同じ時代を駆け抜けた、同じ志を持つ求道者からの視点
GITANE VOGUEを完成させたら、是非ともここに行きたいと
ずっと思っていたお店が、このAMANDAさんでした。
その理由はVOGUEに関連する
1、チームミチホを始めとして、市川雅敏選手をサポートしていた。
2、チームミチホの結成を始めとした秘話
を軸として、お話を聞きたかったからです。
まず今回は、ダメ元のノーアポで平日の午後に
北区田端駅近くにある、工房に向かいました。
一応、今日は営業日なんだよなぁ~
もし先客が居たら、また後日改めて伺おうと思い到着。
すると電気は点いていますが、人は居ない気配。
そしてふと入口の引き戸を見ると
”不在の時はここへ”と電話番号が記したメモが貼付されていました。
お住いの電話だと思いますが、どうも営業日であっても
不在にする機会が多いのでしょう。私もお店の前から電話をしました。
すると、ご年配の丁寧な女性の声で
”もう少ししましたら、そちらに向かうと思いますので”と答えられ
『多分この方が、千葉氏の奥様の美直穂様なのだろうな』と思い
待つ事5分しない位で、氏は凄いマシンで登場しました。
「いやいや、お待たせしましたね」と柔和な千葉氏が登場し
挨拶もそこそこに、私が
『今日はお客と言うよりかは、お話をお伺いしたかったので来ました』
と答えると、氏は
「それがお客さんなんですよ。」と柔和な笑顔で歓待して頂きました。
私が紹介するのもおこがましいので
氏のプロフィールはこちらからご覧下さい。
そして工房内に通され、面白い話を沢山教えて頂きました。
以下対話形式、千:(千葉氏)、私:(vogue-rider)
いきなりズッコケてしまいましたが(笑
実は私も、自分で話を焚きつけておきながら
薄々は違うのかなと思っていました。(笑
と言うのも先日、市川選手と近しい方からの情報で
このGITANE-VOGUEは
VOGUEで合計8本作られ、市川選手用以外の近親者の方が
どうも所有していた様だと言った話を私自身聞きました。
この車体のフレームサイズは大体515㎜前後位。
出版物で当時の市川選手の写真を見ると
フレームサイズが大体490~500㎜位の感じなんですよね。
そして私が聞きたかったのは、ここからです。
チームミチホについて。
驚きの結成秘話です。
AMANDAのお店としてでなく、千葉氏の奥様である美直穂様個人が
店に出入りする故森選手、三浦選手、市川選手らの
トップロードマンを取り巻く環境を嘆き
私財を投じてスポンサーになったのが、その経緯だそうです。
奥様って、姉御肌だったんですね…
続いて、高橋松吉選手について。
’80年代後半、チームEPSON BOSCOの代表選手であった、高橋松吉選手。
そうでした。’84ロス五輪のオリンピック選手だった事を
私はすっかり忘れていました。
なるほど、その実績を買われて有名企業のスポンサーが付く
チームの頭となって、活躍した訳ですよね。
確か当時、滋賀県の彦根にチームBOSCOの拠点兼プロショップがあって
そこの店長を任されてましたよね。
続いて、故森幸春選手とVOGUEの故高比良博氏が所属していた
”湘南レーシング”について
梶原氏を始めとして
副島氏、市川氏、斎藤氏と、日本サイクリスト界の重鎮方
そしてVOGUEの故高比良氏の同級生、渋谷氏と梶原氏。
やっぱり!
ここで5月のヴェロマルシェ逗子での、渋谷氏からのお話と
今回聞いたお話で
点と点が、線で繋がりました!
そして、湘南レーシングクラブと、故森選手について。
’80年代、日本のロードレースシーンを間近で見た方からのお話は
深く重みがあり、そして驚きと面白さで溢れていました。
続いてチームミチホの面々が、何故AMANDAのフレームを使わずに
VOGUEのフレームを使っていたのか。
そのいきさつについてです。
まとめ
今回、フロンティア精神とクラフトマンスピリッツが融合する
日本屈指の自転車工房にお邪魔して
他工房の自転車の話を伺うのは
非常に失礼であることは承知の上でお話を訊かせて頂きました。
これをご覧になった方の中には
「何を”師”に聞くのか、失礼な」と思われる方もおられるかも知れませんが
その軸には’80年代を代表するトップロードマン達の
苦労や情熱、努力や友情が並行していることもあり
それらを歴史に埋もれる前の”今”こそ、クローズアップし
この様な形にする事で、この記録がいつか誰かの役に立つ事を願う
”未来に対する知識の投資”と言うのはおこがましいかも知れませんが
そう言った目的で作成しました。
千葉さん、ありがとうございました。
近々改めて本当のお客として、ワークショップに参加させて頂きます!
その5に続く。