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年末年始と集合意識
時間や形を超えた非線形の領域においては、年末年始や年越し、その他のイベントは意味も実態もない。しかしながら、人間の集合意識においては、それは大いに意味や実態を持つものと見なされているので、それが反映/投影され、現世という夢の舞台が少々騒がしくなる。たとえ外に出なくても、集合意識の影響を受けるマインドがざわつきがちになる。落ち着かない気分になったり、さまざまな感情が浮上する。そうしたものに翻弄され、同一化してしまうと、やはり内なる真理、平安を見失う。落ち着かない気分や感情、衝動にもとづいた行動は、ほとんど実りがない。
世の中の騒がしさやざわつきも、内側に向かう機会と見なすことができる。内観や瞑想の重要性を再認識する機会となる。さまざな感情が浮上するならば、それを見つめ、感じ、手放す機会にもなる。無限の器や許容をイメージし、あらゆる感情を受け入れる。私の内にあるそれらは、私固有/特有のものではないことが見える。
イエスが言った「通り過ぎていくものであれ」という金言がきのうからマインドにある。そして、ただ通り過ぎるのではなく、手放しながら通り過ぎていくものでありたい。来年の抱負というより、人生の抱負として。
この世で生きていると、知らず知らずにしがらみやとらわれが増える。それらは内なる光を覆い隠し、自分の本性やほんとうの故郷について盲目にする。まさに放蕩息子となり、無意識にこの夢の世界をさまよう。その中で繋がりを求めるほど、孤独感が強調される。繋がりを求めている自分とは、分離したちっぽけで脆弱な存在であると感じているからだ。どれだけ横の繋がりを増やしても、たくさんの「いいね」をもらっても、その存在は同じままなので、孤独感は消えず、心から満たされない。
集合意識や小さな自己を超えたところに向かおう。そこに全体があり、無限があり、安らぎがある。こうして書いていると、自分自身にも平安が訪れる。それを思い出す。これは大いなる「自己」からのメッセージであり、愛であると感じる。
これを読んだ人にも、気づきと平安が訪れますように。安らかで、とらわれず、幸せでありますように。
Om Shanti