自分vs自分
一番大事なのは心の休息だ。
何かとすぐに苛立ち、不安になって憂鬱な日々を送りがちで、"丁度良いゆるさ"を求めて数日間全力で休むことを覚えるのに時間がかかった。
本当の心の拠り所もストレス発散方法もまだ見つけられていないのだが、数少ない気の許せる友人らと特に新しいことも派手な事もせず、いつも通りの時間を過ごすだけ。それだけでも自分にとって大きな救いになる。
楽しいことも悲しいことも共有し、笑い合い、貰い泣きして、その時間に価値が生まれる。
そしてそれらは僕にとって物事への興味関心にエネルギー変換され、労働力となる。
相手が誰であれ顔色を伺いながら自意識過剰になって反省を繰り返す毎日が、一気に華やかに色付いてしまうパワフルな感情だ(と、ここまでかなり大袈裟に話している)。
本来自分は1人で居ることの方が多く寧ろそっちの方が好きだから、友達に会いたくなる理由とその意味なんて考えたりもする。
とにかく僕は独り言が多い。
よく自分の中の自分と会話している。
設定を作ることもある。
ドキュメンタリーに密着されてたり、ラジオパーソナリティや料理人、時にはお笑い芸人になったりしてる。ある種のアウトプットである。
側から見たらビックリするくらいの声量と、下手くそな感情表現で"what if?"を演じている。
基本的に自分の素の行動が見られるのは恥ずかしいこともあり、買い物も外食もライブを観に行くのも1人で良い。(そこではまた違う不安に陥るのだが…)
自分自身と会話しながら楽しめるのだ。
ただ、ふと誰かに会いたくなる。
それは虚無や孤独といった寂しさでは無かった(寂しさも多少はあるけどさ)。
面白かったこと、嫌なこと、楽しいことを話して自慢して共有したくなるのだ。
経験したことを他人に知って欲しいもどかしさなのだ。
自分の押し付けがましい部分に他人をどう巻き込むか、自然に演じ切れるかってことなのだ(そんな勝手なことあってたまるか)。
自分にとって楽しい事、面白いものを細部までイメージしても、その自己中心的なシナリオ通りになることは少ないだろう。
当たり前だけど、1人で想像していることは自分の知識や経験の中での話で、なんの刺激も反対意見もない。
あ〜まぁめんどくさい言い方をしてきたけど、友達とは変ないざこざもなく、ただいつも通りにふざけて笑い合いたいだけ。
言わなくて良いことは言わなくていいし、やりたくないことはやらなくていいんだ。
価値観は人それぞれだしね。
少なからず理解してくれる友人がいて本当に助かってる。
いつも付き合ってくれてありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?