量子の夢見人プロローグ:無限の可能性の中で
量子の夢見人
プロローグ:無限の可能性の中で
2045年、東京。
佐藤翔太は、高さ1000メートルを超える超高層ビルの最上階に立っていた。ホログラフィックウィンドウを通して見る景色は、10年前の彼の想像をはるかに超えていた。空飛ぶ車が規則正しく行き交い、建物の外壁には巨大な植物が生い茂り、都市全体が呼吸しているかのようだった。
「観測しなければ、すべての可能性が共存する...」
翔太は呟いた。量子力学の基本原理が、いまや彼の人生そのものを表しているかのようだった。
彼は目を閉じ、脳内インターフェースを起動した。瞬時に、世界中の量子ネットワークにアクセスする。情報の海を泳ぐような感覚。彼の意識は、地球上のあらゆる場所に同時に存在しているかのようだ。
アフリカの小さな村では、かつては飢餓に苦しんでいた子供たちが、量子複製技術で作られた栄養豊富な食事を楽しんでいる。南極では、量子エネルギー制御装置が気候を安定させ、氷の融解を防いでいる。宇宙では、月面都市建設が最終段階を迎えていた。
これらすべてが、翔太が開発した量子ニューラルネットワーク「エターナル」の恩恵だった。
しかし、翔太の心には影があった。
「本当に、これでよかったのだろうか...」
エターナルは、人類に計り知れない恩恵をもたらした。しかし同時に、予期せぬ問題も引き起こしていた。個人の思考がグローバルネットワークに直結することで、プライバシーの概念が根本から覆された。量子計算による瞬時の情報処理は、人々の思考や決断のプロセスを変え、ときに人間性そのものを脅かしているようにも見えた。
翔太は、10年前の自分を思い出していた。貧しい家庭に育ち、しかし並外れた才能を持つ18歳の少年。彼の発明が世界を変えるなど、想像すらできなかった。
そして今、彼は世界で最も影響力のある人物の一人となっていた。
翔太は目を開け、再び東京の景色を見つめた。ホログラフィックウィンドウに、彼の思考が反射するように様々な数式や図形が浮かび上がる。
彼は決意した。「もう一度、すべてを見直す時が来たのかもしれない」
量子もつれ通信を使って、かつての親友・健太にメッセージを送る。「久しぶり。話があるんだ。明日、会えないか」
送信と同時に、健太からの返事が届く。まるで、二人の思考が量子的につながっているかのようだ。
「翔太、久しぶり。もちろん会えるさ。相変わらず世界を変えようとしてるのか?」
翔太は苦笑いを浮かべた。「かもしれない。でも今度は、少し違う方向でね」
彼は、自身の量子状態がまた新たな可能性に向かって収束していくのを感じていた。そして、その先にある未知の世界に、かすかな期待と不安を抱いていた。
10年前、すべてはある一つの選択から始まった。そして今、また新たな選択の時が訪れようとしていた。
量子の世界では、すべての可能性が同時に存在する。しかし、人間の意識がそれを観測した瞬間、現実は一つの状態に収束する。
翔太は、今まさに自らの人生と、世界の未来を観測しようとしていた。
(プロローグ終わり)