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『 悪意と炎上 】note創作大賞2023 イラストストーリー部門応募作品

はじめは彼女もありきたりなどこにでもいる動画配信者だった。
だが暴言を吐き見ず知らずの人を貶めることでたちまち人気の配信者となった。
その行為がどれほどの悲劇をじぶんとじぶんの家族にもたらすかも知らずに。
やがて彼女の前にひとりの少女が現れた。
そして少女によって繰り広げられていく惨劇。
壊されていく彼女の家族。
いったい少女の目的とは?そして少女は何者なのか?
残虐表現あり、ご注意ください。
本文の文字数21,000文字ほど。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。

本編

目の前にいるコイツに殺される。

次兄はコイツに殺された。父と母、長男は、死ぬよりもひどい目にあわされた。

すべての災いの元凶は、目の前にいるコイツだ。

チープなお菓子の香りがする息が、顔にかかるほどの至近距離にいるコイツにわたしとわたしの家族たちは苦しめられてきた。

そして、わたしは殺されるだろう。

毒草やサソリやクモ、ヘビ、バッタなどを壺にいれ、それらをぐつぐつと魔女が煮こんで作る悪意の塊のような少女。
どこからどう見てもそこらへんにいる女子高生にしか見えない。
10人中8人の男は、コイツとすれちがうとふりかえる。そして、さらに半数はコイツに声をかけるだろう。
小動物のようにコロコロと動くぱっちりとした目のなかにある悪意の塊のような瞳孔。
肩までのびた触り心地のよさそうな毛髪。極上の毛皮のようになめらかさ。
ピンクのメッシュがいれられている。ピンクほどコイツに似合わないキュートでピースフルな色はない。

私が教鞭をとるこの学校指定の夏服。緑色のスカートは、いまの子にしては長めの丈。テストにて高得点を獲得する学生とおなじほどのスカートの丈。
学校指定のスリークォータースの靴下。まっさらに白い上履きのかかとをふみ、スリッパのようにブラブラさせている。

どこにでもいる女子高校生か中学生にしか見えないコイツは、悪意の塊であり、サディスト、殺人サイボーグ、冷徹に無邪気に、他人の人生と魂、生命を草むらの花をつむように摘みちぎりとる。そのうえ、もっとも残酷な方法で尊厳と生命を狩りとる。

「ちがうよ、前も言ったんだけどさ、悪意を伝える方法や殺害方法、苦しめる方法を考えたのは人間なんだよ」

ネコの首輪の鈴が転がるような軽快な声。なんのしがらみもなく、なんのうらみもなく、わたしたちの家族をどん底につき落とし、子どもが人形を分解するように次兄を調理し殺したコイツ。
そして、わたしも抵抗しなければ、コイツに殺される。猫がネズミをいたぶって殺すように、シャチがアシカを空中に放りなげ遊びつくし、最後には殺すように、寝苦しい深夜に飛びまわる蚊をパチンとはたくようにコイツはわたしを殺すだろう。

わたしが教鞭をとってきた教室でコイツはわたしを殺すのだろう、なんの抵抗もしなければ。殺されてたまるか、ちいさい蚊にも針はあり、ネズミにも歯がある。

目の前のコイツは悪魔だ。言葉どおりに悪魔だ。人間ではなく悪魔だ。
ちいさい利便性ゼロのかばんを背負っている。そのかばんには、お飾りのような羽はピコピコと生命をもっているように動いている。

すこし可愛いだけの目の前の女は、下級悪魔をしたがえる上級悪魔だ。

物語のなかにしか存在しないと思っていた悪魔は、現実に存在した。

さらには、目の前のコイツは世界中で人気の動画配信サービス『 YouHole 』にチャンネルがあり動画の配信もおこなっている。

チャンネル名は『 あなたの悪意を代行しちゃうぞ 』

悪魔が動画配信サービスを利用しているのも、また、人を苦しめている動画を配信しているのも、すべてがおかしいじゃないか、と大声で叫びたい。
抵抗しなければ、コイツに殺される。拳銃に銃弾をこめる、疲れ切った体の先端にある手は小刻みにふるえる。ふるえる指にて銃弾をつまみ拳銃にこめていく。

「 きみの家族が悪意の標的になったのは、きみが炎上したからだよ 」

「まえにも伝えたじゃん」

指先でつまんでいた銃弾を落とす。木の床に落ちた銃弾は、乾いた残酷な音を二度響かせドアまで転がる。
そうだ、そうだった。わたしが炎上したせいで、わたしが炎上したためにわたしの家族は苦しめられ、殺され、あげくの果てに、わたしも殺される。

わたしは『 YouHole 』にチャンネルをもっており、『 VHoler 』として動画を配信をしていた。『 VHoler 』とは、じぶんの姿をそのまま配信せずに、AIに加工させたアニメを画面にうつし動画を配信する方法だ。
わたしが話すと加工されたアニメの口がうごき話しているように見える。わたしが動くとわたしが動いたとおりにアニメの顔や眼、手が動く。じぶんの顔や姿をだすことなく、住んでいる場所をしられることなく、安全安心に配信することができるはずだった。

わたしの動画の配信は人気がなかった。わたしは高校の教員として働いていた。専業の『 VHoler 』にくらべると配信頻度も配信時間も短かい。そのため、配信を視聴する人間もすくなく人気がなかった。
わたしよりもド低能で知性のヒトカケラもなく、またリアルでは不細工であろう女たちのほうが人気だった。それが、心の底から気にいらずムシャクシャしていた日々。いらいら、もやもやしながら配信を続けた日々。

そんなある日、わたしの肩に校長が脂ぎった手をのせた。カエルの手を蒸したような、スペアリブを食べたあとのようなマーマレードがねっとりとくっついたような校長の手の感触が、清潔な白衣を通してわたしの肌に伝わる。
その日の夜は、物理的な汚れを必死に洗いながし、精神の汚れをまぎらわすためにアルコールを痛飲し、ヘロヘロになり、それから、動画を配信した。

お酒を飲んで配信した動画の視聴数は急上昇した、ロケットのブースターに火がついたように。動画の視聴数はふえた。そして、有名な神社の賽銭箱のようにお金がふってきた。二日酔によるズキズキとする頭痛に悩まされながら配信した動画を確認する。

脂ぎった手で触るな、脂ぎった手に火をつけ燃やしてやりたい、きっと牛脂のようによく燃える。ついでに、なごり雪よりもたよりない髪をむしりとって火葬してやりたいなど、お酒の影響もあり、いつもよりも言葉がポンポンと軽快に口から飛びでている。
飛びでる言葉のキレはよく、厳しく激しく強く校長を非難していた。パツパツとプラモデルをはめこむようなキレのある言葉にはパワーがあり、いつもの動画配信よりもテンポがよい。

セクハラをされた経験のある女性がいたわりのコメントをくれ、公共機関に相談したほうがよいとコメントをくれる男性。また、校長を強く非難しすぎだという意見もあった。もっとも、酔った動画を配信した当時は、わたしをかばってくれる人間のほうがおおかった。

お酒を飲み、脳みそをキックさせ、体温を上昇させ、すこし、強い言葉を使えば動画の視聴数がのびる、いや、のびた。動画がたくさん視聴される。わたしの配信を見てもらえる。
それに、動画に反応してもらえることから承認欲求が満たされる充実感と満足感に心が満たされ、オヘソのあたりが温かくしっぽりと濡れるような恍惚とした潤とした快感に酔いに酔いしれていた。

お酒を飲み勢いをつけてから動画を配信するようになった。お酒を飲んでから配信すると、視聴数はあがる。だけども、強い言葉を使い他人を攻撃しないと視聴数はのびない。
視聴数ほしさに、どんどん強い言葉を使い、がんがん他人を攻撃するようになった。
学歴の低い人間や稼ぎが少ない人間をはずかしめる言葉。迷惑をかける趣味に没頭する人間をバカにする言葉。もてない女性や結婚できない女性を貶める言葉。
はじめは小さい言葉の石を転がしていた。その言葉の石は、どんどんと大きくなり、いびつに尖り、さわるだけで人を傷つける石に削りだされた。
吐いた言葉を修正できないように、こぼした水をお盆にもどせないように、転がりだした石を、わたしも誰もがとめられない。あちこちの人間を強く鋭く深く傷つける配信になるまで時間はかからなかった。

炎上系『 VHoler 』とよばれ、非難され、注意され、いさめられ、脅迫まがいのコメントすらも送られてくる日々。金の寺が燃えあがり古の都の天を焦がし五山を焼きつくすほど炎上した。
ほんとうの顔も実生活もバレることはない。そこで、炎上系『 VHoler 』の活動を続けた。いまならわかる。炎上させるべきではなかった。視聴数などにこだわる必要はなかったんだ。動画を配信して承認欲求などを満たす必要はなかったのに。

わたしはお金にこまってはいない。実生活も満たされたものだった。
親ガチャにも大当たりした勝ち組だった。ヨーロッパの家具を輸入して販売している父。ルーマニア人の祖父母をもつ母。その二人の長女としてわたしは産まれた。6歳年上の長男、3歳年上の次男の家族構成。
ヨーロッパだけでなく世界を飛びまわっていた父に連れられ、世界の有名な都市を訪れ、世界中の有名な観光名所にも連れていってもらえた。
スカイダイビングからスキューバダイビング、乗馬などなど、めずらしいところでは銃の撃ち方もならった。次男は銃のトリコになり刑事になる。わたしも銃を撃つのは好きだった。海外に旅行したときは、銃を撃つのを密かなたのしみにしていた。その体験がわたしを助けてくれるかもしれない。ひとに銃をむけてはいけないと最初に習うが、ひとではなく悪魔に銃口をむけたとしても、きっと怒られない。

地面に電柱をうめた住宅地。有名建築家によってデザインされた家。大型犬が駆けまわれる広さの庭。ドラム缶を半分に切ったようなBBQ設備もあり、からりとよく晴れた日にはよくパーティーをひらいていた。
スイッチひとつで電動式のシャッターが開閉し、4台の乗用車をとめられる駐車場。その駐車場で父と母は地獄をみた。わたしもまた地獄にいた。骨が削れる音、魔人がでてきそうな白煙をあげるタイヤ。排水口からこちらの様子をのぞきこんでいるような狂ったピエロのように点滅する自動車の計器たち。最新技術の結晶である電気自動車のなかで父は地獄をみた。母の下半身は、電気自動車に無残に砕かれた。

わたしたちの家はひろかった。家庭的な人間ではなかった母。料理や洗濯、掃除をしている姿を見たことがない。また父も家庭的なものを母に求めてはいなかった。
母の手は、女のわたしが見てもホレボレとする白魚のように煌めき。シミ、いや、サカムケひとつなく。プロに手入れさせた爪は、透明に白く光り、わが屋の未来を明るく照らす灯台の光のように感じられた。
母を飾る服や装飾品を父は気前よく買い、そして、母によく似ているわたしも欲しいものはすべて父に買ってもらえた苦労ひとつない生活。
また、上の兄弟からはイジメられることもなく、ジョウロにて優しく慈雨をあたえられるような愛情をたっぷりとうけとっていた優しい生活。わたしは、なにひとつ苦労することなく育った。

ひろい家の掃除から料理まですべてをこなしてくれたお手伝いさん。モノゴコロがついたころから家にいたお手伝いさん。
商店街のパン屋さんか、コロッケ屋さんにて働いていそうな恰幅のよい体型。ひとまでを笑顔にしてくれる柔和な笑顔。
お手伝いさんの作ってくれたお肉をしっかりと焦がしてから作るミートソースパスタが家庭の味だった。乾燥オレガノをいれるのがポイントですよ、と言っていたお手伝いさん。
お手伝いさんが、家のスミからスミまで掃除してくれていた家は、姑の指が汚れないほどチリひとつ落ちておらず、木材はしっとりとうるみ白い壁は輝いていた。そのわが屋は無残に焼け落ちる。想い出ごとすっかりと焼け落ちた。

365日いつでも寝室もきっちりと整えてくれていたお手伝いさん。清潔に乾燥しパリッとした音が聴こえてくるシーツ。
整えられたベッドのうえで、外交官だった長男はお手伝いさんを殺した、と世間では言われている。
お手伝いさんと二度とあうことはできない。目の前のコイツに殺されたらあの世で会えるかもしれない。好きだったお手伝いさんではあるが、殺されたくはない。まだこの世を生きたい。

わたしの手にもつ鈍く光る名前も知らない拳銃。刑事だった次男が趣味のためにわが家で保管していたものだ。ガンロッカーの暗証番号は次男に教えてもらっていた。
泥棒がはいってきたときは撃ち殺せ、ほがらかに笑いながらそう言った次男。民間の警備会社と契約しているから泥棒がはいることはないと鷹揚に語った父。会話に興味がなく爪を眺めていた母。ブランデーのおかわりをお手伝いさんにたのむ長男。ハキハキした声で長男のたのみを聴くお手伝いさん。

あのときは、拳銃で悪魔を撃つことになるとは想像もしなかった。

ひざから足首にかけてのすり傷。ズキズキと鈍痛があり、かさぶたもできておらず、うっすらと血がにじんでいる。
その痛さよりも、いま手にもつこの拳銃の重さ、それだけがわたしを地獄から救いだしてくれる可能性をもつ冷たい希望の光。
コイツを殺したとしたら殺人罪になるのか、殺悪魔罪になるのか、そして、コイツが家族たちにおこなった動画を証拠に家族の無罪をうったえれば、家族たちは地獄から解放されるのか。

「きみへ伝える悪意がきまったよ」

足の傷から、腹の底から、低周波をあびたように冷たい電磁波がゾワゾワと全身をかけまわる。最後の弾丸を落とさずに拳銃にしっかりとこめた。

Cylinderをカシャッとはめる。その硬く鈍い金属音は、お釈迦さまがたらすクモの命綱がたれさがった音のように聴こえる。

「裸にしたあと、日本で1番高い塔のてっぺんの棒に突き刺すにきまったよ」

宿題はしたけど、家に置いてきちゃいました、という学生ぐらいの軽い口調でコイツはわたしの処刑方法を淡々と伝えた。

親指にてHammerをおこす。オモチャを落としたような、たよりないチープな音が響く。
しかし、このたよりないオモチャのような音は、ひとを殺す準備がととのった合図だ。にもかかわらず、目の前のコイツは顔色をかえないどころか、汗ひとつかかず、紙で鋭くきった指の傷跡ほどのおそれすら見せていない。
拳銃でコイツを殺せるのだろうか、いや、殺さなければ、わたしが塔のてっぺんに突き刺さることになる。モズのはやにえのように残酷に見世物にされ殺されてしまう。モズのはやにえをモズが食べに戻ることはない、そのような学説を思いだす。モズのはやにえのように無駄に残酷に見世物にしてコイツはわたしを殺す。
コイツはまちがいなく人形の服をぬがすように、人形に枝を指すようにそれを実行するだろう。動画を配信して炎上しただけで、見世物のように残酷に殺されてたまるか。

心の底から憎いターゲットとFront Sightをまっすぐに並べた。Triggerに指をかける。

コイツを最初に見たのはいつだったろうか、拳銃の重さがわたしの頭と心を落ちつかせてくれた。

コイツとはじめて会ったのは『 VHoler 』の活動が、もっとも赤く熱く炎上していたころだった。

沈みゆく陰気な陽光がしのびよっている廊下、生徒の気配はなく、いまは脱げてしまった高級ブランドのヒール音だけが響いている。

「こんにちは、ぼくのチャンネル『 あなたの悪意を代行しちゃうぞ 』のターゲットにきみが選ばれました。」

「炎上系動画配信者のなかの誰に悪意を伝えるかのアンケートをとった結果。
いちばん若くて美人で、いちばん賢く、そして、いちばんお金をもち、そのうえ、いちばん親ガチャが大当たりのきみが選ばれました」

「ぼくのチャンネルで、きみへの悪意を募集するよ。伝える悪意はオークション形式にて決定されるよ。もっともお金か自分の寿命を捧げた人間の悪意をきみに運ぶよ」

目の前にとつぜんコイツがあらわれた。目の前に女の子のイラストを描いた紙をひろげられたように突然コイツがあらわれた。純粋な悪意が目の前にあらわれた瞬間だった。
生徒のイタズラだろうと考える。はやく帰りなさいよと伝え、その場を足早に離れる。
お人形のように整った顔をしており、口角は柔和にあがっており、目立つ生徒であるはずなのに、見覚えのない生徒だとしか思わなかった。

見覚えのない生徒と出会った翌日から、画びょうを靴にしこまれたり、トイレの個室にはいっていると水をかけられたり、授業でつかう教材をかくされたり、学校のテストの答案が無くなったり、動画を配信するパソコンやマイクなどが壊れたりと続けざまに不運に見舞われる。
学校関連のイタズラは、同僚の嫉妬かひがみ、イキオクレの声なき叫びであり、教材やテストの問題はシツケのできていない生徒の仕業だろうと考えた。
わたしの味方の同僚、わたしに好意をもっているであろう同僚たち、そして、脂ぎっており好きではない校長にも相談をしておいた。

相談をしてからもイタズラはとまらない。とまらないどころか、イタズラの枠をこえた殺意をもつイタズラが身にふりかかるようになる。道を歩いていると、花瓶やレンガ、電球が落ちてくる。
ロッカーにいれていた服が切り裂かれる、牛や豚、鶏などの血を腐敗させたような液体を車にぶちまけられたときは、六本足の昆虫が背中を行進したような寒気に襲われ、むせかえる血の匂いをまともに嗅ぎ胃の内容物を吐きだす。看板が落ちてきたり、木材が落ちてきたり、サッカーのゴールが倒れてきたときは、心の臓がギュッと冷たい手でにぎりつぶされたように感じられた。

命の危険をかんじたわたしは父と兄たちに相談した。母もわたしの話を聴いてはいたが役にたつものではない。
父の知り合いの弁護士に相談をもちかけることがきまる。探偵も雇用している弁護士であれば、なにかしらの対策をとれるかもしれないとの父の言葉。
次兄も警察のほうにかけあうが期待はできないと。ストーカーや女性へのつきまといに関する相談や対策にたいして警察の動きはおそろしく鈍い。それはまるで、冬のコタツにはいった人間がなかなかコタツからでてこない状態にちかい。

父とふたりで電気自動車にのりこむ。父のスマートフォンが鳴る。探偵事務所の通り道にあるブティックまで送ってくれるようにと母が言ってきた。
めかしこんだ母が駐車場に姿をみせる。
母が電気自動車の背後をとおりすぎた瞬間。
目がくらんだ。電気自動車の計器という計器のひかりが目をあけていられない強烈な光をはっした。静穏性にすぐれているエンジンがディーゼルエンジンのように轟轟と響きだす。
ぼやっとした視界、耳に聴こえるのは、きゅるきゅると軽快に不吉な音をたてているタイヤ。そのタイヤは摩擦によりランプの魔人が出現しそうな白い煙をあげている。
とつぜん、上半身を前方にまげられるような衝撃を感じた。

同時に母の絹を切りさいたような、舌を切られたすずめのような悲惨にして妙に色気のある叫び声が耳に届く。

電気自動車と駐車場の壁に母は挟まれた。母を挟みながら電気自動車は後退をつづける。母の腰を執拗に万力のようにキリキリと抑えつける。
わたしは父をみた。父は、車のエンジンをきろうとしたり、車のドアや窓をあけようとしたり、車のなかにて道化じみた滑稽な動きをしている。
わたしも車のドアのレバーを動かした。ガチャガチャとした音が響くだけで車のドアは開かない。
電気機器は、狂ったように赤く点滅する。正確に青い灯りを等間隔で光らせ、大きい犬を威嚇する小さい犬のような警告音がひびく。父はハンドルやレバーに手をかけておらず、そして、アクセルに足を置いていない。なのに、電気自動車は母の腰を削るように1mmずつ重戦車のように前進、いや、後進をつづける。
痛みを感じたときに人間が感じる髪を逆立てる怒声をあげていた母、鈍い痛みから逃れたい気持ちから母の声は懇願にかわる、お願いよ、やめてよと。つぶやくように謝罪の言葉を落とす。

浮気していたのはあやまるから許してと。

そして、ごぼりと原油がこぼれたような音が聴こえた。それからは、すきま風が吹きこむようなかすれた音だけが母の口から聴こえている。
目から涙がこぼれる。いや、目からだけでなく、水道の栓をすこしだけ閉め忘れたようなポトポトと粘りけのある音も聴こえる。
鼻血がとまったときのようなどっぷりとした血の塊の匂いとタイヤのゴムが焦げた匂いが混ざりあい電気自動車のなかの湿度は高くなり不快度指数のメーターはふりきれた。

母の泣き声だけが消えた瞬間。

わたしと父の体は、アトラスの手により車のシートに押しつけられ沈みこむ。アッという声もあげるヒマさえなく、おむかいの家のコンクリートの白い壁がせまりくる。
そして、車内から爆発音とともに発射された白い布にぶつかり首に強い衝撃をうける。わたしは意識の糸を手ばなした。
お手伝いさんが呼んだ救急隊員たちによりわたしと父、母は地獄から助けだされた。
いまから考えてみると地獄からは脱出できていなかった。悪意に磨かれた鋭くとがった針山を登りつづけるように、わたしの、わたしたち家族の生活は辛いものになっていく。

連日連夜、警察にとりしらべられる父。また、わたしも病院のベッドにて、いくつかの質問をされた。おぼえているかぎりのことを、できるだけ丁寧に正確に車内の様子を刑事に伝えた。
しかし、だれも、かれもわたしと父の言葉を信じてくれない。電気自動車の計器は正常であり、バックギアにいれられ、アクセルを踏んでいたと電気機器がしめしていると言われつづけた。

母はいまも意識をとりもどしていない。歩いた場所に金の蓮が咲きほこるように優雅でしなやかに歩をすすめた母。
母は意識をとりもどしてはいない、そして、母の足が動くことも二度とない。

駐車場のできごとから一週間ほどたち、わたしの脳や神経などの検査がおわった。わたしは病院を退院し家にかえってきた。
連日連夜、容疑者のようにとりしらべられている父の眼はおちこみ、生ハムの原木のようにホホの肉は削りとられ、けっしてのばすことのなかった無精ひげが確認できる。ふらふらと力なく動く父の姿は、一本の糸だけで動く作りが雑な人形のように見えた。

すこしだけ父と言葉をかわし、長男と次男に状況をきき、これからの対策についてたずねる。
ちいさいころから父の仕事についてまわり語学が堪能だった長男。日本人ならだれもが優秀とみとめる大学を卒業したのち外交関係の公務員になる。
わたしや次兄よりも頭ひとつほど優秀であり冷静であり、また他者との対応もなれたものだった。
長男は弁護士とのやりとりの内容、これからの計画を分かりやすい単語をつかい落ちついた声でわたしと次兄に教えてくれた。
長男の落ちつきはらった態度。体の芯から自信があふれる凛とした声は、わたしと次兄にわが家はだいじょうぶだという安心感を与えてくれる。
しばらく我慢すれば、また、いつものわが家の生活にもどるのだと思っていた。

長男がお手伝いさんを殺した、わたしたちが説明をうけた日の夜に。

12畳ほどの寝室のまんなかに置かれたキングサイズのベッド。
父が東欧にて仕入れた豪華にして堅牢な造りの実用的なベッド。沈みこまず、体を浮かせるように包みこむマットレス。
パリッとした初霜を踏む音が聴こえ、雪国の早朝にふったような汚れひとつない清潔で至純に白いベッドシーツ。
そのベッドシーツのうえには、だれもが一度は描いたことのある世界地図が描かれている。

黄色ではなく赤色の世界地図。世界地図の真ん中には、お手伝いさんが寝かされている。眠っているように目はとじられている。
静かに眠っているだけのように見える安らかなお手伝いさん顔。体の内部から爆ぜたような腹をみなければ、ただ寝ているだけとしか思わなかっただろう。
アニメや映画などのシーンでよくある醜悪な怪獣が這いでてきたようなお手伝いさんの腹の様子は、わたしの心胆を凍えさせた。
肝のないお手伝いさんの腹。その肝はどこにあるのかと視線をさまよわせると度肝をぬかれる光景が目に飛びこんできた。

臓物まみれの長男の姿。聖者が天上に住む神々に供物をささげるように長男の手は天上にむけて高くあげられている。

その手には、ほかほかと湯気をたてているものがのせられている。
アニメや映画などで見る凶悪な蛮族のように音のしないネックレスをかけている長男。
音のしない首飾りは、血の道が細くとおっており白い膜をかぶせられている。
連結されたソーセージのように見えるそれを二重三重に首に巻きつけている。
赤いペンキを頭からあびたような長男の姿。血と肉、鉄の匂いだけでなく排泄物が発酵した掃除のゆきとどいていない公衆便所のような匂いが部屋には充満している。
あれだけ冷静に丁寧、分かりやすい言葉をつむいでいた長男の口。
その口は、日本語でも英語、世界にあるどの言語でもない言葉をくり返しくり返しつぶやいている。

5分ほど茫然としていただろうか。ガヤガヤとした声の波がうちよせるような音が聴こえてくる。
そして、透明の盾をもった屈強な男たちが部屋に乱入し長男をおさえこみ、かかえこみ、赤い二本の線をひきながら長男を家からつれだしていった。

次男は男性の警察官に質問をされ、わたしは女性の警察官からいくつかの質問をされた。なにも答えられず、いや、なにも考えられず、いまの状況がなにひとつ理解できない。視界の片隅で大声をあげている次男の姿を確認した。

人生ゲームの車にのせられた細くたよりない棒がぬけるように、わが家をとりまく静かで平穏だった生活はやぶられた。

けたたましく四六時中なる電子音の通知音。電子音の通知の奔流はとどまることをしらない。
早朝であろうが、深夜であろうが、おかまいなしに通知音は鳴りつづける。借金のとりたてにきてドアを叩くように荒々しく、国営放送の集金のように執拗に陰湿に電子音の通知は鳴りつづける。

わたしは、はじめてスマートフォンの電源を自分の意思で切った。

わが家のまわりには、蛍光灯のまわりを飛びまわる小さい虫とおなじくわずらわしい存在のジャーナリストたち。
知る権利という紋所をちらつかせ自らを特権階級とかんちがいしているゴミ虫たちの乱痴気騒ぎ。

学校を休むために、母のスマートフォンを借り職場の学校に連絡をいれる。プープープーと無機質な音の返事。
時間をおき電話をかける。ふたたびプープープーとの返事。
なんどもなんども電話をかけるが結果はおなじだった。翌日、翌々日も電話をかけつづけたが、電話がつうじることはなかった。

周囲がさわがしいまま迎えた朝。学校と連絡がとれた。あたりさわりのない話、いま、家がゴタゴタしており仕事を休ませてもらいたい、と伝えたと思う。
同僚の先生から伝えられた言葉の衝撃が強すぎ電話の内容を覚えていない。覚えている言葉はひとつだけ。

「あなた、身バレしているわよ」

背中に冷たい液体をたらされ、落下時に感じるオヘソへの浮遊感。漫画などに使われすぎて手垢にまみれすぎた縦線が顔にはいる。マリオネットの糸が切られたようにカクンと足の力がぬけ、上体の体の重さを手で感じた。

わけのわからない状態にほうりなげだされたとしても、五里先も見えない霧のなかにほうりこまれたとしても、人間は考えつづける。
次男に電話をかける。留守番電話につながるだけだった。しかたなく父の書斎にいき、パソコンの電源をいれる。ネットのニュースサイトを検索すると、わたしたち家族の情報が氾濫している。
たしかな情報、ふたしかな情報、悪意のある情報、ふざけた情報。そして、まちがえようのない顔がのせられているニュースをみつけた。わたしの顔と『 VHoler 』の顔が並べられていた。

わたしの名前を検索すると、『 YouHole 』のアカウントからSNSのアカウント、現住所や家族構成、勤め先の情報までがインターネットの網にぶらさげられている。
つきあった記憶のない彼氏、だれだったか思いだせない同級生が、わたしについてのコメントをしている。
あげくのはてに、わたしの卒業文集までがテレビで公開されていた。わたしの卒業文集を読んで、なにがたのしいのだろうか。乾いた笑いがこぼれる。

あたまの中が真っ白になるとは、このような状態なのだろうか。真っ白な頭のなかで、マッチに火がつき、そこから白い紙が燃えるように怒り、焦り、いいようのない不安感などが、ゴルディアスの結び目のようにもつれ、からみつき、わたしを包みこむ。

どこだ、どこから、わたしの情報がもれた。

見たくもない、聞きたくもない、推測で好き勝手に書きなぐった便所のラクガキニュース。
おもしろおかしく書きあげている卑猥なニュース。汚物のジャングルともいうべきニュースをかきわけながら情報のでどころを探る。

見つけた。

『 YouHole 』の『 あなたの悪意を代行しちゃうぞ 』というチャンネルが身バレの原因だ。

チカッと頭のスミで警告音が鳴る。思い出すべき情報を忘れているような警告音が鳴った。
いつかの夕暮れの校舎の廊下にて伝えられた『 YouHole 』のチャンネル名だ。『 YouHole 』にてチャンネルを検索する。動画の内容をチェックした。

おどろいた。

わたしの身のまわりにおきだしたイタズラは、このチャンネルにて悪意を募集し、そしてチャンネル主である女の子が、募集した悪意をわたしに実行していた。
さらには、悪意を実行されている様子まで撮影されており動画として公開されている。
わたしの動画だけでなく、母が車にサンドイッチにされている姿、長兄が女の子にあやつられたようにうごき、泣き叫ぶお手伝いさんのお腹を切り裂く動画まで公開されている。
この動画があれば、父も長男も無罪になる、海が割れるようにこの困難な状況が解決にむかうように思われた。次兄に『 YouHole 』のアドレスと手にした情報をまとめてメールにて送る。

次兄におくったメールが既読になることはなかった。

『 あなたの悪意を代行しちゃうぞ 』チャンネルにあたらしい動画が投稿された。
『 次男に執行する悪意が決定!! 』いそいで動画の内容を確認する。

代行する悪意の決め方は、お金を一番おおく払った人間の悪意が届けられる。お金をもっていない人間は、寿命を払えば悪意を届けられる仕組みになっている。

寿命1年が1,000万円ぶんになると書かれている。次男に執行する悪意のために、寿命50年を捧げた人間の悪意が採用された。

ありとあらゆる古今東西の拷問にかけ、気をうしなわないように、すぐに死なないようにじっくりと殺してほしい。

悪意の内容を理解した瞬間、怒りをかんじるよりもさきに冷たい水をあびせられ、顔を水につけられ肺に酸素がとどいていない息苦しさを感じた。

「死なないように、拷問するのは大変だけど、約束だからしかたないね、がんばって悪意を代行するよ」

50年もの寿命を捧げてまで次男に悪意を代行したい人間。その人間に次男はどんなヒドイことを過去にしたのだろうかと考えていると、動画のなかの女の子が新しい情報を伝える。
なぜ、そこまで次男に悪意を伝えたいのか、高校時代にモテてモテてモテまくっていた次男。
悪意を伝えたい男性が好きだった子の告白を次男は断った。そして、金持ちの家にうまれ、イケメン、スポーツ万能、そんな次男がうらやましい、だから、寿命をはらってまで、とことん苦しめたのちに殺してほしい、と。

笑いながら情報を読みあげていた女の子ですら、すこし笑顔がひきつっている。
すこしだけ笑いをこらえるような、すこし動揺したような声で「わかったよ、しっかりと悪意を代行するよ」と伝えたところで動画はおわった。

ふざけるな。

次男が金持ちの家にうまれイケメンなのは生まれつきかもしれない、だが、毎朝陽がのぼるよりも早くに起床しストレッチ・ランニング・筋トレにせいをだし柔道にうちこんでいた次男。
年長者になんどもなんども投げられ、ねじふせられ耳から血を流しながら柔道の技術を磨いてきた。
指をしゃぶりながらうらやんだ目で次男をながめているだけの人間の悪意のためだけに死んでいい次男ではない。

なんどもなんども次兄のスマートフォンに連絡をいれる、ありとあらゆる連絡手段をつかい連絡をとろうと試みるが、次兄とは連絡がとれないまま時間だけがすぎさっていた。

『 あなたの悪意を代行しちゃうぞ 』チャンネルのコメント欄では、つぎの動画がアップされるのをたのしみにしている人間たちの言葉であふれかえっている。
人間というものは、ここまで他人の痛みや苦しみに鈍感になり、そして、他人が苦しむ姿をゲラゲラと笑いながら見学できるものなのかと純粋な怒りがこみあげてくる。なんの罪もない手にもつマウスが悲鳴をあげる。

『 あなたの悪意を代行しちゃうぞ 』の過去の動画を視聴し情報をあつめようとした。
動画を視聴しなければよかった。人間の悪意がつまった排水口のフタの底には、ヒトカケラの希望もはいってはいない。
仲がよいと思っていた友人やつきあっていた元恋人。わたしにいいよってきていた男性たちが悪意をわたしにぶつけていた。
そして、仕事の同僚や学生時代のクラスメートたちが金や寿命をはらい、わたしに死ねとばかりに悪意をぶつけていた。

長男に悪意をぶつけた人間は、長男と出世争いをしていた人間だった。
なんどか長男が家につれてきたこともあり、よいライバルだと長男が紹介したあの人間だ。
3,000千万で、たった、3,000千万で長男の前方にひろがっていたであろう輝かしい道は崩落させられた。

叔父だった、父と母を地獄につき落とした人間の正体は。

酒飲みで、ギャンブル好き、身をもち崩したクソ人間の総合商社のような叔父。
やさしい父が仕事をあたえ人並の生活をさせていた。わたしをいやらしい目つきで眺めていた叔父。つよく噛んだ歯から鈍く濁った鉄の味。
叔父に殺意の塊を投げつけようとしたが、寿命30年を捧げた叔父の寿命はすでに回収され冷たくなっていた。
叔父が冷たくなっていく様子を収めた動画も視聴できた。叔父の頭のうえに女の子が手をかざすと、うっすらとしたカエルの卵のようなものが叔父からぬける。受け身もとらずに激しい音をたて叔父は畳のうえに倒れこんだ、いや、死んだ。

寿命はしっかりと回収される、闇金業者のようにしっかりと寿命を回収され死ぬとわかっていながら、次男に悪意を伝えたい人間も叔父も悪意を伝えるために寿命をはらった。なにが彼らをつき動かすのか。

疲れがたまっていたわたしは、パソコンのまえでひれふしいつのまにか寝ていた。
動画が投稿された通知音がわたしをゆすり起こす。動画が投稿されたことも知らずに眠り姫のようにスヤスヤと寝ていたほうが幸せだっただろう。

次男は拷問にかけられ、そして死んだ。

5つほどのカメラを使い撮影している料理番組のように、次男にほどこされた拷問の内容から次兄の反応、次男がどのように死んだのかを残酷なまでに克明かつ鮮明に動画には映しだされていた。

料理されるのは食材ではなく人間。悪趣味の極みとしかいえない料理番組。

次男は下ごしらえされ、煮られ、そして、食べられた。

真っ暗な画面。うっすらと人影のようなものを確認できる。カッと大きい光源が5つほど灯る。清潔感のある部屋の中央に置かれている椅子に座っている次男の姿が見える。
次男の無事な姿にほっと一息つき、「ひっ」と息をすいこんだ。次男は椅子に座っているのではない。椅子に座らされていた。
中世のヨーロッパで使われていたような年季を感じさせられる古さと頑丈さだけがとりえの椅子。
その椅子のひじかけに杭にて打ちつけられている次男の腕。前腕の骨と骨のあいだに蝶の腹をさすように杭が打ちつけられている。
次男の足の甲にも杭が打ちつけられている。むきだしにされた腕と足からは血は流れだしてはいない。
しかし、次男のおでこの脂汗、ぷるぷると噛んだ唇からは、鈍い痛みを感じているであろうことは画面ごしでも確認できる。

次兄が陳列されている部屋に5人の子どもがはいってきた。
子どものように見えたのは身長だけで、姿形は人間の子どものそれではない。
サメのような口。醜悪で凶暴な三角形の歯がはえ、その歯の形のように吊りあがった細い眼、二等辺三角形の耳をもつ生物。
サンタクロースが着ているような服を着ている。幸せな赤色ではなく血が固まったような濁った黒色の服をきている生物からは、炭のように喜べないプレゼントしかもらえないだろう。
ぴょんぴょんと跳ねまわる生物。手をあげたり、下げたり、首をカクカクと動かす。
生物の動きはコミカルな道化師にしか見えないが、手にもつ道具は道化師がけっして持つものではない。ペンチや針、カナヅチ、ノコギリを持つ手。
ギャーギャーとムクドリとホエ猿の鳴き声を混ぜあわせた声をはっする。次兄の座っている椅子をコンパスの中心にし、円を描きながら踊り、飛び、跳ねまわる生物たち。
邪悪なキャンプファイヤー、悪魔にささげる儀式のような光景は、生物たちが動きをとめるまで続いた。

静かな部屋に、次兄の怒声だけが響く。

醜悪で邪悪な生物たちは、むきだしになっている次男の手と足にある20個の硬質ケラチンをペンチでむしりとりだした。
硬質ケラチンがむしりとられるたびに、ノドが焼けつきそうな温度の声をあげる次兄。
すべての硬質ケラチンをむしりとった生物は、二つの脚立をもってきた。
次兄が座らされている椅子の両サイドに脚立を置く。脚立のてっぺんに生物がのぼる。
脚立にのぼった生物たちの手には、もっとも原始の人間が作りだした石と石を打ちつけあって作ったと言われている道具が握られている。
黒曜に鈍く雑に光る道具が、次兄の髪のはえぎわに刺さる。
空砲のような大声を次兄があげる。
刺さった道具をぐりぐりと動かし、肉をえぐり、皮をそいでいく。耳をすぎ、ほほをすぎ、あごにまで赤い線は到達した。
赤い線で丸をつけられた次兄の顔。
包丁をはじめて握った人間が、さばいたような魚の切り口に見える赤い線。道具を握った生物は脚立からおりる。
なにも手にもっていない生物が脚立にのぼる。次兄の髪のはえぎわに両手をあてる生物たち。

生物は一気呵成に皮膚をひっぱった。

なんの意味もなさない次兄の悲劇的な声。
邪悪なフェイスパックを手にもち、おどける生物たち。
プレゼントをもらった子どものように邪悪に笑い、プレゼントを見せびらかすように手を高く掲げフェイスパックを旗のようにふる。
越後屋の笑い方ですら上品に感じられる生物たちの聴くにたえない笑い声。
理科室におかれている人形の顔になった次兄。赤い顔に白い目がくっきりとおおきくぎょろりと浮きあがる。
フェイスパック1枚、それが、それだけが消失しただけで次兄の顔を認識できなくなった。
次兄の顔は正面を見ていない。排泄物をたらしたあたりに力なく視線を落としている。

一匹の生物が注射器をもち脚立に飛びのる。次兄の首に液体を注入する。ビクッと一瞬だけ動く次兄。
杭をはずされるが、次兄が動いたり抵抗したりする様子は見られない。
次兄の服を乱暴にはぎとる生物たち。服を脱がされ無造作に地面にころがされる。
ちいさい白い扇子(せんす)のようなものを手にもつ生物たち。扇子のようなもので次兄の体をこすりだす。
低く濁った粘着質な声をだす次兄。注射された液体の影響なのだろうか、指ひとつ動かせず、ただただ横たわることしかできない。
生物たちは、次兄の髪が生えている部分を重点的にこする。頭部やスネ、ワキの下、性器の周辺。ジョリジョリとした軽快で卑猥な音の下に、ジュルジュルと粘着的な底意地の悪い音が響く。
生物たちがもつ白い扇子に視線がズームされた。扇子などではなかった。

生物がもつものは、ホタテの貝殻だった。

あの鈍く硬く細くとがっているホタテの貝殻で次兄の髪をそり、肉をこそげている。かけた貝殻が次男の肉片と混ざりあう。

眼のまえのディスプレイが遠ざかり、ディスプレイが丸い穴に吸いこまれるような錯覚に襲われ、わたしは気絶した。

気絶していた時間はどれぐらいだっただろうか。眼をあけてもまだ残酷で陽気な調理は続いていた。
お寺に吊りさがっている青銅製の鐘をひっくりかえし三本の足をつけたものに、頭髪から顔の皮膚までをはぎとられた次兄がいれられている。
ボコボコと地獄の釜がひらいたような熱湯もなみなみと鐘にはいれられている。
ふらふらと風にゆれるススキのように次兄はゆれ、静かにゆっくりと熱湯のなかに沈んでいく。
ニンニクやタマネギ、セロリ、ブーケガルニのような薬草をぽいぽいと次男が沈んだお湯のなかに放りいれる生物たち。
身長の倍ほどもある木べらで鐘のなかをかき混ぜる生物。その生物に熱湯がかかったようで、おおげさに騒ぎたてている。
次兄が、次兄が、どれだけの痛みと苦しみを味わったと思っているんだ。
手のひらに痛みを感じた。手のひらに爪がふかく喰いこんでいた。
生物たちは料理を続ける。塩や砂糖、液体調味料などをいれ木べらでかき混ぜ、お玉にて鐘のなかの内容物をすくいサメのような口にて味見をする。
首をかしげる生物の姿をみた瞬間に、たえがたい吐き気をおぼえた。

胃のなかには固形物など残っていないにもかかわらず、紅黄色のすっぱい胃液をなんどもなんども吐いた。
胃液すらもなくなったというのに、吐き気はとまらず空気をしぼりだすように、胃をひっくり返したように、なにも残っていない胃のなかのものをしぼりだそうとする体の反応。
ふたつの眼からは、ぬぐいがたい涙がこぼれる。

「なぜ、わたしが、わたしたち家族が、こんなめにあうのか」

なにも残っていない胃からこぼれ落ちた言葉は、誰の耳にも届かないはずだった。

「きみが炎上したからだよ。きみときみの家族は、悪意を届けられるターゲットにえらばれたんだよ」

部屋のすみの薄い影から人がすべりでてきた。
いつかの廊下で出会った見覚えのない生徒の姿が部屋のすみにある。
いつから、そこにいたのか、また、なぜ、ここにいるのか、オートロックのわが家にどのように侵入したのか、いろいろな疑問が頭に浮かんだが、聴きたいことはきまっている。

「なぜ、なぜ、『 YouHole 』で炎上しただけのわたしがここまで苦しめられるのか、なぜターゲットに選ばれたのか」

ぜいにくのないすっきりとした形のよいアゴに指をあてがいながら生徒は質問に答える。

「やっぱり炎上しちゃうと人から恨まれたり憎まれたりするだけじゃなくてさ、痛いめにあわせてやりたいと人は思うんだよ、そのお手伝いをしているんだよ、ぼくたち悪魔は」

他人から恨まれたり、憎まれたりするのは分かる。
しかし、なぜ、この生徒は楽々とわたしたちの家族の命を痛めつけ、命を狩りとれるのか。いろいろな情報が頭のなかでからまる。

「あなたは、なにものなの?」

「ぼくは、悪魔だよ。きみやきみたちの家族に魔力を使ったり、使い魔に命令をだしたりし悪意を届けたんだよ」

「悪魔なんて、そんな、ばかな」

「悪魔は昔から存在していたんだよ。戦で大活躍をした優秀な弟を殺したかった兄の悪意をかなえたり、明智のみっちゃんの悪意を上司に伝えたりと昔から日本にもいたんだよね。兄も明智のみっちゃんも悪意を伝えたあと悲惨なことになったのは、悪意を伝えた代償なんだよ。
代償があると知っているのに、悪意を伝える選択をしちゃうんだよね。その代償である寿命やお金のおかげでぼくたち悪魔は生きることでき、魔力で人をあやつったり、使い魔を使役したりできるんだよ」

「なんで、なんで、わたしが」

「うんうん、なんできみが悪意を選ぶターゲットに選ばれたのかだよね。選ばれた理由はふたつ。きみが勝ち組だったのが理由のひとつ。実家が金持ち、若く容姿端麗、そして炎上していた。
だから、きみが選ばれたんだよ。そして、悪魔でもビックリするぐらいの悪意が集まったわけさ。
さらには、きみだけじゃなく、きみの家族に伝える悪意まで集まるとは思っていなかったんだよ。うれしい誤算だったよ」

「ふたつめの理由。きみたち家族が金持ちだったのはたしかだよ。
しかし、きみたち家族は、現在の社会のシステムを運営している重要な人物ではないんだよね。
それがふたつめの理由だよ。
いま、悪意を伝えても、日本の政府からはおとがめもなく『 YouHole 』のアカウントもとめられてもいない。
ぼくたち悪魔は、世界中の社会のシステムを構築し運営している重要な人物と付きあいがあるのさ。
だから、自由に悪意を伝えられる。そして、いまの世界に張り巡らされている社会のシステムは、ぼくたち悪魔にとっても都合がよいものなので積極的に壊したくはないんだよね。
きみ以上に炎上している汚職政治家やちいさい子供を毒牙にかけている権力者たちは、日本を構成し運営している重要な歯車であり、ぼくたちは壊したくないのさ。
あぁでも、構成していた政治家の末裔の二世三世のボンクラ議員や、いつも反対反対だけしている議員なんかはそのうち悪意を募集するかもね」

「ぼくの他にも悪魔はいて、世界各国にてチャンネルを開設し、悪意を募集しているんだけど、ぼくが運営する日本のチャンネルが、いちばん寿命とお金を集めているんだよね。
ほかの国では、悪意を伝えるぐらいなら自分が幸せになると考える国、他人に悪意を伝えるヒマもお金、時間もない国などがおおく日本ほど寿命とお金が集まらないだってさ。
じぶんの寿命を削ってまで、きみの父と母、そして、次男に悪意を伝えたいと願ったような人間は皆無なんだってさ。ほかの国とくらべると平和に暮らせるのに、どうして悪意を伝えるんだろうね、日本人は」

「そうそう、いままでは、もっとも寿命を捧げるか、もっともお金を払った悪意を伝えてきたけど、これからは死につながらない悪意まで伝えるようにルールが変更されたよ。
死につながらない悪意でも日本人は、そこそこの寿命とお金をはらうのを確認した悪魔のオエライさんがさ、その悪意も伝え寿命とお金を回収しろって命令してきたのさ。
チュウカンカンリショクの辛いところだね。ボーナスはもらえるけど、すこし忙しすぎるんだよ」

徹夜し必死にレポートをしあげてきたよ、今日も日付がかわるまでバイトだよ、と女子高生が会話するようなトーンで質問にこたえる女子高生の皮をかぶった悪魔。

わたしは、コイツの言葉を聴いているうちにフローリングにへたりこんでいた。
べったりとゴキブリがほいほいされるような粘着したものがノドにへばりつき声をだせない。
へたりこんでいるわたしの鼻にこげくさい匂いがとどく。木が燃えているような、ビニールが燃えているような、さまざまなものが混ざった匂い。

「そうそう、思いだしたよ、悪意を伝えにきただけだったんけどさ、きみの問いかけに思わず反応しちゃったよ。きみの家のあちこちに火をつけたよ。はやく逃げないと焼け死んじゃうよ」

それだけを言い残し、くるりと回転した悪魔は、その姿は部屋のなかから消えた。

悪魔は消えたが、イヤな匂いは濃くなってきている。
また、ドアの上と下から煙が部屋にはいりこんでいる。
このまま焼け死ぬのもいいか、楽に死ねるかもしれない。

しかし、わたしは下半身に力をいれ、椅子につかまり、わたしはたちあがる。扉をあけ、部屋からでる。

空間の上半分が黒い煙におおわれていた。チラチラッと舌なめずりをする猫のような火も確認できる。
わが家は燃えつきる。消火作業はまにあわないだろう。なにもかもを奪われる。
そして、最後には命すらも奪われるだろう。
おとなしく奪われてたまるか、かんたんに命を奪えるとおもうなよ、
白衣の右袖を口にあてる。兄たちと遊んだりケンカしたりした想い出のつまった廊下をヨロヨロと歩く。

わが家から逃げだすまえに、次男の部屋から悪魔に対抗する牙を手にいれなければならない。
次兄の部屋には、しっかりと施錠された金庫(ガンロッカー)がある。
暗証番号は知っている。暗証番号を入力しカチャリと金庫をあける。
なかには、猟銃や拳銃と弾丸がいれられている。拳銃を手にとり動作を確認する。
拳銃の弾を探す。ピシリと木材が割れる音が聴こえ、部屋のなかの煙が濃くなってきている。
焼け死にたくはない、白衣のポケットに拳銃の銃弾をねじりこむ。猟銃も手にいれたかったが、火のまわりがそれを許してはくれなかった。

ほかの犬から吼えかけられても吼えかえさず。また、無駄吼えひとつしなかったわが家で飼っていた犬の鳴き声が、燃えつつ崩れおちる家から逃げだしているわたしの耳にとどいた。

わが屋を一望できる小高い丘。わたしの家は沈みゆく太陽よりも残酷にオレンジ色に崩壊しながら輝き、神か悪魔に戦争を挑みかかる準備ができた狼煙をあげている。

悪魔が伝えたとおり、死に直結しない悪意に襲われた。
ドーベルマンのような凶悪な姿をした6本足の犬に襲われる。
突然、マンションのすきまに連れこまれ襲われそうにもなる。
悪意に襲われ走ることを想像して作られていない靴がぬげた。つぎに髪留めが飛び長い金髪が微風にもて遊ばれる。
ストッキングのやわらかい鎧が壊され白い肌に血がにじむ。静脈からにじみでた黒い赤色は白衣にも飛ぶ。
鉛の弾丸を火薬にのせて悪意にたたきこんだ。
6本足の犬が消え、マンションのすきまに連れこもうとした(校長のように見えた)モノも倒す。

狼男への銀の銃弾、ヴァンパイアへの十字架、アンデッドへの聖水のように、拳銃の弾は有効だ。
悪魔にも銃弾は有効かもしれないと考える。残弾数を気にしながら、夕暮れの街をあてもなく走りまわる。
悪意に襲われながら街を逃げまわっていたわたしは、自分が教鞭をとる教室にたどりつく。
いや、悪意に誘導されたのかもしれない。

逢魔が時。魑魅魍魎が跋扈するといわれている時間。ひとり百鬼夜行ともいえる残酷で純粋な悪意をかたどった女子高生の姿をわたしの目はとらえた。

心の底から憎いターゲットとFront Sightをまっすぐに並べた。Triggerに指をかける。

Triggerをしぼるようにひく。拳銃が跳ねるのをおさえこむ。肩にひびく衝撃をフローリングをふみつけていた足にてうけとめる。

コイツの眉間のあいだを狙いわたしは銃弾を撃ちこむ。
やわらかい黒い髪を巻きあげ弾丸はオデコにすいこまれ消える。
銃弾が消えた跡には、障子に指をつっこんだような黒い穴ができた。
おおきな眼をみひらいたまま、ドミノのようにゆっくりと後にたおれる悪魔。羽毛が床に落ちたように、重さを感じさせずに倒れこむ。
わたしとわたしの家族を苦しめた悪魔に残りの銃弾をすべて叩きこんだ。
銃弾を叩きこむたびに電撃をくらったカエルか魚のように跳ねる。
銃弾を撃ちおわったいま、悪魔はピクリともうごかない。
拳銃を教壇におこうとしたが、マネキンの手のようにかたまっている左手の指はピクリとも動かない。右手で左手の指をはがし、拳銃を教壇のうえにゴトリと置く。

おわった。たすかった。もう悪意を伝えられることはない。とりあえず、怪我を治療したあとに、どこかでゆっくりと温かい布団で眠りたい。ゆっくりとまどろみたい。教室のそとへ足をむけた瞬間。

わたしの記憶はとぎれた。意識がとぎれる瞬間。黒い砂漠の嵐のかたすみで雑音が聴こえた。

「拳銃ぐらいで死ぬわけないんだよ、ぼくが」

低い山脈に指一本だけかけた赤黒い太陽。わたしの視線は、山脈よりも高く、太陽すらも見おろしている。
わたしは酸素がすくなく澄んだ温度と乾いた湿度を肌ぜんたいで感じている。
肌ぜんたいにふきつける狂風が乱暴に肌にあたる。肌にあたった烈風は柔らかい肌をきりさくカマイタチのように鋭く痛い。

冷涼な空気、硬い風の痛みにふるえていると、大きいマッチをすったような激烈な痛みを体の芯に感じた。
空気と風に冷やされている体は、痛みの熱がひろがりにくい。ゆっくりとした鈍痛が、しめった木の葉を燃やすようにひろがってくる。

そうか、悪意を伝えられたのか。脳に酸素が届いていないのか、脳も体の動きはにぶい。
お釈迦様のようにまぶたもさがる。人工的な無機質なビルだけでなく天然の鬱蒼とした森もたくさん見える。

ビルや住宅、商店街、自動車の光ひとつひとつに日本人の物語がある。
その光につつまれ、日本人はぬくぬくと安穏に生活し、笑い、安心して眠りにつくのだろう。

その明るい光のしたには、わたしに悪意を伝えたヤツら、炎上したわたしが痛い思いをしているのを視聴しながら笑っているヤツら、エンターテインメントのひとつとしてアルコールでも飲みながら騒いでいるヤツらがいるのか。

光のしたで、わたしのいまの残酷な姿を動画で見ているのだろうな。

日出ずる処の綺麗な日本の街に住む日本人の心は、どろどろと粘着的に腐敗し、精神は幼く、蜘蛛の糸から他者を叩きおとす利己性、他者の足をひっぱり地獄に落としこもうとする残虐性。SNSにておぼれている他者を正義感をふりかざし容赦なく叩く偽善性。

日本人、みんな、死ね。にほんじんに、わざわい、あれ。

悪意を伝えられた彼女は死んだ。

最後の言葉を聴いた人間はいない。

彼女の悲惨な姿は、動画にて配信された。

彼女だけでなく、彼女の家族にも伝えられた悪意の動画を視聴した日本人。

炎上すると悪意を伝えられるかもしれない、と考えるようになり、日本人は炎上しないように気をつけるようになったのか。

否である。

彼女の動画が投稿されたあとも炎上騒動は続く。火のないところに火をつけ炎上をおこす日本人が減ることはなかった。

そして、日本人は喜んでお金と寿命を捧げ炎上した人間に悪意を伝えている。

「日本人ってほんとバカだよね」

おわり

小説を書くにあたりアドバイスをくれた人や、小説を読みアドバイスをくれた人に謝辞を。


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