未来からあの頃のわたしへ
結局1年このnoteを放置して、あっという間にこのnoteに参加した季節と同じ季節にいます。
最後に記事を書いた日には、まだまだ大きなお腹で毎週検診に通って、病院の中だけで会える可愛い我が子の心音とエコーに映る小さな不思議な存在にきゅんきゅんしていたのを鮮明に思い出せる。
鮮明に思い出せるくらいに、この1年はあっという間で、でも鮮やかだった。
お腹の中にいる時から、身長が大きめだった息子は、お腹の外の世界に出てきてからもそのまますくすくと大きく育って、今大の字でこの記事を書く私の足元で昼寝をしている。
寝顔は、エコーで見たあのきゅんきゅんする顔のままで。
産まれたばかりの頃は、まつ毛が少なくて短かかったけど、3ヶ月が経つ頃には長くてしっかりしたまつ毛がぐんと伸びた。寝相が悪ければ寝癖がつくほどのまつ毛を見るたびに、未だに、そしてこれからも一生少なくて短いまつ毛で生きている私は、「このまつ毛いいなあ」と思う。
妊娠して、お腹が大きくなって、息子が産まれてくるまでのたった10ヶ月の間に、世界の様子は一変した。
外に出ればみんなマスクをしているし、気軽に外食をすることは難しくなって、桜の木の下で春の到来を喜び合う日本の行事も難しくなった。それはきっと今年の夏になっても同じ状況で、いつだって気になるのはソーシャルディスタンス。
思い描いていた産休生活は、これによって全く実現できなかった。
同じく、新生児期から乳児期というこの子の人生の最初に出会う季節たちのその風景は、私が経験したものと大きく一変している。
そんなことを書いたまま、下書きに保存して、そのままにしていた産後の私の言葉たち。
久しぶりにnoteを開いて、この下書きを発見して、一瞬であの時のあの瞬間の映像やにおいや温度感に引き戻された。
そうか、日記とは、こういう風に未来の自分を支えるお守りになることがあるから、粛々と書き続ける人々がいるのか、と思い知った。
この下書きを書いたころから、3年が経った。
あの頃、STAY HOMEと叫ばれて、外出が制限されてマスクをして、気軽に人と会えなくなった日々の変わりように、今思うと漠然と不安を抱えながら過ごしていた。
このまま世界は変わってしまうんだろうか
いつまでマスクが必要なんだろうか
いつまで人と気軽に会えないんだろうか
いつまで、ウイルスにびくびくするんだろうか・・
2024年。
ウイルスは未だに世界に存在しているけど、あの頃よりも社会が落ち着いた。
どう対応すればよいかが見えたし、そもそもそんなに恐れるウイルスじゃないよ、というのが今の最新の見解。
何よりも健康や免疫力という基本が大事だよね、と人類の基本思想に立ち返る人が増えている印象。
新しいウイルスに世界が怯えていた頃に誕生した愛すべきわが子は、健康にすくすくと育ち今は日々保育園に通ってすくすく成長している。
マスクをすることもない。
友だちと日々濃厚接触をしていろんなことを学び吸収して帰ってくる。
2024年の私から、2021年の私へ今言えることがあるとするなら、
「大丈夫。人類の日常は取り戻せるから、未来を憂うことなく今を楽しめ!」
2024年より、愛をこめて。私より。