日記_231109 お風呂のお湯張りの話
相変わらず、私って私だなぁと思ったことを残してみようと思う。
我が家には、「お風呂に一番最初に入りたいと思った人が風呂の湯船の掃除をしてからお湯を張る」というほぼ暗黙のルールがある。
私は仕事のある日は、どれだけ早くても帰りが19時頃になる。
そのため、私より帰りの早い弟が先にお風呂に入っていることがほとんど。
今日は私の仕事が休みで、早めにお風呂に入っておきたい気持ちだった。
あと、普段実家で暮らしていて、家事をほとんどやっていない手前、ちょっとは家族貢献しとかないとという気持ちもあり、お風呂掃除をした。
本当に大したことではない。
⒈お風呂の湯船を洗剤を使ってスポンジでこすり洗いをする。
⒉洗剤をシャワーで流す。
⒊全てシャワーの水が流れたら湯船に栓をする。
⒋湯船の蓋を閉める。
⒌お湯張りボタンを押す。
小学生の夏休みの宿題かなんかのお手伝いでもできるレベルの内容だと思う。というか、我が家の子どもたちは全員小学生の時にはやってきている。
なのに私は、そこそこの確率でそれがちゃんとできない。
もちろん、ほとんどの時は問題なくお湯を張るまでできる。
だけど、もう十数年同じ家に住んで、同じ流れをこなしているはずなのに、母に「また?」と呆れた感じの声と表情で反応されるくらいには、できない。
そう、今日もできなかった。
私ができないのは大概⒊の湯船に栓をすること。基本これ。
今日できなかったのは、⒌のお湯張りボタンを押すこと。最近覚えてる限りで、3回は同じ失敗をしてる。
ちゃんとどうしてできないのかも分析してある。
⒊の湯船に栓をすることができないのは、⒉の洗剤をシャワーで流した後に、⒋の湯船に蓋をしてしまうから。我が家の湯船の栓は浴槽の横?みたいな所にあって、ボタン式。押すと栓が開いて、もう一度押すと栓がしまってボタンが上がる。とりあえず、湯船の蓋をしめてからでも栓ができる式になっている。
ただ、なんとなく、シャワーで流した水が湯船から全部なくなってから湯船の栓をしたいって感覚があって、そうすると、「水が流れ切るの待つ間に蓋閉めれるじゃん」となり、先に蓋を閉める。蓋を閉めると流れで⒌のお湯張りボタンを押してしまう。湯船の栓をすることなく、お湯が流れ続けた状態で浴室から出てテレビとかを見て待つ。
ちょっとすると給湯器の機械?から、アラーム音が鳴る。「お湯張りボタン押されたからお湯出したのに、湯船に全然お湯たまりません。湯船の栓できてないですよ!」みたいな感じで教えてくれる。
それなりに賢い機械で本当によかったなぁと毎回感謝しつつ、意味もなく流れたお湯と、水道代・電気代を払ってくれているお父さんごめんという気持ちで、お風呂の栓をしにいく。
これが大体の流れ。流石に何回も同じことするから、一応対策もしている。
まずは、湯船の蓋をする前に栓をして、目視で栓が閉まっていることを確認してから蓋をするようにすること。ただ、これまで無意識でやってしまっていることを意識的にやるのは本当に難しい。
そこで、もう一つ予防線を張るようにした。
我が家の給湯器は賢くて、ちょくちょく喋る。お湯張りボタンを押すと「お湯張りをします。お風呂の栓はしましたか?」って音声案内が流れる。
だから、対策として、給湯器からの質問に返事をするようにしてる。「はーい」とか「しましたよー」って、ちゃんと声に出す。そうすると、あれ、本当に栓したっけ?ってもう一回確認するから。
これが意外と効果的で、返事するようにしてから、かなり湯船の栓の閉め忘れは減った。
次に、⒌のお湯張りボタンを押すがことできないのはなぜか。これはボタンを押すことを忘れてしまっているというより、違うボタンを押してしまっているから。
毎回間違って押すボタンは一緒で、追い焚きボタンである。
私が普段お風呂に入っている時に押すボタンが「追い焚きボタン」だからだとは思う。もちろん、追い焚きボタンをしても「お湯張りをします。お風呂の栓はしましたか?」って音声案内はないってところで気がつくべきではあるけど、そのときの私は全くそこに意識が向いていない。
とにかく、こうなると、ちょっと時間が経ってから、「お湯入ってないのに、追い焚きしてます!止めてください!」って感じで、給湯器からアラーム音が鳴る。
今日に至っては、自分的には湯船の蓋を閉める前に、栓したし、問題ないつもりだった。
何かひとつ気をつけて行動していると、他のことが無意識の行動になって、よくわからない失敗をするらしい。
いや、本当にお風呂掃除とお湯張るのくらい普通にできてよ自分って感じ。
湯船の栓がされていないと、お湯張りボタン反応しないとか、お湯入ってない状態で追い焚きボタンをしても「お湯が入っていないので、追い焚きできません」って喋ってくれるとかって給湯器できないかなぁ…
うん、わかってはいる。こんな機能を必要としている人が多くないから、搭載されていないことくらいは。
私は、ほんとちょっとしたことが、できなくはないけど、毎回できるわけではなくて、時々、たまに、できない。
多分これは、子どもの時からそうで、これからも変わらないんだろうなぁと思うと、少し呆れてしまうけど、「こういうこともあるよねー」って、笑って許していける心の余裕をもって生きていけたらいいなぁとか、そんなことを考えた。