうか。ここまで喜多方から8キロを超えている。途中から強風が吹き始め、いずれの駅もドアもなく遠慮なく風が吹き込んでくるから、駅で休むことは困難だった。また喜多方方面に引き返す途中、鉄橋近くに電話ボックスを見つけ缶コーヒで暖を取りながら夜明けを迎えた。随分と無茶をしたものである・・。
それから15年が過ぎた1999年、新津-会津若松間にC57 170号機による、ばんえつ物語号が登場した。C62 3号機が函館本線を去って2年半、C57の復活劇は多くのファンを熱狂させた。
あるとき物見遊山がてら沿線をドライブした。撮影場所の争いから車を飛ばしての追いかけ撮影のありさまに辟易とした。SLの撮影はほどほどに、喜多方で進路を変えて熱塩駅へと向かった。記念館として保存されたと訊いていいたが、余計な装飾もなく、かつての佇まいをそのまま残していたことに当時の記憶が呼び戻されたような思いがした。あの日から倍の年齢を重ねた30歳のときだった。そして今日までも幾度となく熱塩駅を訪れている。
日中線は忘れえぬ思い出の場所、熱塩駅はいまも自分にとって大切な場所のひとつでもある。
余談ながら、84年1月から3月にかけて日中線と同時進行で赤谷、魚沼、清水港線を撮影した。それらを4枚の組写真として1984年(第7回)鉄道ファン/Canon鉄道写真コンクールに応募したところ佳作に選出され、作品は銀座キヤノンサロンに展示された。それは大いなる勘違いの始まり・・
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旧熱塩駅は廃止からおよそ3年後の1987年に日中線記念館として開館した。
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旧駅構内は地域の人たち憩いの場所でもあり、高齢者の方々がゲートボールを楽しむ姿も見られた。
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踏切も撤去されることなく置かれている。旧駅構内には旧型客車やラッセル車(キ287)が保存展示している。
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喜多方市内に日中線跡の一部を利用して3キロにも及ぶ遊歩道が作られ、およそ1000本もの枝垂れ桜が春を彩る。微かな風に揺られる桜をライブNDを用いて、シャッタースピードを1/2秒まで落としてその動感を強調した
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会津鉄道のお気に入り駅である南芦ノ牧温泉駅。このショットも前掲と同様にライブNDを用いて1/4秒に落として撮影した。
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カメラを傾け線路を水平にしたことで、無駄な風景排除し奥行感をより強調した。
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数年前、熱塩駅に訪れたとき偶然立ち寄った南芦ノ牧温泉南のホームに立つと、上り(若松)快速列車が落葉を巻き上げ通過していった。次の快速列車でこの光景を仕留めるつもりだったが、落葉は折からの雨に打たれてしまった。そして、翌年落葉の頃合いを狙って再訪した。
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線路をホームエンドのエッジラインと重ねることで画角に安定感を持たせた。列車そのものを写し込まないことを意識しながら、落葉の舞に期待した。結果的に、その疾走感(通過快速列車)をより表現できたのではないか。
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落葉が放つ光とアクセントの勾配標の存在をより強調すべく、-3.0EV露出補正している。
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苔に覆われた白線。
筆者紹介
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小竹直人(こたけなおと)
1969年新潟市生まれ。日本写真芸術専門学校卒業後。フォトジャーナリスト樋口健二氏に師事。
1990年より中国各地の蒸気機関車を取材し、2012年~17にかけて中朝国境から中露国境の満鉄遺構の撮影に取り組む。近年は、郷里新潟県及び近県の鉄道撮影に奔走し、新潟日報朝刊連載「原初鉄路」は200回にわたり掲載され、以降も各地の鉄道を訪ね歩いている。
近著に「国境鉄路~満鉄の遺産7本の橋を訪ねて~」(えにし書房)などがある。
Vol.4はこちら
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