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パリが魅せる!18〜19世紀のパントマイム芸術の華麗なる進化
こんにちは。芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属のパントマイムアーティスト 織辺真智子です。
18世紀から19世紀にかけて、フランス、特にパリで大きな発展を遂げたパントマイム。言葉を使わずに物語を表現するこの芸術は、制約の中から生まれた創造性と、時代の変遷とともに進化を遂げた表現力で、多くの人々を魅了してきました。その歴史的な展開をご紹介いたします。
制約から生まれた革新の時代
18世紀初頭、パントマイムは大きな転換期を迎えました。1700年から1789年までの間、世界中で上演された11,000の演劇作品のうち、約600作品がパントマイムでした。この復興の背景には、興味深い歴史的な事情がありました。当時、コメディ・フランセーズとの競合を避けるため、見世物小屋では舞台上での踊りや会話が禁止されていました。この制限に直面した役者たちは、セリフを書いた看板を使用したり、観客に歌ってもらったりと、様々な創意工夫を重ねました。このような制約が、逆にパントマイム芸術の発展を促す原動力となったのです。
黄金期を迎えた19世紀のパントマイム
パリの街に新たな芸術の殿堂が誕生したのは1813年のことでした。「フュナンビュール座」の開場は、パントマイムの歴史に大きな転換点をもたらしました。この劇場は、パリの人々の心を掴む芸術の聖地となっていきました。
19世紀のパントマイムは、さまざまな形で進化を続けました。舞台装置や小道具を巧みに操る「パントマイム・フェリー」と呼ばれる様式が人気を集め、メロドラマにもパントマイムの要素が取り入れられるようになりました。また、パリの様々な劇場間で役者やダンサーが行き来することで、表現技法はますます豊かなものとなっていきました。
伝説の道化師、ドビュローの物語
パントマイムの歴史に燦然と輝く存在として、ジャン=ガスパール・ドビュロー(本名:ヤン・カシュパル・ドヴォジャーク)の名を忘れることはできません。1796年7月31日、ボヘミア(現在のチェコ共和国)のコリーンで、フランス人の元兵士の父とチェコ人の使用人の母との間に生まれた彼は、やがてパリで最も愛される舞台芸術家の一人となります。
1814年、家族とともにパリへ移住したドビュローは、運命的な出会いを果たします。それは1816年から活動を始めたフュナンビュール座との出会いでした。ここで彼は、パントマイムの世界に革命的な変化をもたらすことになります。彼が創造した「ピエロ」という白塗りの道化師のキャラクターは、それまでの粗野な道化師像を一新し、知的で洗練された新しい芸術表現として確立されました。アクロバティックな動きと繊細な身振りを組み合わせた彼の演技は、見る者の心を魅了し続けました。
パリの文化人たちを魅了した芸術
ドビュローの才能は、当時のパリの知識人たちの心も捉えました。1828年には作家のシャルル・ノディエが賞賛の文章を発表し、1832年にはジュール・ジャナンが彼を讃える本を出版しました。1830年代半ばになると、テオフィル・ゴーティエやシャルル・ボードレールといった著名な文学者たちが、こぞって彼の芸術性を絶賛するようになりました。無言の表現者は、言葉を操る芸術家たちの心をも揺さぶったのです。
継承される芸術の魂
1846年6月17日、ドビュローは50年の生涯を閉じました。しかし、彼の芸術は息子のジャン=シャルルによって受け継がれ、パントマイムの「学校」が設立されました。19世紀末のパリで花開いたパントマイム芸術の隆盛は、ドビュローが蒔いた種が見事に実を結んだ証といえるでしょう。
彼の人生と芸術は、1945年に製作されたマルセル・カルネ監督の映画「天井桟敷の人々」によって、永遠の輝きを放つ芸術作品として後世に伝えられることとなりました。現在、パリのペール・ラシェーズ墓地に眠る彼の存在は、ロマン主義、デカダン、象徴主義、そして初期モダニズムの演劇や芸術に大きな影響を与え続けています。
変容と新たな道へ
19世紀末になると、伝統的なパントマイムは転換期を迎えます。1862年、オスマンの都市計画によってフュナンビュール座が取り壊されたことは、一つの時代の終わりを告げました。しかし、世紀末に登場した無声映画は、パントマイム芸術家たちに新たな活躍の場を提供することとなりました。
時代を超えて受け継がれる表現芸術
18世紀から19世紀のパントマイムは、現代のマイム芸術の礎を築きました。20世紀のマルセル・マルソーなど、後世の芸術家たちにも大きな影響を与え続けています。制約の中から生まれた創造性、そして時代とともに進化を遂げた表現力は、フランスのみならず、世界の舞台芸術の歴史に深い足跡を残しました。パントマイムは、言葉を超えた普遍的なコミュニケーションの可能性を私たちに示してくれているのです。