Rossin Record 1989 at Yokohama
出会いは少年が15歳、中学3年に進級した頃
1989年の春先だったと思う。
中学2年の通信簿で5が一つ以上あれば
ロードレーサーを買ってくれると
大蔵省(当時)の母が言った。
時はバブル、父親は外資系石油会社に勤め
その頃でボーナスは3ケタを貰ってた時代。
しかし住宅ローンを返済する為にやりくりしていた
堅実な母は、これから大学や高校に進学を希望する
2人の息子の為に、余計な出費は抑えていた。
その理由付けを含め、母は私に無理難題を申し渡したのだ。
結果、少年は得意な美術と技術と社会で5段階中「4」を付けられた以外は
総じて3、センスがまるで無い体育と音楽は「2」と言った始末で
これはロードレーサーの購入は到底無理だと悟った。
それと並行し、写真部の同級生S君と共に、K先輩から紹介された
上大岡に所在する、サイクルメイトヨシダ系列店のGEMMA(ゲンマ)
に入り浸る様になり、小学校5年生の時に買って貰った
セキネ26インチランドナーもどきのモディファイをする様になった。
※2024年2月29日追記
先日近くを通ったので、南太田に移転後のGEMMA(ゲンマ)の場所に
行ってみました。
僅かな小遣いをはたいて、CATEYEのピンク色バーテープや
シマノ600のステムを購入
ハンドルを金ノコで切断してブルボーンバー化
果てには缶スプレーでフレーム塗装をするも
リムーバーで元の焼付塗装を落とす知識や技術もなく
耐水ペーパーで足付けした下地に、近所のホームセンターで買った
アサヒペンの水色スプレー塗料。もちろん二液式ウレタン塗料では無い。
そしてSST(特殊工具)もない悲しい中学生、チェーンホイールやチェーン
リアディレーラーも外せず
所々コンポに塗料が乗り情けない仕様になってしまったのと同時に
26インチと言う700Cタイヤやホイールが履けないと言った
絶望的に汎用性のない規格の壁にブチ当たり
八方塞がりで限界を感じていたところであった。
そして少年は常々、ゲンマの店内に飾ってあった
「SHAULA PRO 105フルアッセンブル、81,000円」に憧れていた。
メッキ下地の上にクリアブルーの塗装、
黒のステムとチューブラーホイールのアクセント
何より憧れの「SHIMANO 105」のアッセンブル。
グレードダウンのSHAULAエクセージは
色がイマイチパッとしないグリーンと、聞いた事のないコンポ。
「何としてもSHAULA PROを手に入れてやろう。」と頑張ったが
1989年の3月、通信簿の結果に打ち砕かれた。
それから3年に進級し、いつものセキネ自家塗装26インチでゲンマに行くと
普段見ないロードレーサーが店先に置かれていた。
端正なそのフォルムを初めて見た時の事は、今もよく覚えている。
値段はSHAULA PROより高いジャスト10万円。
聞けば中古車との事。
サイスポで名前を知っていたRossinとはこれの事かと息を飲んだ。
「これはとにかく両親を説得しなければ!」と思った少年は
その自転車がとにかく極めて安価で、売りに出されている事を
必死に説明し、今から思えばその意味は殆ど通じなかったと思うが
モディファイや自家塗装する姿を通じて窺える少年の情熱と
サイズアウトした自転車の現状等のタイミングが重なった結果なのだろう
意外とあっさりに母親の決裁が下りた。
いつも遊びに行く時には、楽しい雑談をしてくれる店長さんが
購入の際は両親が付き添って来たものだから、終始丁寧な接客で
もの凄い違和感を感じた。
10万円と言う大金で買い物をするのだから、両親が付き添って当然なのだが
それがまた恥ずかしく、こそばゆかったのを今でも覚えている。
初めて跨ったロードレーサーは、とにかく軽かった。
行きは3人で電車に乗って店に行き、帰りは私1人が自転車で自走して帰宅。
少しづつ、確実に親から徐々に離れていく分岐点だったのだと思う。
そして今、改めて見てみると、構成するコンポに一貫性が無い様に思えるか
相当な拘りの集約なのか、意見が分かれる位の1台と思う。
SILCAのフレームポンプが懐かしい。
サドルバッグは城東輪業で販売されていた汎用品。
ボトルケージは多分TA製。
これらも購入時既に付属していたもの。
ハンドル周りは、ハンドルがチネリのクリテリウム。
この時から私は所有するロード全て、ハンドルをクリテリウムにしている。
ハンドルバーには糸で縫った革張り。確かロゴは無かったので
ALMARCではないと思うが
掌が吸い付くようにしっとりした手触りだった。
ブレーキワイヤはハンドルに穴を空け、中を通す処理。
チネリの黒1Rステムにカンパスーパーレコードのヘッド。
ブレーキは7400デュラエースのエアロレバー、SLR化前の7401
ブレーキキャリパーは初期型デュラエース。
クランク(チェーンホイール)、FRディレーラーは
カンパニョーロのスーパーレコード。
スプロケットは6Sで
ハブはコニカルナットの形状から、初期型デュラエースだったと思われる。
リアエンドにメッキ地を出しているところが、イタリアンな感じ。
サドルはセラロイヤルのSUPER CONTOURで
シートポスト(ピラー)は7400デュラエース。
ペダルはSUGINOのカーボンペダルだったと記憶。ofemegaのsintesi(2024年8月18日訂正)。
クランクはスーパーレコードの中でも
´85頃に出た最後期型のクランクアームに溝が無いタイプ。
(最末期のスーパーレコードのクランクアームは
campagnolo創立50周年記念で製造された
クランクアームの金型を使っている為、溝が無い模様です。
By CORSA CORSAの江口氏より)
WレバーはSimplexのOEMでMAVIC製だったと思われる。
ホイールはMAVICのGP4だったと記憶。
残念ながら、この車体は現在所有しておりません。
私の不始末で行方不明にしてしまったからです。
この後高校に進学し、自転車通学をしましたが
徐々にバイクに興味が移り、段々邪険に扱う様になってしまいました。
ある日同級生に貸す事になり
使用後は学校の駐輪場に置いてもらう約束をしましたが
その後、置いて貰ったのまでは確認したのですが
タイヤがパンクしていた事もあり、回収がおっくうになってしまい
そのまま放置してしまったのです。
そして卒業になっても回収しなかったので
学校側の管理権限により撤去されたのだと思います。
私も学校に対し、特に問い合わせなどはしませんでしたが
今もどなたがが、何らかの形で大切にして頂いているのであれば
盗まれてしまった訳ではないので、それで良いのだと思っています。
後悔先に立たず、ではありませんが
物を大切にする事の意味を、良くない形ではありますが
このRossinRecordが教えてくれました。
おしまい。