東京ラブストーリーと烏賊と大根の煮込み
少し前に地上波で懐かしのドラマ「東京ラブストーリー」が再放送されていた。我らがアラフォーには涙物のドラマだ。
女子はみんなリカに憧れ
男子はみんな江口に憧れ、ブサイクがやたらとロン毛をしていた。
でも、、、あの頃あんなにものめりこんだドラマは、30年の時を経て見ると直視できないほど恥ずかしいセリフと演技だった。
同級生の夫とは
「おーーー懐かしいな。あれえ?こんなだったっけ?」
「すべてがダサいな!」
「恥ずかしい!」
と盛り上がり、女子高生の娘たちは
「昔の人ってこんなにわざとらしい喋り方だったの?」
と素直な疑問をぶっこんでくる。
オープニング、小田さんの名曲とともに流れる公衆電話に沢山の人が並ぶシーンは、何やら戦後の日本を見る若者のような感覚で見てしまっていたが、まさにあれは私が生きた昭和の1シーンだった。
学校帰りにテレカをもって、渋谷で緑の公衆電話の列に並んでは家に電話をしたりしていたのだ。
今や、アイフォンが当たり前の世の中に慣れすぎて、自分がテレカをもって公衆電話に並んでいたなどという事実は、すっかり消え去っていた。
それを思い出したとたんに、日本はここ30年で激変したのだと実感した。
赤名リカと江口(なぜか江口は役柄よりも江口のほうが印象深い)が日本中に溢れ、人間関係は丁寧で濃密だったあの頃。
携帯電話がなくて待ち合わせのミスからドラマが生まれたあの頃。
確かに私たちはあの時代を生きていた。
何だかそれを思い出したときに、自分が随分と時代を刻んできたのだと感じて、久々に自分をねぎらいたい気持ちにかられた。
特に母になってからは、毎日ご飯を作ることに追われて、何も進歩していないような感覚になっていたけど、あの東京ラブストーリーの世界の中に生きていたのだ。
全てが便利すぎて、不安を生み出している今の時代。テレカをもって並んでいた私たちには、忘れていてもやはり、アナログに慣れ親しんで育ってきたゆえの不安なのだ。
だからこそ、毎日料理をすることが、無意識に私を安心させてくれていた。時代は変わっても、烏賊は変わらない。
丁寧に洗って、ぬめりを取り、内臓を取り、軟骨をとって、下ごしらえをする。変わらないその作業は、脳の奥深くで、昭和脳を安心させてくれる。
今日の烏賊と大根の煮物は、ダサい神様が降臨したかのような恰好をしていたあの時代の自分の写真をみながら、この時代の激流をなんとか乗り切った自分に八海山で乾杯しつつ、いただきます。