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夕方のぼくらは少しだけ自由で
2023年12月から、高円寺のスタジオに通うことになった。トランペットを習うようになったからだ。
大好きなバンド「思い出野郎Aチーム」は、フロントマンがボーカル兼トランペットを担当していて、曲のかっこいいところでトランペットが鳴ることが多い。小学生の頃、学校の吹奏楽に入りたかったけど少年野球もやっていたから入れなかった自分にとって、楽器というのは憧れているものの、自分には縁がないものという印象だった。ただ、大人になって仕事の予定も読めるようになってきた今、大好きなバンドのようにはなれないかもしれないけど、楽しめるかもしれないと思って始めることにしたのだ。
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初日、音が鳴った。的を射ていない、不安定な音だった。ただ、自分が楽器を奏でているという感動が押し寄せ、とても気持ちが良かった。レッスンは月2回ほど。毎月、そのレッスンが楽しみで仕方なく、トランペットをすらすらと吹けることを妄想しながら、音楽を聞くのが日課になった。
レッスンは音階の練習をして、簡単な曲を吹いてみるという流れで進んだ。トランペットは唇をすぼめて、ほそーく音を出すので、なんとなくその感覚をつかめずに音がうまく出ない日もあれば、簡単に狙った音が出る日もあった。先生は「基礎練習でくじけちゃう人もいるけど大丈夫?」と心配してくれたが、新しくコツコツと練習してその成果が出る感じが楽しくて、まだまだ自分にも開いていない扉があるんだなと感動し続けていたので、全くもって平気だった。
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そして、レッスンの2~3時間前の夕方の時間がなんとなくわくわくするようになり、なんだか不思議な感覚だなと思うようになった。なぜ不思議かというと、これまでとことん忙しく働いてきたから、夕方になると「もうこんな時間か」と悪い意味で捉えることが多く、夕方に楽しみだなと思うことがあまりなかったからだ。夕方にわくわくする感覚は、学生時代から一旦止まっていたのだと気づいた。
思い返してみると、夕方にわくわくするときって社会人になってからもあったけど、それは久しぶりに会える友達と飲みに行く前だったり、何ヶ月も前から予約していたお店に行くときだったりと、すごく限られていた。なおかつ、そんな予定のときに毎回わくわくできるわけでもなく、「仕事が終わっていないやばい」とか「仕事が終わっていない中で、ちょっときょうは飲みに行く気分じゃないな」とかそんなことを考えていた。
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でもそれって、自分の捉え方次第なんだろうとも思う。昔は「仕事が終わっていなかったら遊んではだめだ」と強迫観念を持っていて、仕事を完遂することが自分の価値だと思っていた。
でも今はそこまで肩肘を張る必要がないと気づき、その強迫観念って自分を苦しめて、時にはその強迫観念を人にも向けてつらく当たっていたりとかしていたよなと思った。物事の正義みたいなものを決めて、自分も人も単純なものさしではかっていたんだよなと反省したのだ。
なんかトランペットに通うようになったことで、ここまで面倒くさいことを考えているのは自分だけなんじゃないかなと思い、少し恥ずかしくなった。さあ、きょうも自分の出来ないことに向き合いながら、楽しく、豊かな時間を過ごそう。
※ちなみに2024年5月に他県へ引っ越したので、それ依頼、レッスンには行けなくなってしまいました。今は川辺で、まだまだ出来ないトランペットを抱えて、楽しく音階をふいています。