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時間に振り回されないように

20歳のお祝いに祖父母から着物を贈られそうになって、そんなものより海外旅行に行かせろ!と言って、まんまと初めてのヨーロッパに行ったことがあった。両親からは腕時計を贈られたが、すぐに革にかぶれてしまい、その時のヨーロッパ旅行はもちろん以来30年以上腕時計とは無縁の生活を送っている。

初めての海外だったのでツアーに入ったから、集合時間の確認など時間が分かることはマストだったはずだけれど、その時は、腕時計無しで海外に行っても不便はないだろうと思っていた。なぜならば、東京で生活をしていると今が何時かを知るのに困ることは全然なかった。駅、コンビニ、公園、店内、テレビ、広場とあらゆるところに時計があったので、携帯のない時代でも時間を確認するのは容易なことだった。

腕時計を持たない、つまり、思った時にその場で時間を確認する術がないということは、私にとってはひとつの自由みたいなものである。いや、縛られるものがひとつないという言い方の方がしっくりくるのか。

自分は、人より時間に縛られない人間であるという自意識を持ったまま、ヨーロッパに行ったら、どこにも時計がなくて、それが一番のカルチャーショックだったかもしれない。どのお店を覗いても壁に時計はかかってないし、地下鉄の駅にも時計はないし、大きな駅ならばあるけれど歩ける距離ではないし、正直焦った。だから、みんな腕時計をするのかもしれないけど、でも、時間を知らせるものがあった。鐘。教会や寺院の鐘。

2023年10月に行ったイタリアのファエートの教会。メロディのある鐘の音が正午を知らせる。

意識の中に時間が入ってくる方法としては、とても心地がいい。場所によっては毎時間知らせる鐘もあるみたいだけど、明るいうちに一度だけ聞こえる正午を知らせる鐘の音が、その日唯一の時間意識に引き戻されるのであれば、時間とうまく付き合っていけそうだった。東京とヨーロッパの都市(私がその時周った都市のみの経験ではあるけれど)に生活することの違いを一番感じたことでもあった。

その旅行から戻ってきて、東京で普通に生活をしているとあちこちで目につく時計からも意識を外すようになって、私にひとつの特技が生まれた。それは、5分、10分、1時間という時間の長さがだんだんと体感で分かるようになってきたこと。次のバスが来るまでカフェで本を読んでいても、時計を見なくても分かるようになったし、そろそろかなという感覚が身についてきた。

と思っていたら、最近気づいたことがある。
その特技がもはや特技とは言えないほどに鈍ってきている気がするのだ。

それはiPhoneのせい。に、違いない。
なぜ、携帯の画面をプするとあんなに大きな文字で時間が表示されるんですか?何月何日より時間表示の方がでかい。腕時計はないけど、このせいで嫌でもとにかく時間が目に、意識に入り込んでくる。

未来のどこかで不老不死が実現したとしても、時間が戻ることはないのは宇宙の絶対法則である(タイムマシンが出来たとしても、過去に行っているだけで時間が戻るわけではない)。であれば、下を向いて細かく刻まれる時間に意識を持っていかれるより、顔を上げて長い人生の時間をどう使うかに想いを馳せれば、あっという間に時間が過ぎるなんてことは実はないのではないかと思うこの頃である。





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