
「星を継ぐもの」
初めてSF小説を読んだ。「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」「巨人たちの星」。1977年に上梓されたジェームス・P・ホーガン著。
小説に描かれている人間の起源は、サルから進化した説よりよっぽどそうであって欲しいと思うほど、そうだったのかと思わず納得しそうになって、フィクションだからと思い直すくらい刺激的だけれど、人間はいつどこにいても、善と悪の二元構造にハマっている生き物なんだなと思ってしまったのはさておき、一番興味深かったのは「知覚伝送装置」とか、人の神経組織に直接働きかけて、神経から情報を取り出して映像と音声に変換する装置。本人は寝心地のいい椅子に横たわったままどこにで行けたりする(読んでいてもよく理解できなかったけれど)。

生成AIとかVRとかが普通に生活の中に入ってきたり、脳内埋め込みチップとかを現実化しようとする人がいる今、(もちろん、半身不随などの患者さんにとっての実現は待たれるものだが)、「映画の「レディ・プレイヤー」の世界を現実の仮想空間にメタバース化するプロジェクトも始まったらしいし、人間はどんどん肉体を使わずに体験をする世界が現実になってきている。(メタバースもよく分かってないんですけど。何が面白いのか…)
たかだか30年ほど前、飛行機に乗って海外に行くことが結構な大冒険だった時代があったというのに、時代の変わり様に驚くばかりだけど、話はそこじゃなくて、人間は肉体を使わなくなるのだろうか。映画「LUCY」でも、人間の脳にはまだ未使用の部分があり、それが全開するとどうなるのかが描かれている。指一本で何でも動かせるし、人も操れる。
未開の能力全開が当たり前になっている人類が50年後なのか100年後なのかに存在するなら、今生きている時代の記憶を持ったまま、その未来に生まれ変わって、おー、人間ってこんなになったのかと面白おかしく生きてみたいものではあるけれど、個人的には今生は今のままで結構です。本当にそれでいいの?とやっぱり思ってしまう。
こっちの方向に向かうからね、という時代の流れは、人間に好奇心というものがある限り止められない。人類がアフリカから(と、言われている)地球上に広がったのも、地球を埋め尽くした後は宇宙に広がろうとしているのも、自分の脳や神経をいじるのも、もっと広い世界を見てみたい、もっとこんなことができるはずという好奇心なんだろうと思う。いいとか悪いとかではなくて、こういうことが出来るかも、という頭の中の想像を現実化する能力が人間にはあるから、そして、時間は過去には戻らないから、人間は縄文時代のように、今あるテクノロジーを捨てて自然と共存して生きていくようなことにはならない。
でも、その未来にいる人間っていったい何だろう、と思わずにはいられない。心優しき巨人たちのテクノロジーでめくるめく体験ができるのも楽しいかもしれないけど、それって何なの?

先日、お店でオリーブオイルの試飲をした方が、驚いていた。
ちゃんとしたオリーブオイルは、刈ったばかりの草のような青々とした香りがする。口に含むと、そのフレッシュな香りとオリーブ特有の辛みや苦みを舌が感じて、一瞬で「自然」を体験することになる。
初めて口にした緑の味に驚く人たちを見ていると、それそれ、実際に味わって実感するその体験よ、大事なのは、と思ったりする。実際にスペインのオリーブ園に一緒に行きましょうと思うのとは別に、自分のからだや五感を使って感じる感動をオリーブオイルを通して届けることが出来ているならば、少しは、今の世の中で私がしていることの意味もあるのかなと思える。まあ、大きな時代の流れの中ではささやか過ぎる行為ではありますが。オリーブオイルを飲んで方の反応を見ていると、星を継ぐものを思い出したというお話でした。