ショップ探訪⑥ブルーウィートサイクル
1 1989年、初夏
Rossin Recordを手に入れた15歳の少年は
私立中学に進学した、元同級生と久しぶりに出会い
近所をサイクリングしていた。
彼はトライアスロンに出場する訳ではないが
NITTOのDHバー
リアホイールにスポークの上から被せる
プラスチック製のディスク状カバーを付け
目立つことを目的とする
外装のカスタマイズをしていた自転車に乗っているのを偶然見つけ
意気投合しそれから時々、一緒に自転車で近所を巡るなどした。
かく言う少年も親にせがみ、何とか購入に漕ぎつけたロードレーサーに
乗っているものだから、当然人の事は言えない身分であった。
少年は元同級生に提案した。
「保土ヶ谷に雑誌の広告に載っている店があるから見に行かないか?」
元同級生もこの提案に乗って、2人でその店に向かった。
そして店前の街路樹に、自転車を立て掛けて置いて中に入ると
コルナゴの先進的な双胴フレーム、DUAL bi-tuboを作業スタンドに置き
部品の取り付け作業をしていた
アフロヘアーに口ひげを生やした40代前半位の中年男が目に入った。
男は店舗内に入った少年2人を一瞥した後
窓の外に見える自転車を見つけると、作業を止め店舗の外へ出て行った。
そして2台の自転車を一瞥し、また店舗内に戻ると
我々に対し男は
「あの自転車、どこで買ったの?」
と怒気を孕ませる様な口調で詰問した。
初めて顔を合わせた大人に、いきなりケンカ腰に凄まれた少年は
怖気づきながら「ゲンマってお店です。」と答えると男は
「ゲンマだか何だか知らねぇけどさ、あんな自転車買ったんだったら
その店に行った方かいいんじゃないの?」と吐き捨てるような口調で言われ
少年らは、自分らが歓待される事はなく
門外漢として見られているのを察し、そそくさと店を出て行った。
当然その後、その店に赴く事はなかった。
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2 2023年、12月
やがて少年は人生経験をそれなりに積んだ男となり
男は泊明けの仕事を終え
胃がんの手術をする母が入院する、病院に見舞いに行き
その帰り道、何気なく最寄り駅の保土ヶ谷駅の西口を散策した。
そしてふと、34年前の記憶が呼び起こされる。
「あの店、まだあるのかな?」
決して良い思い出ではなかった。
でも、少年期の切ない思い出は、当人にとって一生忘れる事のない記憶。
今は明らかに、当時のあの男より年上の年齢になった今
あの時の自分に向き合うと言うか
懐かしさと、言い返す言葉が出なかったその時の自分の情けなさや
自転車に対して、覚悟や畏敬の念を抱かない様な
ちぐはぐなスタイルで少年が一丁前のマシンに乗ってきた事に対する
気鋭のショップを切り盛りする男の反発心も、今は理解できる。
そんな相反する複雑な気持ちを交えながら、僅かな記憶を頼りに歩くと
記憶通りの道順や店構えで
34年前と変わらずその店は存在していた…
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…と、ここからが今回のお話の本題になります。
中に入ると、まるでそこだけ時が止まっているかの様な感覚に
今店を任されている、現店主の娘さんとのファーストコンタクトは
目に入ったデッドストックのSILCA製フロアポンプの購入から。
まさかこんなところでSILCAにお目に掛れるなんて…
聞けば私とほぼ同級生。隣の中学に通っていた事などから
話が弾み、それから母の見舞いや実家への立ち寄りの度に
お店に通うことになりました。
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2回目であの、門前払いを喰らった時の現店主と顔を合わせる。
聞けば腰を悪くし、ショーケースに手を添えながら店舗内を移動し
その姿は年配そのもの、時が過ぎる無常さを覚えたが
しかし、目はやはり鋭かった。
少年は中年から、徐々に壮年に移行してもおかしくない年齢に達し
34年前の記憶は既にもう、どうでも良くなっていた。
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そしてEROICA JAPAN2024出場前に立ち寄った際に、娘さんに
「父の体調を考え、もうお店を閉めようかと考えています。
これから夏頃まで一時お店を休業しようと思います。」
と言われ、しばらく様子を見ていました。
そして7月に入った頃から時折電話を入れ、開店の状況について
様子を伺うと、つい先日久しぶりに娘さんに繋がり
驚いた様子と私の電話番号のメモを紛失してしまい、連絡できなかった
また先日からお店を開けましたとのお詫びと案内を頂くと共に
近況報告をお互いにした後、私が明日横浜に用事があるので
お店に立ち寄るとの連絡をし、つい先日立ち寄ったのです。
そして、お店に立ち寄ると
初めて見る娘さんのお嬢さんも店番に立ち
夏休みだからなのか、息子さんも店の奥で過ごしている様子。
娘さんは一時休業前に、現店主より入院する前に教わった
ママチャリのホイールの振れ取りを、両手を真っ黒にさせながら行い
そんな事をせずとも十分身を立てることが出来るはずなのに
それを行うのは、専門店としての役割を既に終えつつある中でも
それでも訪ねてくる、地元客との繋がりを最後まで試みているのを
痛切に感じました。
「今までありがとうございました。今年の8月末でお店は閉めます。
それまでまた通常営業に戻りますので、どうぞ残りの期間よろしく
お願いします。」と言われ、この日細々した買い物を済ませ
店を後にしました。
閉店まで残り約1か月となりました。
これをご覧になり感じたものがある方は
是非とも訪問してみて下さい。
※8月1日追記
高額商品の購入を検討される方はお気をつけて。
現在クレジットの加盟店を離脱したそうなので
決済は現金のみになるそうです。
おしまい。