教育系に『アカデミック・スキルズ』って必要なの?

突然ですが、大学に進学する理由って何でしょう?
「就職のため」「研究するため」「大学生活をエンジョイするため」…「出会いを求めるため」だったり、人によって様々だと思います(『人生の夏休み』とも形容される大学時代ですから、楽しみたい!という気持ちは私にも少しだけですがありましたよ笑)。では、教育学部(教員養成課程を持つ学部をここでは指すことにします)に入る人はどのような気持ちで進学するのでしょう?あまり馴染みのない方に実情をお伝えすると、最初から教員になる気がないけど教育学部に入る人もいます(それ以上に途中でギブアップする人も多いのですが、それはまたいつか話せたらと思います)が、「教員になるため」というのがマジョリティ。「大学を出たら教壇に立って子どもたちを正しく導くことができる教員になりたい」という大きな志を持って大学に入ってくるのです。

さて本題です。ここからは私の個人的な意見なのですが、他学部の学生と比べて教育学部の学生は少し雰囲気や考え方が違うと思っています。教育学部に入ってきた多くの学生は大学を「教員養成機関」という観点で捉え、そこで「子どもたちを指導するにはどのような方法が適切なのか」の指導法などを学びたいと考えながら授業を受けています(あくまでも一般的な話ですよ?)。その所以か、「どうすれば立派な教員になれるか」「どうすれば適切な指導をすることができるか」という気持ちが垣間見えます。それ自体は全く悪いことではないですし、その情熱が原動力になっている例を私は学部4年間で多く見てきましたし、それは私にも大きな勇気を与えてくれました。ただ一部にはその気持ちが先行するあまりか、「大学で一般的に課されているものは教育学部にはいらない」と考えてしまう人も多いように感じます。ここでいう『大学に一般的に課されているもの』というのはレポートや卒論など、いわゆる大学になって初めて課されたタスクのようなものを想定しています。そしてこれらに共通するのは『アカデミック・スキルズ』だったりします。

『アカデミック・スキルズ』についての定義は著書によってバラバラですが非常にざっくりとした言い方をすると、「教養を深めた上で入ってくる情報を多面的・多角的に捉え、自分の意見を形成し、伝える技術」といった感じでしょうか。

教育学部にアカデミック・スキルズが要らないと考えている人は「教員になったらこのような大学特有の課題はないし、役に立つことは多くないだろう」という考えが根本にあるのではないかと思います。ですが果たしてその考え方は正しいのでしょうか?

話が少しそれますが、私は学部2年の時から学校公開に行って授業を参観しています(というかそれがうちの大学では当然の流れになっていますし、そういうところは多いのではないでしょうか?)。公開授業を参観して、「研究校ではこんなすごいことやってるんだー、すごいなー」と半ば放心状態になりながら分科会に参加すると、当然のように質問や意見を求められてしまいます。学生が多いことを気遣ってくれた運営側が、グループワーク形式で話し合いを経てから代表者が全体発表して質疑応答という形式で構成してくれますが、それでも出ないものは出ません。初めての公開研究会ではそういった経験をしましたが、2年目、3年目と繰り返していくうちに、授業を見ながら多くのことに気がついてきます。教育実習を経験したというのが大きな理由ですが、それ以外にも理由があります。「自分が〇〇の立場だったらこの活動をどう感じるだろう」という思考をいくつも広げることです。経験から得られる観点は自分が経験したことのある立場にのみ限られます。ですが、自分が経験したことのない立場で考えるためにはいくつもの観点から考える思考力が必要です。それが『アカデミック・スキルズ』になるのではないのでしょうか。

さらに、多面的・多角的に物事を見る力は日常的にも活躍します。人生を豊かにするためにも必要な要素なのではないでしょうか。

このことについて深く知りたい人は参考文献の『知的複眼思考法』が個人的におすすめです。名著とも言われており、出版から約24年(自分の1歳年上!)が経過していますが、今読んでも役に立つ一冊です(演習部分は一部古いのがありますが…)。

ここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。全く慣れていないので非常に読みづらくて本当にごめんなさい…もし良かったらスキしていただけるとモチベーションの維持になりますので、よろしくお願いします!

<参考文献>

苅谷剛彦. (1996). 『知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ』. 講談社.

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