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ロードレーサー、VOGUEの譜系1



※最終更新、2月2日(追記有)

1 はじめに



このページの作成の目的について

ここしばらく、自転車フレーム「VOGUE」について調べるに当たり
一世を風靡したフレームブランドでありながらも
現在、車体自体が世に出る事も非常に少なく
意外に集約された情報が非常に乏しいことに気づき
また関係者の方も既に他界している現在
半ば独断と偏見的なところがあると思いますが
私なりのまとめの意味で作成しました。
間違っている部分や、エピソード的なお話をご存じの方等が居れば
コメント等でご指摘やお話をして頂けると
非常に助かります。
また引用元の著作物の公開について問題があれば
速やかに善処致しますので
それについてもご指摘、ご連絡の程よろしくお願い致します。

有限会社オリエント工業。
1949年(昭和24年)8月17日生~2020年(令和2年)4月28日没。
71歳で永眠したチーフビルダー、故 高比良 博氏が
パートナーの小林保明氏と共に
1980年(昭和55年)に、東京都荒川区東尾久で開業。
日本を代表する名だたる選手が愛用したフレームブランド
「VOGUE」を製造した工房です。

サイクルスポーツ誌1988年10月号、フレームビルダー名鑑’88より
工房は現存しません。
VOGUEは、この特集でもそうですが、この後出版された
別冊オーダーサイクル図鑑でも1番目に記されているのです。
この当時を代表するビルダーだからこそだと、私は思います。

1987年(昭和62年)6月頃には
神奈川県鎌倉市でプロショップ「CYCLES ORIENT」を開き
私は詳しい事は分からないのですが
高比良氏が自転車フレーム製作に携わる前から
湘南レーシングと言う名門クラブチームに所属していたそうですから
東京でフレーム製造と、湘南地区を拠点にしてレースへの関与と
その2点を軸に活動されていたのだと思います。

サイクルスポーツ誌1987年7月号に…
CYCLES ORIENT開業の広告。すみません、画像を差し違えました。
最後は鎌倉市の小袋谷に住所があったと思いますが、現在店舗は現存しません。
ちなみに左側のページは、「LOONG D」ロングディスタンスブランドで
VOGUEからフレーム供給を受けていた、所沢に現存する
I LOVE CYCLE AKIさんの広告です。

そして私がVOGUEの存在を知ったのは中学2年の時にサイクルスポーツ誌を購読し始めた1988年(昭和63年)の頃だったと思います。

当時中学生であった、私からの視点で
それまでイメージしていたロードレーサー系の自転車は
街角の自転車屋さんを見ると
当時セミオーダーシステムを確立しつつあった
パナソニックとブリヂストンの2大巨塔と
ミヤタやARAYA(新家工業)を始めとした老舗中堅メーカーの商品が
並んでいるのを見掛け
当初はマスプロメーカーのみで作られているものだけだと思っていました。

それから雑誌(主にサイクルスポーツ誌)を購読する様になると
視界が一挙に広がり
カンパニョーロやチネリ、デローザ等を始めとした外国メーカー勢や
サイクルメイトヨシダ(現Y’sROAD)を始めとした
組織力や勢いのあるショップの自社ブランド物。
そして少数精鋭的な
一人親方的なフレームの工房の特集が幾度と組まれ
一挙に知識の洪水に溺れる事となり、そして段々と知識が積み重ねられると
中学生ながらも一端に目が肥えて来る様になり
やがて個人経営の工房による
フルオーダーフレーム+フラッグシップのコンポーネントの
ロードレーサーに目が向くようになります。

当時私が気になっていたオーダーフレームのブランドは
ZUNOW、NAKAGAWA、Kiyo Miyazawa、LEVEL、AMANDA、NAGASAWA
RAVANELLO、3RENSHO等々…と言ったところでしょうか。

この中でまず、ZUNOW、NAKAGAWA辺りは
随所にブランドロゴをあしらった刻印や、モノステーのシートステー
CO₂ボンベ用やゼッケンプレート兼フレームポンプ用のラグ等
スペシャル感満載の判りやすい造形で、グッと来たものです。
また3RENSHOなんかはお抱えの若手強豪選手なんかが居たりして
その方達が3RENSHOのマシンに乗って、レースで結果を残し
カラーページを独占するものだから、憧れの的でした。

工夫を凝らした派手な造形や色遣いが是とされるような
その群雄割拠のフレームビルダー界の中で
その対極とも言える
ベーシックさの中にエレガントさが同居する、VOGUE。
特に、女性の図柄をあしらった「VOGUE」のグラフィック。
その存在に、内から秘める信念の様なものを感じ
中学生ながらも私は、より強い憧れを持つ様になりました。

2 チームミチホ

1984年頃に当時の日本最強
故森幸春選手(2014年没)

三浦恭資選手

高橋松吉選手


市川雅敏選手

これら当時の日本最強のロードマン達が
自らの向上と、行く末は世界を目指そうとする
後に続く者たちへの道標となるべく結成した
「チームミチホ」の面々です。
この方達がチーム結成中、VOGUEを使ったとの話を聞いた事があります。

たしかこチーム名は
AMANDAスポーツの千葉洋三氏の奥様である美直穂様の
名前から取ったと聞いた事があります。

そしてチームミチホの活動を記した記事

サイクルスポーツ誌、1984年9月号。
チームミチホが活動した年です。
故森選手、三浦選手、市川選手。
画像中の写真をよく見ると、三浦選手と市川選手が着用のジャージには
MITIHOと記されていますね。
この後に、高橋選手が合流したのでしょうか。
そしてこの時、AMANDAのサポートを受けていたみたいですが
市川選手の車体のロゴをよく見ると5文字
もしかして、VOGUE?
この頃から市川選手は既にVOGUEに乗っていたのでしょうか?

チームミチホ自体は、市川氏のWikiを見ると
奥様からチーム名を頂戴する位である
AMANDAのサポートを受けていた旨が記されていますが
少なくとも下のサイクルスポーツ誌の通り
’88年頃にはVOGUEとの深い繋がりが見てとれます。

チームミチホのメンバーと、高比良氏は
チームミチホ結成前から、メンバー個々のレース活動や
また「湘南レーシング」で既に関係を構築されたから
スポンサーを押し切って、VOGUEが導入されたのか。
それとも
高比良氏とAMANDAの千葉氏との繋がりから、チームミチホのマシンに
スポンサーが製作しているフレームではなく、VOGUEが導入されたのか。
その関係性や詳細が、ネット情報上では見当たらないんですよね。

スポンサーの奥様をチーム名にするところを見ると、チームミチホは
ただのビジネスの関係ではなく、血が通った人間関係からの
結果で結成された様な気がして、なりません。
この当時におけるこの相関関係について、私は非常に興味があります。
多分今を逃すと、この当りのサイドストーリーは
もう分からなくなってしまうと思うからです。
この辺りは、今後の宿題にしたいと思います。

2月2日追記

サイクルスポーツ誌1984年6月号P178~P179
国内スポーツニュースのコーナーに
チームミチホの結成記事が小さく乗っていました

P178~P179ページにありました
やはり千葉洋三氏の奥様がチーム名の由来だったみたいですね。
これでモヤモヤがスッキリしました(笑
結成時点では、高橋松吉選手はまた加わっていなかったのでしょうか。


そしてサイクルスポーツ誌1988年1月号に
森選手を除く3人がこのページに載っていました。そして…
市川雅敏選手のページ。VOGUEです。
氏はこの頃ベルギーのヒタチ・ロッシンで選手として活躍し
実はロッシンカラーのVOGUEで、レースに臨んでいたのでした。
そして、三浦恭資選手のページ。
このフレームもVOGUE製です。

ちなみにこの時、高橋松吉選手はNAKAGAWAに乗っていました。
滋賀県彦根市を拠点にした、あのBOSCOの店長を
この時既にしていたからなのでしょう。

そして参考までに、吉田八栄子選手の車両もVOGUE。

おっ!と思いましたが…

ただし、ご主人のお下がりをこの時乗っていたそうです(笑
でも才能のある人は、別にフルオーダーなんかで無くとも
何とかしてしまうモノなんですよね。
吉田選手は、結婚・出産を経て1986年の国際サイクルロードレースに出場し
東京大会第3位の成績を残したそうです。

3 VOGUEの車体について


そして脱線気味の話を少し戻したいと思います。
高比良氏は、孤高の名車「EVEREST」を製作した
エベレスト(エバレスト)の土屋製作所
(現文京区本郷にある、外車ディーラーのツチヤトレーディング)
に入社。
そこで12年勤めマシンの組み立て、車輪組み、そしてフレーム作りに進み1980年(昭和55年)に独立。

高比良氏が創り上げるマシンは

接合面積が大きく耐久性でも有利な
ロングポイントのロストワックス製でケーブルトンネル
カンパレバー台座、リヤメカ用アウターストッパー
ロスト(ワックス)の(フォーク)クラウン
鍛造エンドのフレームは
タンゲNo.2の剛性の高いクロモリ鋼によるものが標準仕様

サイクルスポーツ誌1988年10月号
フレームビルダー名鑑’88より

だったそうで、確かにオーソドックスな構成が思い浮かびます。
私が所有する3台のVOGUEの内、PINKとBLUEはこれですね。
ただ、丹下のNo2かどうかは現在のところ、不明です。

私のPINK VOGUE
続いて私の妻の、BLUE VOGUE

またサイクルスポーツ誌1988年5月号の特集
「自分でデザインするオーダー大作戦」の17ページに
氏のインタビューが掲載されており

サイクルスポーツ誌1988年5月号の特集
「自分でデザインするオーダー大作戦」より

「内蔵工作もお勧めしませんが、言われればやります。」
と商売っ気ゼロ、職人としての本音を語り
勝つことを目的とした
オーソドックスな車体造りに徹していたんだなと思います。

先の画像にある、サイクルスポーツ誌1988年10月号の
VOGUEの紹介文の中で

フレームの仕上げは
スタンダードもオーダーモデルも
スキっと最高にシェイプアップされたフレームは
オーソドックスな仕上がりを見せる。
フレームチューブは
タンゲのNo.2、No.1の他にもプレステージや
コロンバス、レイノルズ531等も選べた。
長く使いたいならNo.2かNo.1。またはそのコンビネーション。
どうしても軽いものがと言う場合はデリケートな素材ながら
プレステージを採用

サイクルスポーツ誌1988年10月号
フレームビルダー名鑑’88より

との事で
余程のプロ選手による特殊なオーダーか
拘りを持った顧客相手でなければ
オーソドックスなスタイルに徹していたみたいですね。
ちなみに1988年当時で
オーダーロードフレームの価格は9万2,000円から。
スタンダードは8万2,000円からが基本価格だったそうです。

この頃確か、アルミやカーボンのフレームが
本格的に台頭しはじめた頃で
クロモリフレーム乗りのプライベーター達は
肉抜きを始めとした軽量化カスタムに
傾注していた頃だったと記憶しています。

その流れとは逆に
質実剛健、一貫してシンプルかつオーソドックスなスタイルを貫き
周りに流されずに目先の軽量化に囚われず
確実性を重視する姿勢。
それは、トップロードマンのデータを加味すると言う
実戦経験をバックボーンとした自信が
その姿勢の源流なのでしょう。
実際、故森幸春選手がフレームオーダー時にアドバイスをする
いわゆる「森オプション」と言うサービスも存在していたみたいです。

そしてそれは、高比良氏が
湘南レーシングで勝負に鎬を削った経験のみならず
その後入社した「エベレスト(エバレスト)」「EVEREST」こと
土屋製作所で、梶原利夫氏にフレームビルダーとして師事する事により
確固たるものに昇華したのだと思います。

上記のコラムに出てくる梶原利夫氏の紹介の中で

彼はヨーロッパの名車を研究しつくし、ラグや全体的なフォルムに二方向に広がっていく双曲線、即ちハイパボリックパラボロイド曲線(双曲放物線面)を活用しているという事実を突き止めたことを私にそっと教えてくれた。

上記コラムより
そしてこの枻出版社刊、「クロモリロードバイク」を
紐解くと…


え…これ、私のPINK VOGUEとBLUE VOGUEのラグはこれです。
少しわかりにくいかも知れませんが…
うん、間違いないと思います。
まさかこのラグが、梶原利夫氏デザインだとは思いませんでした。
流れが少しずつですが、繋がって来た手応えを感じます。
蛇足ながら、ボトム向かって左側の小さいマーク。
何か見たことあるんだよなぁ…と思っていたら
やっぱり日立のマークでした。
日立製作所でもロストワックス製法でBBラグを作っていたみたいですね。

ちなみに高橋プレスは現在
株式会社タカハシテクノになっているみたいです。
一説によるとラグの生産は中止したとありましたが
現在もパナソニックの自転車部門と取引があるみたいですね。

この様な審美眼の持ち主に師事すれば
自ずと美に対する方向性が見えて来たのだろうと思います。
美の定義は、個々に宿るものと思いますが
結果奇をてらわず、小手先の見栄えに頼らずとも
基本に徹し、先人から受けた教えを守り
そして勝負の実績を積み重ね等、あらゆる蓄積から昇華した結果
この様な「美」に転化したのが「VOGUE」のフレームだと私は思います。
正に「機能美」と言ったところでしょうか。
この辺りは、VOGUEを目の当たりにした方々が
個々で判断すべきところでしょう。

4 VOGUEに関する、他の方達からの声


次に、VOGUE、オリエント工業、EVEREST等に関する
ブログや動画などをご紹介させて頂きたいと思います。

師匠が乗っているバイクはグローブテクニックのオーダーフレームなのだけれど実はVOGUEの高比良さんが作っていると言う話を師匠から聞いた。帰宅後調べてみると高比良さんが独立してVOGUEを立ち上げる前に居たのが土屋製作所。

https://r-t-iphone.blogspot.com/2016/05/blog-post.html
下記ブログより引用。

故森幸春選手は
晩年横浜市で「GROVE Technic」と言うショップを経営していたそうです。
その時にGROVE Technicブランドで販売していたフレームの供給元が
VOGUEだったそうです。

エベレストは1900年に創立された土屋製作所が製作・販売していたレーサーのブランド名です。
私が趣味のサイクリングに目覚めた70年代前半、ニューサイクリング誌やサイクルスポーツ誌の広告で見るエベレストのレーサーは、何か別格という感じでした。自転車自体もそうですが、広告そのものの雰囲気が「素人は相手にしていませんよ」というように思えたものです。その後、いつ頃からかは存じ上げませんが、自転車製作をやめて、今は「ツチヤ・トレーディング」というフェラーリやマセラティ等の超高級スポーツカーを扱う自動車ディーラーとなっています。

下記ブログより引用。

僕はVOGUE乗りです。高比良さんのところへ直接行ってフレーム作ってもらいました。
EVERESTを長く乗ってVOGUEです 今パソコンデスクの横に愛車が置いてあります。
文字デザイン、土屋トレーディングさんのデザインなんですよ。
長い距離走っても疲れにくいVOGUEロードフレーム!
故・森幸春さんの愛車グローブテクニック、高比良さんが作ったフレームです。

下のYOUTUBE動画でのコメント欄にあった一言。
https://www.youtube.com/watch?v=hE_I6mpPICo&t=51s
確度が高いコメントだと思います。

梶原さんはEverest(土屋トレイディング)の方ですね。宮田工業のフレームにも関わっていらっしゃった名工です。 ヴォーグ(サイクルズ オリエント)は梶原さんに師事なさいました高比良さんが興したブランドで、ブランド名の名付け親が師匠の梶原さんと記憶しています。 ブランド名とロゴのデザインは世界的ファッション雑誌の「vogue」からきているそうです。 サイクルズ オリエントは東京の日暮里で開業、後に高比良さんの出身地の鎌倉に拠点を移されています。 間違っていたらすみません。

こちらも
下のYOUTUBE動画でのコメント欄にあった一言。
https://www.youtube.com/watch?v=hE_I6mpPICo&t=51s
関係者でなければ知る事の無い
確度が高いコメントだと思います。

http://kca-web.com/_p/acre/12886/documents/20220116_R4%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E8%A6%81%E9%A0%852.pdf

参考資料
・サイクルスポーツ誌
1984年6月号、国内スポーツニュース
1984年9月号、チームミチホのスイス滞在日記①
1987年7月号、CYCLES ORIENT、I LOVE CYCLE AKIの広告
1988年1月号、TOP RIDER'S MACHINE
1988年5月号特集、「自分でデザインするオーダー大作戦」
1988年10月号、フレームビルダー名鑑’88
・枻出版社刊
「クロモリロードバイク」

5 今回のむすび


こう言った話を掘り下げて行くと
時代背景に連動する
登場する方々のの人間関係を読み解いて行かないと
関心の高いサイドストーリーには、中々辿り着けないものです。
次回では、トーエイやホルクスとのフレーム供給の関係性や
アマンダ千葉氏~チームミチホの結成と、高比良氏との関係性について
お話しする事が出来る様、アンテナを高く張って行こうと思います。
その辺りを読み解いて行くと、何か新たな発見があるかも知れませんね。

別に使命感があるわけでもありませんが
歴史に埋もれる前に、少しでも記録に残すことが出来ればと思っています。

その2に続く


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