
「The Moths of Elderveil Academy」
第一章:フォックスグレイド島への到着
アリア・ムーンブリッジは、小さな木造の小舟の船首に立っていた。船底はきしむような音を立てながら、夕陽に染まったラベンダー色やローズ色の水面を穏やかに切り裂いて進んでいる。彼女の視界に広がるのはエルダーベイル諸島──中央のラグーンを囲むように位置する5つの島々だ。それぞれの島影は遠目には黒々とした緑の幕をまとい、秘密めいた中心を守る番人のようでもあった。微風は苔や遠い潮の香り、甘やかな花の香りを運んでくる。アリアは、本土からここまで旅してくる間に、この静かな海域の空気にはもう慣れていた。しかし、船が岸辺へ近づくにつれ、彼女の胸には静かなざわめきが生まれる。期待と不安が半々に入り混じった感覚だった。
こんなにも遠くまで来たことはない。彼女の家族は、小さな海辺の町の外れで暮らしていた。その町は魔法の存在を完全に否定するわけではないが、日常からは切り離された遠いものとして受け止めていた。アリアの祖母はこう言っていた。「エルダーベイル諸島はただの伝説じゃないよ、本当にあるんだ。才能ある者を育むための場所なんだってね。一部の人はその存在を知っているが、多くの人は気にも留めない。中には恐れる者もいる。けれど、その存在を疑っちゃいけないよ。」
アリアは、岸辺に淡い光がともり始めるのを眺めながら祖母の言葉を思い返す。もうすぐ彼女はフォックスグレイド島に上陸し、そこにあるエルダーベイル学院へと足を踏み入れる。そのために長旅をしてきたのだ。
エルダーベイル学院は、いわゆるハリー・ポッターの世界のように魔法界を秘匿するのではなく、一般社会にある程度存在を知られている施設だった。ただし、やはり独自の立ち位置を持ち、簡単に近づける場所ではない。外部の商人が希少な香辛料や織物を求めて交易に来ることもあるという。アリア自身は、魔法的才能を示すささやかな申込書を送り、その結果、受け入れられた。返事は驚くほど早く、薄い色の伝書鳥が届けてくれた。その手紙には、彼女を1年生として歓迎する旨が書かれていた。
小舟は桟橋へと近づく。木製の板が太いロープでしっかりと結われ、青みがかった柔らかい光を放つ街灯がひとつ、岸辺を照らしている。桟橋には2人の人影が待っていた。長身の女性が一人、そして背の低い人物がもう一人。アリアの心は高鳴る。これがエルダーベイル学院での最初の出迎えなのかもしれない。
ほとんど口を利かない船頭が、桟橋へ器用に小舟を寄せ、ロープをかける。アリアは軽くお辞儀をして礼を述べ、革製の鞄を肩にかけた。荷物は少ない。質素な衣服、いくつかの思い出の品、そして紐で綴じた日記帳だけだ。彼女は震える指先を静め、桟橋へ足を下ろした。
背の高い女性が歩み寄る。灯りの下で見えたのは、銀色がかった髪を後ろで束ね、整った面立ちに落ち着いた灰色の瞳を持つ女性だ。彼女は軽く頭を下げた。「こんばんは、ムーンブリッジさん。私はヘイゼルグレン指導員です。フォックスグレイド島、そしてエルダーベイル学院へようこそ。」その声は低く穏やかで、一語一語を丁寧に紡ぐようだ。「こちらは桟橋係のハーリン。彼が船頭さんの世話をし、あなたの荷物を確認します。」
アリアは小さく「ありがとうございます、ヘイゼルグレン先生……」と答える。その声には敬意と緊張が混ざっていた。桟橋の先、柔らかなランタンに照らされた曲がりくねった道が学院へ続いているらしい。
桟橋を離れると、夜の空気が想像以上に穏やかなことに気づく。季節は遅い時刻だが、冷たさはない。低木の茂みにはホタルのような小さな光が瞬いている。ヘイゼルグレン指導員は足を進めながら静かに話す。「フォックスグレイド島は緩やかな草地と手入れされた庭園で知られています。学院のメインキャンパスはこの道を少し進んだ先です。本来、新入生はもう少し早い時間に到着するのですが、あなたの場合、風向きの関係で遅れたそうですね。問題ありません。明朝、オリエンテーションが行われます。」
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