紙は時空を超える
多分、アメリカに3年間住んでいた頃に骨董屋巡りが好きであちこちお店を覗いている時に買ったであろう古い本が家にある。
これが初版本なのかどうかは分からないけれど、タイトルは The History of Henry Edmond。1852年刊行とある。紙や焼けているし背表紙は若干壊れそうなボロボロ具合だけれど、.黒と青の草花モチーフの表紙が気に入って買った本。
読むというよりインテリアの飾りとしていいなと思ったんだろうけど、アメリカ暮らしもとうの昔になった最近、ふと本棚にあったこの本を手にとってぱらぱらとページをめくってみた。
そうしたら、紙切れが2枚ページの間に挟まっているのを見つけた。
Chinichiro Okada(シンイチロウ・オカダ)さんによる日本文化について絵を見せながらのお話し会開催のお知らせの紙が、ページの間に挟まっているのを見つけた。今ならShinichiroさんと書くだろうけど、Cで書かれているのも面白いし、オカダさんは、和装で登場して、歌や朗読も披露したみたい。
教会のイベントだけど、19世紀後半のある日の出来事を21世紀にいる私が知ることになるなんて、ものすごくドラマチックな気がする。ついでに、別の紙の切れ端もあって、こちらは、日本x中国とあと蛇(?)の柄のは何だろう。(こういう市井の歴史を調べる人がいたら教えて欲しい。)
紙の本のロマンはここにある。古い物のロマンとも言えるけれど、実際に手に取れる物質であること。それは、長い時間をかけて誰かの手から手に渡る。
私も、本が書きたくなって去年出版した。本当にちゃんと書いたので、本を書いたと人には言っている。
自分の本のあとがきに、「いつかの未来に、この本の切れ端を誰かが見つけて、過去の人類が紙の本なぞを出していたのかと思いを馳せてもらったら面白い」というようなことを書いている。それは書いた理由のひとつとしてふざけているようだけど、結構本気でそう思って本を書いたし、紙の本を作った。
紙の本は時空を超えるのだ、きっと。
誰がどこで切れ端を見つけてくれるかな。