カラオケで歌う合唱ステージを見たらさびしさを感じた話

これは何かというと副次的文化系合唱祭のプラニスとようこを見て私が勝手に音響について悩んでいる話(のメモ)である。
計算するとこれ書いてる余力が1日しか無いので1日で書く3日かかった。世間と違って3連休なかったんだよね。

この話は9月18日、海老名文化会館大ホールで行われた副次的文化系合唱祭
https://subculture-chorus.jimdofree.com/
Day2にてプラニス(「スタァ歌劇団 Théâtre du Planisphère」どうやって打つんだこれ)のステージを見ながらつぶやいたことに始まる。

「プラニスかっこいいなあ。そして舞台でPAと合唱使うのって難しいんだな…MIXして最適値探ってみたい」

それから4ステージ後の休憩時間、ロビーで遭遇したプラニス主催のゆーじろーさんに訊かれた。
「どうでしたかね、PAの…Twitterに書かれてたやつ」

初めに断っておくが、今回PAオケでステージを組んでいたプラニス・合唱団ようこの両ステージが、私は大好きである。
反芻して脳内のメモリが薄れてきたからマジでもう一回解像度を上げるために映像と音源がほしい。
今回書いている様な内容についても検証したいが、正直そんな事より自分が何回もループして見たいがためにほしい。実際情報量多くて一回じゃ足りない。

その上で、実際客席で見ていた時、どうしても気になっていた事があった。

(オケの音、なんか物足りないな。)
上に挙げた2団体は大部分が会場のスピーカーから原曲の歌抜きCD音源(カラオケ)を流し、それに合わせて合唱団が歌を歌う形式の舞台だった。がっつり動きの入るステージともマッチしているし、アカペラまたはピアノ伴奏以外まず見かけない合唱界隈の中、新しい挑戦をしていると思う。

そこで気になったのが、会場スピーカーから流れるオケの迫力だった。
合唱の声はちゃんと合唱の声として聴こえる。むしろ人数がいるのでしっかりパワーもある。
ただ、ピアノ+合唱の一般的な形式とくらべても、明らかに合唱以外の音がさびしい。生のバンドが現場にいたとしても、もう少しそれっぽくなるはずだ。実際、当日には合唱+ピアノ+ヴァイオリンのステージもあった。弦の音はどうしても相対的に小さいが、それでも音の性質の差で存在感がある。人の声と違う特徴的な高周波が、塗りつぶされずに飛んでくるのだ。

それらの音と比べても、どうしても物足りない。オケの音がすごく小さく聴こえる。
この感想を持ったのは私だけではないのではないかと思う。
副次的に来るような、イベントやライブに慣れている方ならなおさら。
ライブ会場でかかるPAの爆音と比べてしまうと、何かの手違いから小音量でオケが鳴り始めてしまった時の様な、違和感を感じる小ささだった。

この感想を手短にゆーじろーさんに伝えた。
「うちだけだったら多少やりようもあるんですけど、合唱祭でPAを使わない他の団体やステージもあることを考えると、バランス上あまり大きい音を出す訳にもいかないんですよね」

ああーなるほど。確かにそれはそうだ。
PAの音量を大きくしたり、それに負けないように声にマイクを使ったり。どんな手法でも「音を大きくする」アプローチではどうしても他団体との流れが取りづらくなってしまう。

「古城さんから見て、どうしたら良いとかってありますかね?」
「うーん」
なんとかしたいのに答えが出てこない。
ゆーじろーさんの言うことはもっともだし、実際に調整された上でこのバランスを選択しているはずだ。
(追記:ご本人のツイートによると、「リハで要求した音量ではなかった」。必ずしも演者側がこの音量を狙った訳ではなかったとの事。)

しかし、なんだろう。
音量もそうなのだが、それだけでなく明らかにオケと合唱の相性に問題がある。

いつか関西アイマス合唱部の演奏会にお邪魔したとき、同じ様に音源を流しながらの演奏を拝聴したことがある。それは今回の、ポップスCDに収録されたカラオケではなく、伴奏のピアノ音源だった。確かに生のピアノと比べると多少の違和感があったものの、今回ほどではなかった。

何をどうしたら良いんだろうか。
ただ単に他の団体に配慮せずPA音量を上げれば解決するかというと、そうでも無い気がする。
じゃあ音量は一緒のまま声と被らない周波数域を削ったり、同じ音量のままリズムセクションを強調してエッジを強調するか?
それでも効果はたかが知れていそうだ。

多分、根本的な原因を考えなければ解決にはたどり着けない。
何故そもそも、今回のオケと合唱の相性が悪いと感じたのかを考えてみた。

まず、歌にどこか悪い部分があるのではない。とても良く出来ているし、この表現を崩してほしくもない。
原因は、カラオケの音源、もっというと市販CD音源のマスタリング特性にある様に思う。

市販のポップス音源は、簡単に言うと「音が割れそうになる限界ギリギリまで音を詰め込む」様に作られている。
小さい音は大きくして音量を稼ぎ、各パートの大きい音がひしめき合うサビなどでは、デコボコの粘土を一定の高さに潰すように圧縮して音を詰め込む。

結果、マスタリングをされた音源は容量ギリギリまで音が詰め込まれ、音量は上限いっぱいのままほぼ変化の無い状態になる。当然、音の強弱による表現は失われるが、特にポップス曲に関してはそこまで大きな問題にはならない。存在感を主張できるメリットの方がはるかに大きい。

しかし、この性質は、舞台音楽のそれとは真逆と言って良い。

舞台や観客席は、無音が前提だ。
だから、音量0から音量1が発生すれば、観客はそれをはっきり認識する。
1を10に、10を100にすればその分の変化を観客も演者も感じ取る。そこに感動も生まれる。
音量0から足し算をしていく音作り。これが舞台と観客席の音楽だ。

一方、ポップス等CD音源が聴かれる環境は違う。携帯のスピーカー、通勤通学中の雑踏でのイヤホン、車のステレオ、店内BGM……。そこには音量80%以下の部分を聴いている人などいない。というか聴こえない。
音量100を如何に維持するかを前提とした音作り。これがポップスのマスタリングだ。

ポップスのCD音源を舞台の生音と合わせる時、この音作りの差異が顕著に現れる。
演奏会において、先程から「PAの音が小さく聴こえる」と書いてきたが、実際には全部が全部、オケ音量が合唱の音量とくらべて極端に小さい訳では無い。
では何が小さいのかというと、要素は2つある。

・フルパワーで鳴った合唱に比べてオケの音が小さい

まず、今回の主役は、演者の皆さんであり、合唱の歌声だ。
だから、合唱側がある程度低音量であっても、ちゃんとオケより合唱が前に出る様に調整されている。
だがCD音源は市販向けのマスタリング故に「音量が変わらない」
一方、舞台上での合唱音楽というのは、音楽形態全体の中でもかなり音量の変化が大きいのだ。
足し算で演奏される生の合唱が盛り上がれば盛り上がるほど、オケの音は相対的に小さくなっていく。
かと言って、カラオケを合唱の最大音量に合わせてしまうと今度は大音量のオケに小音量の合唱表現が潰されてしまう。

・オケの中の、ひとつひとつの楽器の音が小さい

似たような条件であっても、ピアノ音源単体であれば、まだ違和感が少なかったことを先程書いた。
これはもうひとつのCD音源マスタリングの性質によるものだ。
割れるギリギリまで音を詰め込むという事は、鳴っている楽器が一つであっても、たくさんあっても、使える音量の幅が同じであるという事だ。すると、生演奏では「楽器が増えるほど音量が増す」のとは対照的に、マスタリング音源では「パート(楽器)が多ければ多いほど一つ楽器あたりの音が小さくなる」という現象が起こる。生演奏の音作りを足し算と表現したが、マスタリング音源上での楽器一つあたりの音は、全体の何分の一か、つまり「割り算」であると表現してもいいだろう。
だから最近は音を大きく聴かせるために、あえて楽器の数を少なくして曲作りをするアーティストもいる。

有名所だとこのあたり。音の構成が非常にシンプルなのがわかると思う。


今回流れたオケは楽器数がそれなりにあるタイプで、かつバリバリの先端技術で音が詰め込まれているポップス音源だった。こうなるとピアノ単体の音源とくらべて、楽器一つ一つの存在感は相当小さくなってくると考えられる。

ここまで読んで、「別にそこまで気にならなかった」という人もいるかも知れない。
ただ、私と同じ感覚を抱く人がいたとしたら、その裏には単純な音量調整に留まらない、かなり深い世界がある事をお伝えしておきたい。

しかし、それはそれとして解決策は考えよう。
ゆーじろーさんに訊かれて「考えとく」と言ってしまったのもあるし、なにより演奏会でもトップレベルに好きだった2ステージに対して「もったいない」という感想が残ってしまうのは、もうなんかそれ自体もったいなくて嫌だ。

では原因の2点に対してはどう向き合ったら良いのか。
他の団体に配慮しないで定石を考えるのであれば、オケの音量を大きくして、動きの激しくないバックコーラス勢の前にマイクを立てて集音し、コンプレッション(音の大小幅圧縮)をかけてオケの音に対抗すれば良い。
マイクを使わなくとも、単純にオケの音を大きくして、自分たちの声が負けたらそれはそれ、全体の一部になるという考え方も出来る。歌い手の表現が犠牲になったり負荷もかかるが、別にナシではない。

では今回のような、合唱祭の舞台の様な前提だとどうか?
先に挙げた2つの問題点を見ていくと、(どのくらい実現可能性があるかはともかくとして)ある程度方向性が見えてくる。

先に後者の楽器数。これはシンプルに、楽器数の少ない音源を選択出来るなら解決するし、出来ない場合は解決出来ない。
かなり高度な、既成の音源から楽器数を減らす様な編集技術というのも無い訳ではではないが、これはまだ発展途上の技術で精度が高いとは言えず、あまりあてにすべきではない。
労力が許せば自前で音源を作ってしまうのもありだが、それなら関西アイマス合唱部の例の様にピアノ伴奏でいいか、となるかもしれない。

一方前者の音量増減に関しては、もう少し条件を問わずに介入が期待できる。
生演奏側の音量変化を事前に調査し、合わせてオケ側の音量を調整していく事で、合唱や他ステージとの整合性ともある程度両立できるはずだ。具体的な調整方法に関しては省くが(直接きいてください)録音源を元に数値化やすり合わせをするのは、そこまで複雑だったり高度な技術を要するものではない。

もちろん対処には限界があるし、生演奏に匹敵する様なナチュラルさには及ばないだろう。迫力を求めていけば結局他曲との流れを損なう可能性もある。が、どんなオケ構成、会場、人数であっても、歌い手に全く干渉せずに出来るアプローチはこれくらいしか考えつかない。

一応この両者、「オケのシンプルさ」と「生演奏に合わせた音量調整」は両立が可能なはずなので組み合わせて考えることは出来そうだ。

今、私が考えて言えるのはこれくらいかな。

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生音には、数値に現れない表現力がある。
舞踊の世界では、CDの音源を流してそれに合わせて踊る場合と、生の楽器演奏の前で踊る場合で、必要な音量が違う。生演奏の方が小さい音で良いと言われる。

音量が小さくても、生演奏には人が発する情報がある。音の発生する場所、予備動作、息遣い。
スピーカーからのマスター音源とは違い、生演奏はバラバラに発せられた音を人間の脳がひとまとまりにして一つの音として認識している。スピーカーという「平面」では表現しきれない情報量が、生演奏にはある。
合唱の世界は、かなり最近までそれが当たり前だった。それしかなかった。

ただ、昨今の世間事情を考えると、リモート合唱然り、PAでの練習・ステージ然り、もっと多様な音を受け入れていく必要が出てきている様に思う。

そう考えると今回は、なかなか無い貴重な実験機会だったのかもしれない。
実験を繰り返す事で、生まれた新しいやり方も、新しい音も洗練されていくが、それは第一人者が居てこそ始まるものだ。

プラニスとようこが始めた新しいステージは、間違いなく、どこかで誰かがやるべき事だった。

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