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「謙虚も過ぎれば傲慢になる」という言葉を知らない人が多いという話

仏教には「卑下慢」という言葉があるそうでして、自分が謙遜していることにうぬぼれる高慢さをいうらしいですが、最近ではそういうのを通り越して新手の煽り手法として使っている若年世代の人が割とガッツリ増えてきているなぁと感じることが多くなりました。

また、逆に自分に自信がないということをことさらにアピールするかのように、口癖のように自分をへりくだる話し方しかしないような人も時々遭遇することがありまして、相手はその気がないのはわかるのですが、それはそれでこちらの自尊心を砕いてくるので、なかなかあまり会いたくなくなるよなぁと思ったりします。

きっと本人はこれが処世術だと思ってるんだろうけど

日本社会は昔から、男社会の縦社会と言われておりまして、日々のコミュニケーションの中でヒエラルキーを形作ることを自然にやってる人が大半です。こういう、謙譲語でマウントを取ろうとする人や、ことさらに自分の地位を貶めようとする人は男性に多い印象なんですが、きっとそうやって自分の立ち位置を安定的に確保しようとしているのかなと思いますが、そういう人が増えるとコミュニケーション難度が上がるだけなんで本当にこの世から根絶できないものかと辟易することがあります。

コミュニケーションの本質は「共感」であって頭の「理解」とか「納得感」とか「支配」とか「服従」とかではないんですが、そのあたりがどうにもなんか上か下か、みたいなのをベースで考えるのかなぁという感じがしないでもないです。

なんなんすかね、アレ。

君は君 我は我也 されど仲よき

なんつーかですね、あんまり「あいつと自分は違う」という風には考えないほうが良いと思うんですよ、上にも下にも。誰しも悩みはあるし、困りごともあるし、能力的に素晴らしいところも、人より劣っている部分もあるわけですよ。それを一部の目立つ部分だけを尺度にして判断するのは、何も救われないし、誰も幸せにならないと思うわけです。

そういう人たちはできれば良いとか悪いとかでなく、そういうことを、どっかの何かのきっかけで気づいてほしいなぁと思ったりします。

「人は人 我は我」という言葉もありますが。

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おるのん
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