「教育的価値」とは?
「それに教育的価値はあるのか?」と問われる。
先生のおっしゃる教育的価値とは何なのか?
教育的価値って誰が決めるの?
「総合的な学習の時間」で行っていたPTA事業の一貫としての地域活動。
例えば、わら細工や、炭焼き、椎茸の栽培などなど。
それは過去にそれらに取り組む「目的」と「意義」を決めた方がいらして、続いてきたものだと思う。そして、始めた当初の想いをお伺いすると確かに多くのことが考えられ、形になり、今につながっていることが見て取れる。
PTAを解散した後の新組織(サポーターズ)においても子ども達と、地域、保護者、教職員が共に取り組んでいく事業を、食や伝統、歴史といった観点から今までのものを踏襲するものもあれば、新しいものを取り入れていくことも提案した。人と人とのつながりをつくる交流活動ももちろん取り入れていきたい。
そうしたところ返ってきた答えが「それに教育的価値はあるのか?」
??????
教育的価値ってなんだ?誰が決めるんだ?
提案したことを秒も検討もせずに、放つ言葉なのだろうか?
「先生」でないと教育的価値は決められないとでも言いたいのだろうか?
我が子を思い、地域との交流を願い、地域と共にある学校に求める教育要素として保護者が希望するコンテンツを言葉にすることは、刹那に否定されなくてはならないほど、無価値なものなのだろうか?
「教育的価値ってなんだ?」「誰が決めるんだ?」
とずっと考え続ける。
個人的には、子ども達が「楽しい」と感じることで、そこから自分事として「もっと調べたい」とか「もっとやってみたい」とか「じゃあこれってどうなんだろう」とかムクムクと探究心を掻き立てられるものだと思う。
それに、子ども達が大きくなってから小中時代を振り返った時に「あの時のあの体験が・・・」と回想し、それが大きくなってから何かに役立つことが大事なのではないかと思ったりもする。
教育的価値は、子ども達が実体験の上で決めていくものではないだろうか?
そのために何を提供するのが良いのか??と常に思考を続け、模索するのが先生であり、保護者であり、「学び」に関わる人達の成すことなのではないかなと思ったりもした。
ここは、引き続き「教育的価値」の定義と「教育的価値ってなんだ?」をテーマに考え続ける。
まずはやってみてから決める。
考えていても手も足も思考も止まってしまうので、まずはやってみる。 やってから決めればいい。安直かもしれないけど、やりながら考え、考えながらやり、その上でどんどんと、「こうしたらいいじゃない!」「これがいいよね!」と作っていけばいいのではないかと思う。
不確実な世の中において、「今まで通り」であることが全てではなく、 「まずはやってみる、やりながら考える」それでいいじゃないと学校の先生にも周りにも言い続けたい。
「失敗してもいい」「かっこ悪い先生と保護者」それでいいじゃないかと常に言い続ける。
上手くいかない方法がみつかり試行錯誤するかっこ悪いけど泥臭くがんばる大人達の姿もさらけ出しながら、子ども達の言葉に素直に耳を傾けてどうしたらいいのか考え続ければいいのではないだろうか。それはきっと子ども達にも届く何かがあると思う。