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ロードレーサー、VOGUEの譜系4

同じ時代を駆け抜けた、同じ志を持つ求道者からの視点

GITANE VOGUEを完成させたら、是非ともここに行きたいと
ずっと思っていたお店が、このAMANDAさんでした。
その理由はVOGUEに関連する
1、チームミチホを始めとして、市川雅敏選手をサポートしていた。
2、チームミチホの結成を始めとした秘話
を軸として、お話を聞きたかったからです。

まず今回は、ダメ元のノーアポで平日の午後に
北区田端駅近くにある、工房に向かいました。
一応、今日は営業日なんだよなぁ~
もし先客が居たら、また後日改めて伺おうと思い到着。
すると電気は点いていますが、人は居ない気配。
そしてふと入口の引き戸を見ると
”不在の時はここへ”と電話番号が記したメモが貼付されていました。
お住いの電話だと思いますが、どうも営業日であっても
不在にする機会が多いのでしょう。私もお店の前から電話をしました。
すると、ご年配の丁寧な女性の声で
”もう少ししましたら、そちらに向かうと思いますので”と答えられ
『多分この方が、千葉氏の奥様の美直穂様なのだろうな』と思い
待つ事5分しない位で、氏は凄いマシンで登場しました。

木リムに8本スポークの前輪。フレームは多分クロモリ。
ちょっと分かりづらいかも知れませんが
ブルボーンバーの真ん中に、1本角のDHバーが。右側だけですが、肘当てもあります(驚

「いやいや、お待たせしましたね」と柔和な千葉氏が登場し
挨拶もそこそこに、私が
『今日はお客と言うよりかは、お話をお伺いしたかったので来ました』
と答えると、氏は
「それがお客さんなんですよ。」と柔和な笑顔で歓待して頂きました。

千葉洋三氏。ハンドメイドサイクル界において、知らない方は居ません。

私が紹介するのもおこがましいので
氏のプロフィールはこちらからご覧下さい。

そして工房内に通され、面白い話を沢山教えて頂きました。
以下対話形式、千:(千葉氏)、私:(vogue-rider)

私: AMANDAさんに来ていきなりこんな話をするのも何なのですが、今 
  日乗って来た自転車、GITANEのグラフィックが貼られていますが、実 
  はVOGUE製でもしかしたら、市川雅敏選手が乗っていたものかも知れな
  いフレームとの事で、チームミチホで市川選手と交流のあった千葉さん
  に是非とも見て貰いたく今日来させて貰いました。
千: マーちゃん(市川選手の呼び名。相当親交が深い事が伺われます。)
  にしては、フレームが大きいですね。多分違うと思います。

いきなりズッコケてしまいましたが(笑
実は私も、自分で話を焚きつけておきながら
薄々は違うのかなと思っていました。(笑
と言うのも先日、市川選手と近しい方からの情報で
このGITANE-VOGUEは
VOGUEで合計8本作られ、市川選手用以外の近親者の方が
どうも所有していた様だと言った話を私自身聞きました。
この車体のフレームサイズは大体515㎜前後位。
出版物で当時の市川選手の写真を見ると
フレームサイズが大体490~500㎜位の感じなんですよね。

そして私が聞きたかったのは、ここからです。
チームミチホについて。

私: 先程お電話をさせて頂いた時に、女性の方がお出になったのですが
  もしかして、奥様の美直穂様なのでしょうか?
千: (照れ笑いしながら)ええ、そうですよ。
私: 私は千葉さんにどうしても聞きたかったのは、『チームミチホ』につ
  いてです。私はこのお店に集ったトップロードマンでチームを編成し、
  奥様の名前を付けてお店がスポンサーになって、海外に送り出したのが
  その流れになったのかなと思っていたのですが。
千: いや、自転車競技が注目されない日本で”何とかしたいな”と思いなが
  らも、日本のどこも(スポーツを奨励する国や団体、スポンサー企業を  
  指すのだと思います)応援しないの。
   そしてね、その傍らで見ていた美直穂が怒っちゃって(笑)。彼ら(故
  森幸春選手、三浦恭資選手、市川雅敏選手)はスイスに遠征してトレー
  ニングしたいって言うんで、少し美直穂の、なけなしのお金を渡したら
  しいんですよ。だからチームミチホになったんです。
私: え~(驚)、それって奥様個人がスポンサーですよね(驚
千: そうですよ。金のないやつから出てったんだから(笑)
私: (驚)
千: 当時(’84年)の航空機代だけで、一人25万円位はしたんじゃないのかな
  ぁ…
私: それだけでなくチームジャージやサポートカー何かもあったみたいで
  すもんね。

驚きの結成秘話です。
AMANDAのお店としてでなく、千葉氏の奥様である美直穂様個人が
店に出入りする故森選手、三浦選手、市川選手らの
トップロードマンを取り巻く環境を嘆き
私財を投じてスポンサーになったのが、その経緯だそうです。
奥様って、姉御肌だったんですね…

続いて、高橋松吉選手について。

千: その、チームとして行動はしていないんですけど、やっぱり高橋松吉
  選手は、森選手、三浦選手、市川選手皆が尊敬していましたから。
   高橋松吉はね、全く別格な存在なんですよ。
私: やっぱりそうだったんですね(驚
   私、高橋選手もチームミチホの一員だったと言う話は聞いていたので
  すが、行動を共にしていない様子だったのでアレと思っていましたが、
  監督等の立場でもなかったのですね。
千: 一段上のカテゴリーに入る競技者ですよね。ミチホのメンバーは、皆
  尊敬していますよ。
私: チームミチホでもワンランク上の存在だった訳ですもんね。
千: だって、オリンピック選手ですもんね。
私: そーゆーことですね…


1988年5月29日(日)、国際サイクルロードレース東京大会
男子総合成績 1位で表彰される、高橋松吉選手(写真中央、BOSCO・当時)
撮影:著者

’80年代後半、チームEPSON BOSCOの代表選手であった、高橋松吉選手。
そうでした。’84ロス五輪のオリンピック選手だった事を
私はすっかり忘れていました。
なるほど、その実績を買われて有名企業のスポンサーが付く
チームの頭となって、活躍した訳ですよね。
確か当時、滋賀県の彦根にチームBOSCOの拠点兼プロショップがあって
そこの店長を任されてましたよね。

続いて、故森幸春選手とVOGUEの故高比良博氏が所属していた
”湘南レーシング”について

私: あの自転車(GITANE-VOGUEを指し)のフレームは、今年の5月に神奈川
  県の逗子で行われたフリーマーケットで入手した物ですが、その時に来  
  られていた”梶原利夫さん”にフレームを見てもらったんですが…
千: 梶原さんは、私の先生ですよ。
私: (驚、やはり…)その時の写真がありまして…
  ここで、今年5月のヴェロマルシェの画像を千葉氏に見せる。

梶原氏を始めとして
副島氏、市川氏、斎藤氏と、日本サイクリスト界の重鎮方

そしてVOGUEの故高比良氏の同級生、渋谷氏と梶原氏。

私: こちらの梶原氏の隣に居るのが、渋谷氏と言う方で
  横浜のブルーウィートサイクルと言うところで
千: ああ、有名なところですよね。

私: (あっ!やっぱり知ってる!)
   惜しくも先月廃業してしまったのですが、この渋谷氏に伺ったところ  
  森選手とVOGUEの高比良氏が、このブルーウィートサイクルと言うとこ
  ろでクラブチームに所属していたと聞いたのですが…
千: 彼らのね、自転車の競争グループって、”湘南クラブ”(サイクルスポー
  ツ誌等では『湘南レーシング』と紹介されている)って言うんですよ。

やっぱり!
ここで5月のヴェロマルシェ逗子での、渋谷氏からのお話と
今回聞いたお話で
点と点が、線で繋がりました!

そして、湘南レーシングクラブと、故森選手について。

千: 冗談でね、クラブ員皆お腹を壊しやすいタイプなんでね、私たちは
  「腸難(ちょうなん)クラブ」って言ってたんだよね(笑
私: 活動範囲はどの辺りだったのでしょうか?
千: 神奈川が主で、富士山の辺りまで走っていたみたいですよ。
  あとちょっと名前が思い出せないんですけど、湘南クラブで一番強い男
  が居たんですよね。
   パシュートとか、相当のスピードマンですよね。
私: 森選手よりも
千: 全然、速度もちがいますよ。日本代表レベルだったみたいですよ。
   森選手はね、高等学校2年の時にね、私のところに来たんですよ。
  彼はね、凄い競争に熱心でね、ある時「ヨーロッパの連中ってね、冬場
  どうしてるのかなー」って質問するんでね、だから私が「六日間レース
  ってのと、あとクロスカントリーレースってのをやってるみたいだ
  よ。」って教えたら、翌日からトライしてた。(笑
私: ああ~っ。変わり身が早いんですね(驚
千: 彼はね、何をしていいのかとかね、そう言う問い掛けとか、それに対
  してちゃんと自分で実行する答えとか。やっぱり、あんな小さい体格で
  もね、彼に全日本のチャンピオンなんて、勝たせちゃうんだよと皆に言
  われてたね。
   あと、ここぞという時に集中力と、ここぞという時に出せるパワーの
  出し方が、凄く巧みなんじゃないんですか?ズルいと言うか。
   自転車競走って、ズルくなきゃダメなんですよ。
   上手く、スタート台に立った時、今日誰ちゃんと誰ちゃんが、凄く調 
  子良さそうだなと、パッと見極めが出来ないと競争にならない。
私: 体もそうですけど、判断もまた瞬発力なんでしょうか?
千: だから判断まで(森選手は)あそこまで行ったんですよ。
私: (森選手は)頭の造りから違うんでしょうね。
千: (体の部分で)森選手を超える競技者は、数多いたんですけど、伴う
  頭の命令系統が、(一般の選手は)なってないから、彼(森選手)と肩を  
  並べる事は出来なかった。
私: そう言う事だったんですね…(驚)抜きん出るって言うのは、そう言  
  うところなんですね…

’80年代、日本のロードレースシーンを間近で見た方からのお話は
深く重みがあり、そして驚きと面白さで溢れていました。

続いてチームミチホの面々が、何故AMANDAのフレームを使わずに
VOGUEのフレームを使っていたのか。
そのいきさつについてです。

私: 私が不思議に思ったのが、市川選手たちがヨーロッパに行って、チー
  ムミチホの看板を背負って、例えば私だったら、AMANDAのフレーム
  を使わせたいと思うんですけど。その時って選手皆さん、VOGUEを使っ  
  ていたと思うんですよ。あれは何でだか教えて頂けまか?
千: あのグループは最初、VOGUEが、まぁ高比良さんと森選手が小さい頃
  からの繋がりがあって、あの、(マシンの提供の申し出を)言い易かっ
  たんじゃないんでしょうか。
   あの、AMANDAはちょっとね、仲間じゃないですから。
私:  ?(驚
千: 競争の仲間じゃないのね。私は外側に居るから、関係ないの。
私: そうすると、AMANDA自体はタッチせず、奥様と選手とのだけの関 
  係だったのでしょうか。どっちかと言うと千葉さん的にはチームミチホ
  には醒めた目と言わないまでも”ああ、がんばっているな”程度の認識だ
  ったのでしょうか?
千: それはないですよ(笑)JAPANのね、これだけの志を持っている訳です
  からね。だから、やるなら応援したいなと思いましたよね、やっぱり。
私: それと、奥様とチームミチホの選手達とは、その繋がりって言うのは
  どこから来ていたんですか。
千: いや、(AMANDAに)出入りしていましたからね。作業場にね。だ
  から(選手達の志が)分かっちゃうんですよね。
私: すると選手たちは、VOGUEにもいたけども、こちらにも来ていたと。
千: だから、VOGUEはマシンを供給してくれるから、(選手たちは)安心
  していられる訳だよね。それでVOGUEとは別に、彼らはマシンを皆ウチ 
  で買ってくれてましたよ。全員。
私: そうですよね。AMANDAさんでは’82年位から確かカーボンフレーム
  製作を着手していた訳ですもんね。それは選手たちも興味を持って訪ね
  て来ますよね。
千: カーボンフレームのお客さん第1号は、市川選手なんです。 

まとめ

今回、フロンティア精神とクラフトマンスピリッツが融合する
日本屈指の自転車工房にお邪魔して
他工房の自転車の話を伺うのは
非常に失礼であることは承知の上でお話を訊かせて頂きました。

これをご覧になった方の中には
「何を”師”に聞くのか、失礼な」と思われる方もおられるかも知れませんが
その軸には’80年代を代表するトップロードマン達の
苦労や情熱、努力や友情が並行していることもあり
それらを歴史に埋もれる前の”今”こそ、クローズアップし
この様な形にする事で、この記録がいつか誰かの役に立つ事を願う
”未来に対する知識の投資”と言うのはおこがましいかも知れませんが
そう言った目的で作成しました。

無理を言って、GITANE-VOGUEと一緒に撮影させて貰いました。
今後もよろしくお願い致します!

千葉さん、ありがとうございました。
近々改めて本当のお客として、ワークショップに参加させて頂きます!

その5に続く。

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