少し前に、占いのようなものをしてもらってみた。
何か悩みごとがあったわけでもないし、軽い気持ちで。
そこで、「あなたの人生は暇つぶし」と言われて帰ってきた。
大きな悩みごとがあったわけではない。
でも、少しくらい気にかかる事とか、誰かに相談するまでもないけど悩んでることとかくらい、人並みに持ってると思っていたが、その人に言わせてみれば、
「人はもっと悩んでる。あなたのは、悩み事、とは言わない」とのこと。
そんなに日々脳天気に過ごしている自覚もなかった分、急に悩みのなさを顕在化されて、少しさみしいような、でも、薄々気がついていた自分の内面を言葉にされて、なんとなく清々しいような気持ちになった。
「悩み事」ではないのなら、日々私の頭のなかにあって、それまで私が「悩み事」として取り扱っていたアレはなんなのか。
それが、「暇つぶし」らしい。
私にとって、地球はヒマなんだそうで(独特な切り口の占いだったのかも)、暇だから、一応考えてみる価値がありそうなことを拾っては、パズルを解くように遊んでいるらしい。確かに、そう言われると、そんな自覚があるような気がしてきた。(これは占いの罠かもしれないけど)
そう言われて考えてみると、特に、対人面のことについては、何よりも楽しい遊びだったかもしれない。
年齢を重ねてコミュニティが拡がると、本当にいろんな人達と出会い、知り合ったり仕事をしたりしてきた。その関わりの中で、はじめから関係性を築ける人もいれば、衝突の様な摩擦を繰り返して関係を築いた人もいる。
衝突の様な、というのは、私自身は衝突したと感じたことはないからで、ただ、周りからはそう見えていたことが何度もあるらしいという感じだから。
違う文脈で生きてきた人間が、すっと最初から思考が一致することなんて珍しい。だからこそ、対話してお互いの頭の中を言葉とか図で見せ合おうぜ、というのが私の基本スタンス。
でも、「いやいや、そこは言わなくても良いでしょ普通」みたいなスタンスで来られると、私の相手への興味が止まらず、つい色々突っ込んでしまう。それが、周囲からは時に、衝突している様に見えるらしい。
けど、不思議と、衝突してる様に見えた相手とは、その後付き合いが長くなることがほとんどだし、なんなら、信頼度はぐっと高くなることがほとんどだ。
コミュニケーション自体が、きっと私にとっての遊びって事なんだと思う。
コミュニケーションは、それ自体が、誰かの頭のなかにある世界に混ぜてもらうことだから。小説を読んだり、映画を観たりすることも似てるけど、やっぱり、人の世界にいれてもらえる瞬間のほうが、比にならないほど楽しい。
私の今回の人生は「暇つぶし」らしい。
だったら、毎日過ごすなかで実際に会える人とだけのコミュニケーションでは、そろそろ足りなくなってきている。
相当な覚悟であちこちのコミュニティに参加して活動しないと、日々の中で出会える人間の数なんて限定されてしまう。
だから、遊び場を広げることにした。
まずは、このnoteという場所を使って遊んでみる。
note参画は、遅いくらいかもしれないけど、それでも良い。
これから、ここでも遊ぶ!
たくさんのヒトに出会えますように。