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読書感想文『 クチュクチュバーン 』を読んで 日本文学の屈指のシュールストレミング小説

『 クチュクチュバーン 』は、日本のシュルレアリスム小説のなかでも、とくに無慈悲で冷徹な異彩をはなつ珠玉。

のちの世の作家に多大な影響をあたえたカフカの『 変身 』
『 クチュクチュバーン 』も、変身がひとつのテーマになっている。
人間が、なにか、異形なものに変化していく三つの短編小説。

変身しない登場人物もいるが、変身できないがゆえに、死ぬことになる。
変身しないかわりに、文明のパワーをたより、空をとび、陸を疾走し、仲間になれず、そして死ぬ。
救いなど、フローリングの片隅にたまるホコリほどもない。
きれいで清潔な死の物語。
死にいたる過程、恐怖や思考、嘆きなどは、こんなことを考えるだろうなと思わされるリアルすぎるほどな現実感がある。

いちどは考えたことがあると思う。
ゾンビが出現したら、エイリアンが地球を侵略してきたら、どのように行動するかを。
あなたの頭のなかで考えた、氷砂糖のようにかたく甘いお考えは、すぐにお捨てなさい。
あなたの頭のなかの考えよりも、深く、濃く、のっぺりと、ぶッとんだ悲劇かつ喜劇が『 クチュクチュバーン 』のなかでくりひろげられる。

ネタバレになるので書けないが、捕食者から逃げるために日本人は体のある部位をさらけだす。
大人から子ども、男性も女性もみなが、ある部位をさらけだす。
その姿を想像しただけで、口角がピクリとあがる。

『 クチュクチュバーン 』を読んだひとは、どっぷりドス黒い世界観にひたるか、血がとび、血に人がむらがり、ぺちゃぺちゃとなめ渇きをいやす、排泄物がひねりだされ蓄積され異臭をはなつ、老若男女かまわずに、家畜のようにシステマティックに殺される描写から目をそむけるひとに分類できると思う。

くだらねぇ、とおもい読むのをやめたひともいるだろう。
荒唐無稽な話ばかりなので、そのように思うのもわかる、うん、とても理解できる。
ただね、いま普通にすごしているけども、いつなんどき『 クチュクチュバーン 』の世界が出現しないとは誰にもいえないんじゃないかな。
あなたが小説を読んでいるときに、空から異音がきこえてくるかもしれない。
陸地が緑や青の物体におおわれてしまうかもしれない。

ノーベル文学賞をとったガブリエル・ガルシア=マルケスの小説に『 族長の秋 』という小説がある。
小説の冒頭から、玉座にサメがおよぎ、王級のバルコニーから牛が顔をだす、と荒唐無稽な文章がつづく。
マジック・リアリズム小説とよくいわれている『 族長の秋 』だけども、ガブリエル・ガルシア=マルケスは、南米にあったことを書いたんだ、正確に、と語っている。
『 クチュクチュバーン 』をよくよく観察すると、日本人の心理を冷徹に正確に書きしめしているように思う。
ひとりが、右にまがると、全員が右にまがる。
ひとりで死ぬ勇気がない、なので皆で死ぬ。
叩いてよい弱った人間がいると、まわりの人間は虎狼のように凶暴になり、魔女裁判の審理官のように冷酷で残酷になり、おぼれている犬のケツに棒をつっこむ、日本人の性格をよくよく書きしめていると思った。

マジック・リアリズム小説の極みともいえる『 族長の旅 』とおなじように、日本人の性格を書きあらわすにはシュルレアリスム小説の形をとらざるをえなかったのかもしれない。

せめて、俺が生きているあいだは『 クチュクチュバーン 』の世界感が隆起し、勃起しませんようにと強く願う。

クチュクチュバーンするよりも、ブレイバーンしたい!!


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