人のこころを情景にたとえた話
みなさま、いかがおすごしでしょうか。一応ご報告ですが、先日の入院経験については、入院前と退院後でやっぱり心境の変化というものがございました。
いわば、入院前は心の糧をなくした状態、入院中に心の糧を得て、退院後の現在ではその糧をいわば釈迦が垂れた蜘蛛の糸のようにして、毎日を過ごす日々でございます。
もし万が一、その糸が切れたとき、それが私の寿命です。ということで、今回もよろしくおねがいします。
心の中を表現する=スピリチュアル
当たり前の話なんですが、人間「こころの中が読める」ということはありません。どんなに「僕はあなたが好きだ」と言っても、それが本当かどうか、などということは100%わかるはずもなく、それは自分の想像で判断するしかないわけです。
つまり、相手の心の中、というものは自分の想像上の概念であり、つまりは「ファンタジー」なわけです。
心の中はファンタジーであるわけですから、スピリチュアルもファンタジーである、ということはまったくもって否定される要素はありません。ですので、今回はそのファンタジーの情景を風景写真のようにイメージしてみようという試みです。
心は大地、感情は天候、意識は昼夜。そこでは何が育つか。
とはいえ、今回は全く個人的なたとえばなしとなります。
まずは、心。これは、いわば大地です。
地平線かなたまで広がる大地。有機物と適度な水分により、ふかふかとしたその大地は、その雄大さに圧倒されながらも、多くの作物を実らせることができるでしょう。
そして、その作物を育てるためには温暖な湿潤気候であることが必要です。これは感情を表しています。
適度な日照時間、適度な降雨、適度な風。そのどれかでも行き過ぎていれば作物は育ちません。過ぎたるは猶及ばざるが如し、それを表現するには天候が最適なポジションであるといえます。
意識は昼夜です。無意識=夜、意識=昼、です。
人間は夜に寝る生き物です。そして、寝ている間は意識はありません。昼はその情景を明るく照らします。明るく照らされている間、情景はその情報量を増やし、光と影の濃淡を作ります。意識と無意識の間は無限のコントラストによってその範囲を変えます。
大地を醸成するのは天候です。雨も風も太陽の暖かさも、それぞれ大地を恵みの土地にするためには必要不可欠な要素です。雨は大地に適切な柔らかさをもたらし、風は植物の種を運び、太陽により生き物は活動できるわけです。短い嵐でさえ、有害な細菌や不要物を洗い流し清める役割があります。
感情の起伏を気に病む必要はありません。要は使いかたなのです。
むしろ同じ感情が長期間続くことのほうが問題なのです。癒えぬ悲しみや、快楽に溺れたり、怒りに身を任せ暴力をふるい続けることが問題なのです。また、逆に感情の起伏がなさすぎるのもそれはそれで問題なのです。
感情の豊かさは心の豊かさを醸成します。様々に変化する天候によって、大地は本当にいろんな作物が育ちます。
情景をイメージすることで自分のこころをコントロールする
このように情景を構成する各パーツを自分のこころを構成する各要素にあてはめていきます。そして、思い出を振り返るとき、同時にその時のこころの様子を情景としてイメージします。例えば楽しかったときのことを思い出したなら、「雲一つない晴天のもと、さわやかな風がビューっとふき、大地の草を心地よく揺らす」といった風にイメージを作っておくことで、次に思い出すときの助けになりますし、自分にはどんな情景が多いのか=普段どう思って生活しているのか、といったことが把握しやすくなります。
それにより、気に病む必要はありませんが、そのかわりそれが続かないような対策をすると良いです。また、情景としてより具体的に自分のこころを把握できますので、その対策もなにもしないよりやりやすくなるのではないでしょうか。悲しいことが多いのであれば旅行や温泉など気分がすっきりする計画をたててみたり、中身のない生活を送っているのであれば筋トレや資格試験の勉強をやってみたり、などなど。
まぁ、これらはあくまで道具のようなもので、どのように使うかはひとそれぞれですが、自分のこころをふわっとした得体のしれないままにしておくよりは、幾分こころが軽くなるかと思います。それではまた。