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本屋に思う

本屋さんが大好きだ。買うつもりがなくても本屋に入り、参考書と児童書と宗教と漫画と自己啓発関連を除く棚を万遍なく見て回る(これは、個人的な興味の問題)。その時は買わなくても、購入プランを立てたりする。今自分が読んでいる本と家の本棚にあってまだ読んでいない本を思い浮かべながら、次に本屋に行った時に本を買ったりする。私の本の買い方は、今読みたい本ではなく、いつか読みたくなるだろう本を選んで買う。読んだことのない作家でも、いつもなら興味のない分野でも、その時の感覚で本を選ぶ。すぐには読まないから、ある日、自分の本棚を見ながら何を読もうかと物色することができる。まるで、自分の家の本棚が図書館や本屋のようになって、読みたい本を自分の本棚で探したりする。この方法、結構、外さないのが面白い。

本屋が好きだからという理由だけで、ここ10年ほどで確実に増えてきている独立系書店と言われる本屋にもどんどん入っていた時期があった。なぜならば本屋と本が好きだから。

そして気づいたのは、店主がセレクトした本が私にとっては拒否感を引き起こすような本棚の書店があったり(という書店に入って、自分でもびっくりするくらいダメだったという経験をした)、カフェを併設した本屋だけれど、店主の雰囲気が居心地が悪くてそこでは本は読めないなと感じる書店だったり、あー、本も本屋も読書も好きなのに、合わない本屋があるなんて…。独立系書店は、店主の考え方や生き方などが反映されるので、本以上のものがそこにはあるということなのかもしれないから、まるで人間関係のように合う合わない人がいるのと同じことなのかもしれない。

私が好きな本屋は、総合書店だったと同時に気づくことになる。規模の大小は関係ない。町に残った一軒の書店でも、新宿の紀伊国屋書店でも変わらない。総合書店の醍醐味は、いろんなジャンルの幅がフラットに大きいこと。
こんなのも読んでみようかなと、あまり読まず嫌いをせぜに素直に思えてくる感じがある。

とはいえ、好きな独立系書店もあるはずで、小さいながらここに来ると好きなトーンの本があるという安心感と楽しみのある書店もいくつか見つけているので、これはこれで本にまつわる楽しみになっている。ただ、やっぱり町の総合書店も都会の大型総合書店もなくならないでほしい。ネットの総合書店は楽しくない。本を選ぶ時、その本を読みたいかどうか、私は本と会話をしながら決めているので、本の実際の佇まいや手に取った時の感覚が必要なのだ。

なんだかんだ書いたけれど、この時代に本屋をやっている地球上のすべての書店オーナーに感謝とリスペクトを届けます。


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