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あの記憶は何だったのか

鮮明に記憶として残っている出来事がある。
幼稚園の時、母にりんごの形をしたお財布を買ってもらって、嬉しくて嬉しくてどこに行くにもそれを持っていた。ある日、母親が遊園地に連れて行ってくれたことがあって、そのりんごのお財布に500円玉を1枚入れてくれた。

500円玉の入ったりんごのお財布を大事に抱えて、母親に手を引かれて遊園地の階段を下りている時、おばさんがぶつかってきた。おばさんに500円玉の入ったりんごのお財布を盗られてしまった。子どもだったけれど、あのおばさんだと確信していたので、母にその話をしたら、本当に盗られたかのかどうか、その人が盗ったのかどうか分からないから諦めなさいと、むしろ、私の不注意を強く叱られた。どんなに私が絶対にあの人だと叫んでも聞いてもらえず、悲しくて悲しくてしょうがなかった。いつまでも覚えている強い記憶のひとつだった。

ところがある日、なぜだかふと、500円玉っていつから出来たんだろうと思って調べてみた。そうしたら、私の幼稚園時代には500円玉は存在していないことが分かった。ということは…。

あの記憶は、いったいいつ私の中で創られたのか。しかも、私の脳には、実際に起こったこととして詳細が鮮明に映像化されている。自分の中に別の人格を作るように記憶を作ったのだろうか…。

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