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時代は進歩、パントマイムは衰退!?19世紀の産業革命
こんにちは、トゥインクルコーポレーション所属、パントマイムアーティストの織辺真智子です。
パントマイムの歴史、19世紀編です。
芸術表現の歴史において、パントマイムは言葉を用いずに物語を伝える独特な表現方法として、長きにわたり人々を魅了してきました。そして18世紀は大きく花開く芸術となりました。
しかし、あらゆる芸術形式がそうであるように、パントマイムもまた時代の変遷とともに大きな変化を経験することになります。特に19世紀後半は、この芸術形式にとって重要な転換期。この頃の、ちょっとしょっぱいパントマイムの衰退物語を紐解いて参りましょう。
伝統から大衆芸能へ
かつて劇場という洗練された空間で演じられていたパントマイムは、次第により庶民的な場所へと活動の場を広げていきました。街頭や海辺のリゾート地など、人々の生活により近い場所で上演されるようになったのです。この変化は、パントマイムが持つ表現の可能性を広げると同時に、その性質も大きく変えることになりました。上演の場所が変わることで、より即興的で大衆的な要素が取り入れられるようになったようです。
確かに、現在の私であってもパントマイムを演じる際、舞台と大道芸では大きく性質を変えます。見る人の集中度も興味も全然違うので、そうなっちゃうんですよね。とってもわかる。
English Pantomimeの誕生と発展
19世紀後半になると、イギリスでパントマイムは新たな形式として「English pantomime」へと発展しました。これは単なる無言劇ではなく、おとぎ話や童話を題材とした音楽劇です。『シンデレラ』や『アラジン』といった誰もが知る物語を基に、当時流行していた歌やダンス、ユーモアのあるジョークを織り交ぜた構成は、観客を魅了しました。また、観客参加型の要素を取り入れることで、舞台と客席の垣根を越えた一体感を生み出すことにも成功しました。家族で楽しめる娯楽として、特にクリスマスシーズンの定番演目として親しまれ、イギリスの文化的アイデンティティの重要な一部となっていったのです。
社会の近代化と芸術の適応
この時期、イギリスでは技術教育運動が起こり、社会全体が近代化へと向かっていました。1853年には科学技術局が設置され、産業革命後の国際競争力維持のため、科学技術教育の制度的整備が進められていきます。こうした動きは、人々の価値観や生活様式にも大きな影響を与えました。特に都市部では、工業化の進展により労働形態が変化し、それに伴って娯楽のあり方も変容していきました。パントマイムは、こうした社会変化の中で従来の観客層を失いながらも、より大衆的な表現方法を模索することで生き残りの道を見出しました。これは、芸術が時代の要請に応じて柔軟に変容していく過程を示す興味深い例といえるでしょう。
芸術形式の創造的進化
19世紀のパントマイムの変容は、一見すると伝統的な芸術の衰退のように見えるかもしれません。しかし、それは同時に新しい時代に適応するための創造的な進化の過程でもありました。より多くの人々に開かれた芸術として、パントマイムは自らを再定義していったのです。観客との双方向的なコミュニケーションを重視し、時代の空気を敏感に捉えながら変化していく姿勢は、現代のエンターテインメントにも通じるものがあります。
さあそして、その後20世紀にどうなっていったのかは、また次回お話しいたしますね。長い長い物語も終盤、そろそろ出てくる登場人物が、Youtubeでも見られる人たちになってきますよ!